浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

時事評論 2001/7月号から
地方からの発信

「都会と地方」

 都会と地方と言うと、地方の首長のひがみととられそうであるが、それほど単純なものでもない。都市住民から地方のエゴとか甘えと見られていることに対しては、今こそしっかりと反論しておかなければ、この国がおかしくなってしまう。

 道路特定財源の使途を広げよう、一般財源として使うことにしようという議論に対しては、ガソリン税や自動車重量税を負担している自動車のユーザーの声も聞かなければの議論もあるが、それ以外にも大きな問題がある。

 道路の整備は大体終わった、特に、車がほとんど通らないような、地方の高速道路は無駄だという議論がある。これが道路特定財源見直しの有力な根拠にされている。地方では大都市のように一定の地域に固まって人が住んでいるわけではないので、町と町の間は人の住んでいない山の中を通る道路が結ぶことになるのは当然のことである。高速道路の整備が、地方における定住条件とさえ言える。地方の立場から申せば、大都市部の高速道路網の整備がひととおり済んだから、道路特定財源による道路整備の役割は終わったと言われたのでは、「お先に失礼、あとはよしなに」といったようなもので、これこそ都会エゴそのものである。

 ここで「都会エゴ、地方エゴ」と言うと、いかにも都会人種と地方人種がいるかのようだが、そうではない。都市住民だって、一昔前又は一世代前は地方住民であったのであり、職業生活を終えたら地方に戻りたいという人たちだって多数存在する。戻りたいと思った時には、地方のほうは既に荒れるに任されていて、産業は衰退し若者は残っていないということになっているかもしれない。

 地方の道路整備はもういいかげんにして、むしろ都市環境の整備に国費を投入すべきだという意見がある。そのとおりにすると、定住条件としては、地方に対して都市がますます有利になり、さらなる人口と産業の集中がなされる。反対に、定住環境としても地方はますます衰退する。それでいいのか。国としてのグランドデザインのありかたを今こそ真剣に考えなければならない。

 道路特定財源の問題に限らないが、日本の大新聞の論調が大都市に軸足を置いていることも指摘される。本質から離れた指摘のようではあるが、こういったことも見逃してはならない論点のひとつではある。


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