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月刊ガバナンス平成26年3月号
続アサノ・ネクストから 第42

橋下氏の市長辞任

 前号で「選挙は大事」を書いたばかりである。「選挙は大事」ということを、別な意味で力説している人がいる。大阪市の橋下徹市長である。

 大阪都構想実現に向けての進展がない中、橋下氏は市長選で民意を問うとして、市長職を辞任する意向を表明した。「選挙で自分が当選すれば、大阪都構想推進の民意が得られたことになり、事態打開の突破口になる」と信じているらしい。選挙結果を「民意ここにあり」に結びつけるということだから、「選挙は大事」を超えて、「選挙は万能」ということか。

 ちょっと待ってくれ。市長選挙は、市長を選ぶためのものであり、特定の政策の是非を問う住民投票とは違う。東京都知事選挙が、「原発ゼロ」の是非を問う住民投票ではないのと同じことである。市長当選イコール大阪都構想賛成とはならない。

 地方自治体では二元代表制がとられている。大阪市の住民を代表するのは、どちらも大阪市民から選挙で選ばれた市長と市議会であり、この二つに上下優劣はない。「民意は我(市長)のみにあり」というのは間違いで、市議会も民意を正しく代表する機関である。選挙で選ばれたという正統性がある。そのことを踏まえれば、大阪都構想といった政策を実現するためには、市議会が賛成しなければならない。市議会を説得し、なだめ、すかし、脅し、持ち上げ、駆け引きをし、利益誘導をし、市議会議員の半数を賛成に持ってこなければならない。その過程が政治である。それが成功しなければ、政策実現をあきらめるしかない。それが民主主義である。

 「民意我にあり」というときの「民意」についても、吟味が必要である。大阪都構想は革新的であり、現状の閉塞感を打破するパワーがある。東京都に対抗する体制を作るということで、浪速っ子の魂を揺すぶる。浪速のヒーローたる橋下徹さんが進める政策なのだから、それだけでも魅力的である。いずれも、大阪都構想の中身を正しく理解したうえでの支持なのか、いささか疑問がある。

 一例だけあげよう。構想では、大阪市も堺市もなくなる。「大阪はなくならない」と信じている大阪市民もいるが、それは「大阪」の名称が府にも市にも使われていることからの誤解である。堺市がなくなることを正しく認識している堺市民は、堺市長選挙では大阪都構想反対の竹山修身氏を再度選んだ。市民にとっては、自治体へのアイデンティティ(帰属意識)はとても強い。大阪都構想は、為政者にとっては素晴らしいものかもしれないが、堺市民にとっては堺市という自治体がなくなるという犠牲を払ってまでも実現したいものとは思えない。

 出直し市長選挙で橋下氏が再選されても、そのことをもって、「大阪市民の民意は大阪都構想を支持している」ことを意味するものではない。そして二元代表制の下、大阪市議会も民意を代表する機関である。これらを考え合わせれば、橋下氏に取って残された道は、大阪市議会の賛意を取り付けること、それしかない。市長選挙で、お金(大阪市の出費)や時間や労力を浪費することは無意味であるだけでなく、有害である。  


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