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月刊年金と住宅2001年11月号
新・言語学序説から 第12回

「日記について」

 日記なるものを初めて書いたのは、一体いつの頃だったのだろう。「書いた」というよりは、「書かされた」のが最初だったはずだ。夏休みの宿題としての日記、はたまた絵日記。

 この絵日記というのがどうにも苦手だった。文章の部分はともかく、それにふさわしい絵をつけなければならないのが苦痛だった。親に描いてもらったことも何回か。先生はちゃんとお見通しだったと思う。それにしても、なんで日記に絵をつけなくてはならないのだろう。今でも疑問であり、そして不満でもある。

 ともあれ、日記を書くという作業は、初めは外からの強制で始まる。それが習慣になるかどうかは、その子どもの環境と心がけ次第。我が家では、姉二人も含め、まがりなりにも日記を書くような雰囲気があったような気がする。特に決まった日記帳はなかったが、書いたりやめたり、ぐだぐだと続いていたようだ。

 「続いていたようだ」と書いたのは、その日記帳が雲散してしまって手元にないからである。宿題以外の日記を全然書かなかったわけではない。図書館から借りてきた本で、「僕の大事な日記クン」といった調子で毎日の日記が始まるのがあって、私も一時期それをまねして「ボクのかわいい日記クン」と書いていた時期がある。それを姉に見られて、「日記クンなんておかしい」とからかわれた記憶がある。だから、確かに小学生の頃も日記は書いていたはずではあるのだ。



 高校生ぐらいになると、本格的に日記を書くようになる。この辺になると、自分だけの秘密のにおいが出てくる。もちろん、夏休みの宿題ではないのだから、誰かに読んでもらうことは予定していない。むしろ、誰にも読まれたくはないと思いつつ書くものである。

 それが父に読まれていた。なぜ分かったかというと、私の日記の誤字が父の字で直してあったのである。怒るより先に、苦笑してしまった。誤字をみつけたら直さずにいられなかったのだろう。「直してくれてありがとう」と私が言った覚えもない。よく覚えていないが、なんとなくうやむやにしてしまったような気がする。



 実は、高校三年生の時の日記だけが手元にある。ある女性への想いと受験勉強の苦労の記述で埋まっている。幼い書きぶりもあるし、結構まともなところもある。読んでいると、35年前の自分自身の日記というよりは、誰か他人の書いた小説のような気がしてきて、ハラハラドキドキしたり、感激して涙が出そうになったり。全く、不思議な現象ではある。

 それにしても、人はどうして日記など書くのだろう。将来の自分に読んでもらって、感激させるために書いていたとはとても思えない。そうではなくて、その時その時の思いの吐き出し口としての日記ということはある。書かないと思いがたまってしまって、おかしくなるからという面はあるかもしれない。日記は、徒然草の兼好法師の如く、「徒然なるままに」書くというよりは、むしろ忙しい時ほど書きたくなるような気もする。

 古今東西、日記は文学作品としても大いに活躍している。「アンネの日記」、「三太郎の日記」、「更級日記」などなど。学識がないから、すぐにはこれぐらいしか出てこない。私が面白く読んだ日記は、」実は、そんな有名なものではない。高校時代に読んだものだが、同じ高校生が書いた日記である。驚くべきことに、40年近い月日を経て、その本が今手元に残っている。


 一つは,加藤諦三さんの「高校生日記−都立西高生の青春」である。「高三コース」の付録にこの日記の抜粋がついていて面白かったので、単行本を買ってきた記憶がある。発行元は秋元書房、この出版社、まだ存在しているのだろうか。定価220円。 「加藤諦三さんは、都立西高出身、三浪して東大に受かったサムライだが、その中学・高校時代は、いたずらし、ガリ勉し、恋をし、失恋し、青春を謳歌して、まことに自由闊達。本書は加藤さんの中学・高校時代の六年間の日記を、受験に苦しむ高校生や、青春に自信喪失した高校生諸君に清涼剤を贈るつもりで、編集したもの」と解説にある。恋といい、 受験といい、まさに私自身の高校生日記と同じである。この日記を読んだのが契機で、加藤さんは私にとってある種のヒーローになった。大学に入ってからも、彼の著書を何冊か読んだ。一時期、かぶれたのである。その彼は、何十冊もの著書がある評論家として現在は名を成している。

  もう一冊は、「お母さん合格よ−一高校生の受験報告」というもの。著者は多分仮名なのであまり意味はないが、五条耀子さんという人。これも秋元書房で、定価200円である。  「五条耀子さんは岡山の高校生。東京の親類の家に下宿して、東京の高校に転学し、同時に予備校に通って受験に専心することにしました。本書は、五条さんがお母さん宛てに書きつづった二年間の奮闘日記です。先輩の東大生の献身的指導、居候のつらさとホームシック、何回かのスランプとストレス、失敗を重ねる無謀な時間割等々、興味はつきません」というのが、この日記の趣旨。最後の部分で、彼女が東大に現役で合格し、「オカアサン ゴ カクヨ」という電報を打つところでいつも泣いてしまった。

  「いつも」と書いたが、そう書くほどには何度か読み返した日記である。自分だってこういうハッピーエンドを迎えたいという一心で、高校三年生の私は、けなげにもこの日記を参考書のつもりで何度も読んでいたらしい。いまや私の次女が五条さんと同じ高校二年生。娘にこの日記を読ませたら、一体どんな反応を示すのだろうか。

  四十年も前の本が現れたのに興奮してしまい、ついつい寄り道をしてしまった。話を現在に戻そう。そうです、今、私は毎日欠かさず日記を書いているのです。「浅野史郎・夢ネットワーク」というホームページ上に、「ジョギング日記」を掲載している。

 そもそもは、「月に1,2回しか更新しないホームページなんて誰も見やしない」というご意見が寄せられたことが契機である。小泉メールマガジンには内容やアクセス数では敵わなくとも、更新頻度では負けはしないと決意した。毎日更新を果すためには、日記しかない。6月24日から始めて、これを書いている今日現在も毎日更新は途切れていない。さあ、いつまで続くか。  なお、ホームページアドレスは、http://www.asanoshiro.org/ です。


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