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月刊ガバナンス平成19年9月号
アサノ・ネクストから 第19

年金問題

 参議院議員選挙で自民党が大敗した。最大の原因は年金記録問題であったと言われている。最大でないにしても。主要な要因であったことはまちがいない。この問題に関して、これまでの多くの論評とは違った観点で論じてみたい。

 年金記録に関する社会保険庁のずさんな仕事ぶりが、民主党の議員の指摘を契機に、明るみに出た。このことが最近まで明るみに出なかったことのほうが大問題である。情報公開が機能しなかったからなのだが、しからば、なぜ年金記録問題の実態の情報が開示されなかったのか。

 二つの要因がある。一つは、無謬性の神話。もう一つは、密室性である。まず無謬性であるが、我が国においては、役所はまちがいを犯さない、役人はまちがいをしない人種であることが、大前提になっている。これが無謬性であるが、別な言い方をすれば、「あってはならない」の呪縛である。

  社会保険庁だけの問題ではない。年金記録が消えてしまうとか、まちがった入力のまま放置されていることは、絶対にあってはならないことである。だから、こういうことはないことにする。実際にあっても、外には言わないことにする。

 イタリアでは、そもそも役人は信用されていないので、年金記録に関しても早くから総背番号制が採用されていたらしい。だから、年金記録の間違いは事前に避けられているとのこと。どこまで真実なのかは、確認していないが、国民のこういう態度は、無謬性でなくて、現実性と表現すべきものだろう。翻って日本の年金記録問題を眺めると、無謬性の神話が邪魔になって、年金番号による管理という、システムによる解決が遅れてしまったことが悔やまれる。

 次に、密室性。一般の人から見ると、年金制度はいかにも複雑怪奇で理解困難で近寄りがたい。ましてや、年金制度の運営など、素人に理解できるはずがない。だから、専門家に任せるべき仕事として、敬して遠ざけられる。こうやって、年金運営における密室性は、社会保険庁ではなくて、周りが作り上げてしまったのではないか。

 無謬性の神話は、間違いを犯すはずがないという、理由なき信頼につながり、密室性は専門家集団によるやりたい放題に帰結する。悔やまれるのは、年金制度発足当初から、「年金の運用はしっかりやられているか、大丈夫か」という外からの働きかけがなかったことである。だからこそ、今日まで問題は表に出ないで、問題ケースばかりがたまりにたまってしまった。

  こうやって分析していけば、今回のことで決定的に抜けていたことは、社会保険庁の業務の情報公開である。情報公開は転ばぬ先の杖であるということに改めて気がつく。

 「年金記録問題」を「原子力発電所事故」と置き換えてみる。「あってはならない」無謬性と、専門的であることからくる密室性、いずれもあてはまることに気がつく。中越沖地震での柏崎市刈羽原子力発電所の被害のことが話題になっているだけに、今回の年金記録問題を他山の石としなければならない。大事なことは、ここでも徹底した情報公開であることは、言うまでもない。


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