宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

週刊コラム「走りながら考えた」

走るクマ
2001.7.9

 前回の続きのようにもなるが、地域振興について書いてみたい。  

 道路特定財源や地方交付税をめぐる議論の中で、都市部の住民から寄せられるメールでのご意見として、地方から国への「おねだり」は願い下げだといったものが結構多い。そのことに関して、気仙沼市長の鈴木昇さんが、7月7日の朝日新聞「私の視点」で、「地方自立へ「機会の平等」を」という意見を寄せている。  

 この意見はとてもわかりやすく、しかも核心を突いている。気仙沼市から県都仙台まで車で2時間半を要する現実の中で、道路の整備による物流の効率化を図るのは現代の経済競争に勝つための条件だと説く。道路は一例で、環境、情報化などの政策も、機会の平等という観点から見直すべきだとの主張である。  

 我々の求めるのは結果の平等ではなく、機会の平等。機会が与えられれば、あとは地方の努力次第である。道路さえできれば、地域振興が図られるものではない。地域としての魅力を備えていなければ、道路整備によりむしと多くの人間と産業とがその他の地域に吸い上げられてしまう。そうするもしないも、地域の工夫と努力次第。鈴木市長がおっしゃりたいのはそういうことだろう。  

 地方による国への「おねだり」といったことにならないためにも、お金の使い方は地方の裁量に任せることが絶対必要である。8日日曜日朝7時半からのフジテレビ「報道2001」の中で、小泉首相も同じことを言っていた。そういう改革ならば基本的に支持する。  

 先週も書いたが、道路が必要かどうかの議論自体は不毛である。公共事業にも、必要なものとそうでないものがあるという主張があるが、これは「主張」とも言えない。要は、「必要性」を誰が決めるかということ。地方に決めさせよというのが、私の主張である。  

 道路か、港か、空港か、田んぼの改良か、はたまた、教育、文化、環境、福祉。どの領域に力点を置くか、地方が主体的に判断し、決めていかなければならない。道路が必要と考える地域は、ほかの領域への支出を抑えて、当面は道路に財源を振り向ける、逆に道路の整備はある程度できたという地域は、他の支出を強化するということもあるだろう。

 道路の中でも、どの道路を優先するかを地方が決めるのも当然のことである。宮城県では、すでに平成9年から、県内の道路のうち、県道、県が補助をする市町村道など
200本以上について、必要度を数値化して優先順位を決定している。地元に任せれば、そういった緻密な判断をするのである。  

 結局は、地方分権が財政規律を高め、民主主義を育てる。地域振興は、国からどれだけ多くのお金を引き出すかではなく、どれだけの自由を獲得するかに還元できる。我々が要求するのは、そういったシステムであり、断じて「おねだり」ではない。今朝も、走りながらそんなことを考えた。どうやったら、もっと説得力あるように伝えられるだろうか。そんなことを考えながら、明日も走ろう。

 

過去のコラムはこちら
 2001年7月2日分
 2001年6月24日分



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