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月刊ガバナンス平成18年10月号
アサノ・ネクストから 第10

情報公開は組織を救う

 情報公開制度は地方自治体で先行したが、霞が関においても2000年に情報公開法が施行され、お役所では常識になった。企業でも、情報公開は説明責任と並んで、あたりまえになりつつある。

 情報公開について、私の宮城県知事時代の実感は、「情報公開は組織を救う」である。「情報公開は転ばぬ先の杖」と言ってもいい。これを強く意識したのは、宮城県庁が不祥事で揺れた時、そしてそれを何とか乗り越えた時であった。

 95年、私が宮城県知事になって一年余の頃、県庁で食糧費問題がはじけた。仙台市民オンブズマンは、情報公開条例に基づいて、93年度財政課執行の食糧費予算の文書開示を要求した。開示文書には、不自然な費用の使われ方が示されていたが、それについて県当局が十分な説明をしないということから、市民オンブズマンは当時の財政課職員4人を訴えた。

 情報公開条例がある限り、県庁内の他の部署の食糧費執行関係文書の開示請求は続く。条例上は「原則開示」であるから、黒塗りにするにも限度がある。とても逃げられる、隠せる、ごまかせるものではない。もちろん、1年余前の「出直し知事選挙」で、「現職知事がゼネコン汚職で逮捕されるような県に戻すな」という県民の想いだけで当選できた私とすれば、不祥事のにおいを前にして、逃げようという姿勢は絶対に許されないという覚悟もあった。

 食糧費の執行についての全庁調査を命じたのは、こういった経緯からである。要因としては、私の知事就任前の90年に施行された宮城県情報公開条例が大きかった。トップの指導力というよりは、情報公開条例というシステムの存在がものを言った。全庁調査の結果、宮城県庁のほぼ全部署で食糧費による裏金づくりがされていたことが明らかになった。

 その後、情報公開の実施機関に警察を加えるという条例改正にあたって、警察文書についてだけ「原則開示」の例外規定を広く定め、文書非開示の判断において警察本部長の裁量権を尊重させる趣旨の警察の案を排した条例改正案を議会に提案したのは、この経験があるからである。つまり、情報公開における聖域を設ければ、そこは腐敗するという信念は、私の苦い経験から出たものであった。

 岐阜県で食糧費やカラ出張による裏金づくりが大きな問題になった。なんで今頃?というのが、率直な感想である。 岐阜県では、情報公開条例の施行が遅れたということもあった。それに加えて、情報公開制度の意義を組織として正面から受け止めていなかったという事情もあったのではないか。

 00年に情報公開法が施行される直前と直後で、霞が関の各省での公文書廃棄の量が数倍に増えたという記事を目にした。霞が関にとって、情報公開法は「転ばぬ先の杖」ではなくて、迷惑千万な手続きと受け止められている結果でなければ幸いである。 情報公開はなんとかすり抜けるべきものという考えが支配的な組織では、岐阜県で今見ているようなことが起こらない保証はない。繰り返しになるが、「情報公開は組織を救う」のである。


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