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河北新報2006.2.15
疾走12年から 第6回

福祉施策

知的障害者を地域へ

施設解体を宣言
 12年前の知事選出馬の際には、「日本一の福祉先進県づくり」を公約に掲げた。実際に知事になってみると、知事として直接関わっていく場面は限定される。そこで始めたのが「みやぎの福祉を考える百人委員会」である。

 百人委員会の活動を通じて、県庁で福祉に携わる職員の意識が変わった。そんな職員が打ち出した施策には、要医療児童通学支援事業、在宅ホスピスケア、共生型グループホームなどがある。全国的にも注目され、国の施策にも大きな影響を与えたと自負できるものばかりである。

 私が知事として関わったことで印象に残るのは、2004年2月の「みやぎ知的障害者施設解体宣言」である。それより1年余前には、宮城県福祉事業団が運営する(県内最大の知的障害者施設)船形コロニーの解体宣言が出されていた。「船形コロニー解体宣言」は、入所している知的障害者本人の希望を叶えたいという、職員の真摯な取り組みから始まった。

 施設福祉から地域福祉への流れは止めようもないし、自分たちの専門性も、これからは施設介護ではなく地域支援で生かしていくことになるとの見通しに基づくものである。障害者の地域生活への移行が趣旨であるから、グループホームなどの住宅の整備、就労・デイサービスなどの日中の活動の確保、権利擁護などの支援体制整備といった条件整備が先決である。

協力の輪信じる  
  厚生省障害福祉課長時代から、私は知的障害者の地域生活には大きな関心を持っていた。知的障害というハンディキャップがあるからといって、死ぬまで施設暮らしをするのが本人にとって幸せなことなのだろうか。

 条件が整備されれば、地域での生活は十分に可能である。そうなれば、入所施設の必要性もなくなる。そんなことを著書にも書き、講演でも話してきた。だから、知事という立場で宮城県の知的障害者施策の方向として、そのことを宣言するということには、大きな意義を感じたものである。

 「せっかく入所させた子を追い出すのか」「軽い障害ならともかく、重度障害者には地域生活は無理だ」などの批判も寄せられた。疑問を持つ方々には、地道に説明し、納得していただくしかない。重い障害がある人でも、地域生活は十分に可能であるという実践の積み重ねによって、必ずや、理解と協力の輪が広がっていくことを信じて疑わない。

温めた構想結実  
  知事として、手応えを感じて進めていった施策が、共に学ぶ教育である。障害がある子どもも、本人の選択により、養護学校ではなく普通学級で学んでもらう。この問題については、教育委員会と地道に粘り強く話し合いを進めた記憶がある。

 最終的には、教育委員会も理解を示して、共に学ぶ教育の報告書をまとめ、05年度からは県内19校で23名を対象にしたモデル事業が開始された。障害児を受け入れる学級に補助教員を配置し、健常児と障害児が同じ教室で学び合う。対象となり得る障害児の数に比べれば、モデル事業の対象はごく限られている。その意味では、小さな出発であるが、その持つ意義は大きい。

 「解体宣言」を発した時には、厚生省時代から温めてきた構想が、ここ宮城県で実を結ぶ可能性を感じた。知事になって良かったと思う契機は、ごく限られているのだが、この場面は、私にとっては忘れられないものとなっている。全国の関係者の注目を集めながら、解体宣言の中身の実践、共に学ぶ教育が推進していくことを心から願っている。新しい私の立場からも引き続きの支援をしていきたい。


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