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河北新報2006.2.11
疾走12年から 第5回

全国知事会

「闘う」姿勢身に付く

「改革派」が先導
 知事をやっている12年の間に、全国知事会が大きく変わった。政府主催で年末に開催される知事会では、総理大臣はじめ閣僚に各県から要望を申し上げ、その回答を承って終わり。夏の知事会主催の会合は、各県回り持ちで開催される。配偶者同伴の懇親会もあって、会合の前後は和気あいあい。しかし、中身は型どおりというものであった。「ここではあまり発言しないのがいいのです」との先輩知事からのご示唆もあった。

 それがいつごろから変わったのだろうか。高知県の橋本大二郎知事、三重県の北川正恭知事、岩手県の増田寛也知事など、「改革派知事」と称される人たちがリードするようになって、雰囲気が変わり始めた。

 公式の知事会とは別に、「地域から変わる日本」、「地方分権研究会」といった、知事プラス学者がメンバーの非公式グループがいくつかできてきた。そんな場に私も参加して、彼らとの交友を深めていくうちに、「改革」とか「闘う」という姿勢が身に着いてきた気がする。

  2003年夏に岐阜県高山市で開催された知事会は、入り口に「闘う知事会」の旗が並ぶものものしい雰囲気。ホスト県である岐阜県の梶原拓知事(当時)のアイディアであり、知事会の中身も「闘う知事会」にふさわしいものであった。

 折から、三位一体改革の動きが本格化し始めるころであり、知事会として、補助金廃止リスト作成の方向でまとまるほどに、議論は深まっていた。

会長選挙を提案
  それにしても、なんたる様変わりだろう。地方分権を進めるためには補助金の廃止は不可欠であり、知事会で私もそういった発言をしていた。それに対して先輩知事から「宮城県は補助金廃止してもいいほど財政が豊かでいいですね」と言われたのは、ほんの6、7年前の出来事である。

  高山市での知事会では、(埼玉県知事の)土屋会長の後継会長選びが話題になり、私も提案者となって、それまでは、話し合いで決まっていた会長職を選挙で選ぶことに決まった。知事会の闘う姿勢を鮮明にしたいという趣旨である。選挙では、立候補者は梶原知事お一人だったので、そのまま知事会長に就任ということになった。

分権推進に努力
  その梶原会長のリーダーシップで翌年開催された新潟市での知事会が、歴史に残る「深夜の知事会」であった。小泉純一郎首相の要請に応じて、「3兆円の補助金・負担金廃止リスト」を作成するための議論は、特に、義務教育国庫負担を廃止リストに入れるかどうかをめぐって白熱した。

 2日目の昼近く、時間切れ間近に採決されて、賛成多数で義務教育国庫負担を含む3兆2千億円の廃止リストの提出を決めた。この瞬間、私にも胸にグッとくるものがあったことを思い出す。隣に坐っていた石原慎太郎東京都知事が「知事会がこんなに真剣に議論するところだとは、知らなかった」とつぶやいたのも印象に残る。

  その知事会をはじめ地方6団体の悲願である三位一体改革が、昨年末、中途半端な「決着」をみたのは、残念でならない。戦後やり残したシステム改革であり、小泉首相の言う構造改革の本丸でもある三位一体改革が、国の補助率・負担率の引き下げといった姑息な手段で、3兆円の税源移譲の数字合わせをすることに、どれほどの意味があるのか。

 小泉首相のリーダーシップは、最後の場面ではしっかりと発揮されなかったことは、誠に遺憾である。 知事としての職責は終えたが、私にとって地方分権は永遠の課題である。今後とも、別な立場からではあるが、改革の実現に微力を尽くしたい。


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