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月刊ガバナンス平成25年5月号
続アサノ・ネクストから 第32

選挙権は大事

 2012年12月の衆議院議員選挙をめぐる「一票の格差」訴訟において、「選挙は違憲」の判決が相次いで下された。広島高裁は「選挙は無効」という判決を言い渡している。

 最高裁が2011年3月の判決で、「現行の一票の格差は不平等」として、強く改善を求めていたのに、国会はこれに対応しなかった。国会の怠慢である。

 司法側が国会に選挙制度の改革を迫るのは、選挙が民主主義の根幹に関わるからである。一票の重みに大きな格差があるのは、由々しき問題である。

 一票の重みの格差どころではない。その一票さえ持たされていない人の存在は、さらに大きな問題である。平成12年の成年後見制度の発足に伴い、公職選挙法が改正され、第11条に掲げる「選挙権を有しない者」に「成年被後見人」が追加された。

 その問題が、今になって、大きく取り上げられている。今年3月14日、東京地裁の定塚誠裁判長は「成年被後見人になると選挙権を失う公職選挙法の規定は、憲法違反で無効」という判決をした。この訴訟は、知的障害があり、成年後見制度の被後見人になった名児耶匠(なごや・たくみ)さんが、国を相手に選挙権の確認を求めたものである。

 定塚誠裁判長は、「被後見人とされた人が、総じて選挙権を行使するに足る能力を欠くわけではないのは明らか」と判断したうえで、「一律に選挙権を奪うことは『やむを得ない』とはいえない」と判示している。

 成年後見制度は、知的障害や認知症があるなど、財産管理能力が十分でない人のために、後見人がその人に代わって財産管理をするというものである。その制度を利用して被後見人になったからといって、選挙権を剥奪されるということを、成年後見制度は想定していない。

 問題は、障害者差別禁止の観点からだけでなく、「選挙権とは何か」の視点に立って議論されるべきものである。民主主義社会において、選挙権は確実に守られなければならない基本的人権の中核である。在外日本人の選挙権についてであるが、2005年最高裁大法廷判決では、「国民の選挙権を制限することは、制限しないと選挙の公正を確保することが著しく困難である場合でない限り、許されない」と判示している。

 一票の格差の存在さえ、大きな問題なのに、13万6千人の成年被後見人が選挙権を剥奪されていることが看過されてきた。

 前述の東京地裁の裁判で、定塚裁判長は、判決の最後に、原告の名児耶さんに声をかけた。「どうぞ選挙権を行使して、社会に参加してください。堂々と胸を張って生きてください」。名児耶さんは、「うれしいです。お父さん、お母さんと一緒に、また選挙に行きたいと思います」と喜びを語った。

 「政治なんて興味がない」、「選挙で投票しても何も変わらない」といって選挙権を行使しない人たち。彼らは、定塚裁判長の見事な判決文、名児耶さんの喜びの声をどう受け止めるのだろう。

 選挙権の適切な行使こそ民主主義の出発点である。最近の司法の動きが、そのことを再認識させてくれる。


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