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月刊ガバナンス平成20年5月号
アサノ・ネクストから 第27

ねじれ国会

 道路特定財源の暫定税率の廃止、日本銀行総裁の空席など、「ねじれ国会」は、さまざまな政治的混乱をもたらしている。両院協議会は前例なき事態に有効に機能していない。衆議院での三分の二での再可決が、乱用されることも懸念される。こういった状況を見ながら、思い出すのは、私が宮城県知事だった頃である。知事と県議会とは、一種のねじれ状態。このことがもたらす攻防があった。

  私の宮城県知事時代には、知事が提案した副知事の人事案件が二度も否決された。情報公開条例の改正の際には、知事提案の条例案と、議会の多数派提案の案とが議決に付され、後者が可決された直後に、知事である私が再議権を行使して、成立を阻止したこともあった。人事案件では知事が負け、条例改正では議会が負けたと言えるかもしれない。私の時代には、議会は知事与党が多数という状況ではなかったので、こういった攻防は、この例以外にも何度もなされた。ねじれが常態だったからこその出来事ではあった。

  こういう「ねじれ」と、今の国会の「ねじれ」とは、同じに見ることはできない。それにしても、二院制の国会である以上は、ねじれがあることは、想定の範囲内である。それを見越したルールづくりは、早くからなされていてよかったはずである。今頃になって、あたふたと、あわてているというのは、前例がないから仕方がないでは済まない。

 国民の側から見れば、いい面もある。道路特定財源の暫定税率の議論の中から、国土交通省の外郭団体のでたらめな税金の使い方が明らかになった。そもそも、暫定税率なるものが課せられていて、それが道路建設のためだけの特定財源になっていた事実自体、はじめて知ったという人も多い。少なくとも、この問題に関心を持ち、真剣に考えてみる国民が増えたことだけはまちがいない。これは、野党多数の参議院という、ねじれ国会のもたらしたものである。

 民主主義は、税金がどう取られ、どう使われるかの決定において、民が主になることである。その意味では、今回の道路特定財源の議論に国民が大きな関心を示したことは、民主主義の深化であり、進化につながる。ねじれによる混乱は、ほんものの民主主義確立のための、生みの苦しみなのかもしれない。

 願わくば、ねじれ国会の場では、政策で争ってもらいたい。野党に厳しく申し上げれば、政策より政局を意識しているのではないか。少なくとも、そのように見えるのは、野党にとって得策ではない。例えば、人事案件については、私の苦い経験から一言申したいが、不適任な人をそのポストに据えて困るのは、指名した政府自体であるのだから、よほど変な人でない限りは、認めるべきものと思う。

 国会の両院が、同じような選出方法になっており、しかも、選挙時期にずれがあることが、ねじれ問題を深刻にしている。だったら、参議院をドイツのように、首長など地方代表で構成される形にすることも、解決方法ではないか。地方分権の推進の観点からも、望ましい方向である。そんな議論も、真剣になされるべき時期が来ている。


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