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河北新報2006.2.17
疾走12年から 第8回

4選不出馬

陳腐化自ら断ち切る

惰性の恐ろしさ意識
2005年8月20日、「四選出馬せず」を表明した。一般には、四選出馬確実と見られていたので、唐突感をもって受け止められたようである。私としては、知事になった時から「3期12年が区切り」との思いがあった。3期目の選挙を終えた日には、「今期限り」と心に決めていた。

 4期目もやろうと一度ぐらいは思っただろうと聞かれるが、一度もなかった。「選挙に出れば楽勝だったのに」とも言われるが、「だからやる」というものではあるまい。知名度は高いのだから、よほど高齢になったり飽きられたりしない限り、選挙は回を重ねればますます楽になる。「それだから、自分からは辞めにくくなる」という危うさのほうを強く意識していた。

 3期12年というのは、決して短い期間ではない。知事就任時は細川護煕首相。現在の小泉純一郎首相は7人目の首相である。知事に任期制限はない。であればこそ、任期については本人が厳しく律する必要がある。惰性で知事を続けてはならないし、自信過剰になっていないか自省することも求められる。

「VIP」の快さ  
  長くとどまれば、権力は腐敗するとは言わないが、陳腐化するのは事実である。組織としては、知事が浅野であることを既定事実として頼ってしまう。本人にも、当初ほどの斬新さは期待できない。県民も、変化を望んでいるかもしれない。

 本人ベースで言えば、知事以外の仕事もやった上で人生を全うしたいという思いがある。これはわがままなのだろうか。自分の本分を知らない無知なのだろうか。57歳の若さで知事を辞めるのは、もったいないと言われることもある。私からすれば、57歳は転職の最後の機会だという気がしている。

 「知事職、お疲れさま、大変だったですね」と、ねぎらいの言葉を掛けてもらう。決まり文句のこの呼び掛けに、つい、「別に大変ではありませんでしたよ」と答えたくなってしまう。本音ベースで言えば、知事業の大変さより、知事であることの快さのほうが勝っている。

 実体以上に「偉い」存在として祭り上げられる。VIP待遇の快さは、今の普通人の立場から見ると、なおのこと分かる。だから、辞めにくくなる。知事業は、続ける方が楽なのである。この辺は、自分としてはかなり意識していた。

尽きぬ感謝の念  
  実際に、知事をやっていて大変だと意識したことはない。「給料もらっているのだから」が口癖だったが、給料をもらってやる仕事に楽なものはない。それと同程度の大変さならあるが、それ以上ではない。朝のジョギングの効果も大きい。続けられるほど、知事業には肉体的、時間的な余裕があるということ。ジョギングが、ストレス予防の役割を果たしたということもある。

 不謹慎に聞こえなければいいのだが、知事業を大いに楽しんでやらせてもらった。やりがいという点でも大きいし、人にも仕事にも恵まれたと思い返している。知事でなければできなかった貴重な経験は、数限りなくさせてもらった。感謝、感謝である。12年間、寝込むような病気はせずに、毎日毎日、元気いっぱい、目いっぱい活躍できたことは、誰に感謝すればいいのだろう。

 これからは、宮城県社会福祉協議会会長、東北大学客員教授、そして4月からは慶応大学湘南藤沢キャンパス総合政策学部専任教授として、新しい仕事に携わることになる。マスコミ関係、講演活動もできればやってみたい。57歳で、こういう挑戦ができることに無上の喜びを感じている。


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