浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金と住宅2002年4月号
新・言語学序説から 第16回

「日本語の乱れについて」

 日本語の乱れについて書く。そう書いているお前自身の言語の乱れはないのかと問われれば、返す言葉がない。そうは言っても、あえて書く。書かざるを得ないほど、最近使われている言葉の乱れには、私の心がかき乱されるほどである。

「マジ」 
  これは、落語家同士の仲間内での会話が語源ではないかと推測している。ばかげたことを真剣にやっている相手を、少々からかって言う時に使われた。「あいつ、渋谷の駅前交番で、「渋谷駅どこですか」って聞いてやんの。それもマジで」というような場面。つまり、ふつうなら、冗談でふざけてやるようなことを真剣にやることの表現である。「マジ」は「真面目」の短縮形と考えられる。

 こういった語源を知る立場から聞くと、若者達が「マジ?」というのを、英語の「リアリー?」、日本語では「ほんと?」というのと同義語的に使っているのが、とても気になる。気になるというよりも、気に入らない。違和感でいっぱい。


「巨人・阪神は、巨人が勝っています」  
  ナイター結果を伝えるニュースを聴いてみると、こういう表現がある。内容としては、「巨人が勝ちました」というべきところをこういう言い方をする。過去形で言えばいいところを、現在進行形の言い方をするのである。ほとんどの場合、文脈上、過去完了ということは理解できる。しかし、夜10時ぐらいのニュースでは、今も試合やっているのか、終わって結末がついたのかわからないこともある。「過去形で言うべきところを現在進行形で言う」というのは、実は、至るところでなされている。気をつけて聞いてみるといい。


「浅野知事が参りました」  
  これは宮城県だけの現象なのかどうか。わが宮城県内でのいろいろな会合で、こういう紹介のされ方をして、何度か「えっ」と思わされた。県が主催の行事に私が出向く場面ではない。私が来賓として行っているのに、こういう紹介をされる。つまり、言っている人は、「参る」を尊敬語と理解して使っているのである。言われた私自身が、「こういう場合は、「いらっしゃいました」と言うんだよ」と教えるのもどうかと思うので黙ってはいるが、どうしたものだろう。


「すべからく、こうなっています」  
  こういう言い方をされて、「どういう意味かな」といぶかしく思ったのだが、論者はどうも「すべて」というような意味で使っているらしいことに気が付いた。これも誤用である。「すべからく」は、漢字で書けば「須」である。つまり「必須」の須であるので、「すべからく・・・すべし」と続く話法であるべきである。


「したがいまして」、「つきましては」、「よりまして」・・・  
 これらについては、「議会答弁について」のところで既に書いた。不適切な丁寧表現である。「したがって」という接続詞は、「従う」という動詞とは既に縁を切っている。したがって、「したがって」はあくまでも「したがって」なのである。

 「この問題につきましては、・・・」というのもおかしい。「・・・に関して」という意味の「ついて」は「付く」といった動詞から来たものではないはずである。「この問題については、・・・」と言っても何の問題もない。高貴な方の前でそういう表現を使っても、全く失礼にはあたらない。勝手に日本語を変えて欲しくない。「台風によって被害を受けた」を、丁寧に言おうとして「台風によりまして被害を受けました」というのがおかしいのは、前のふたつの例と同列である。


「注文のほうはどうなっていますか」  
  20年ほど前、九州の観光バスに乗ったときに、そのバスガイドが、名詞のあとにしきりに「ほう」をつけてガイドをする。とても聞き苦しかった。「ちょっとあなた、「ほう」というのを全部なしで言ってご覧。全く意味は変わらないから。つまり、あなたの使う「ほう」というのは、不要な、邪魔な、不快な言葉なんだよ」と言ってやりたかったが言わなかった。その時は、こういう言い方は九州地方の方言なのかと思っていたのだが、今は若い子(特に女性)の多くが使う。

 「まず、注文のほうからいただいて、お金のほうはあとからお願いします。コーヒーのほうですが、お砂糖とクリームのほうはおつけしますか。お席のほうは、あちらのほうでお願いします」。喫茶店でこういう言い方をされて、めまいがした。ただ、この中で、最後の「ほう」だけはOKだと思う。

  「ほう」は「方」であろうから、「あちらのほうから飛んできた」というのは正しい表現である。この用法で「ほう」なしにして、「あちらから飛んできた」でも通じるようであるが、ちょっとニュアンスが違う。つまり、「ほう」は「あたり」といった漠然とした感じを出している。こういった用法以外では、「ほう」は全く不必要なものである。


鼻濁音  
  これは言葉の用法ではない。「ガギグゲゴ」の発音のことである。「ガッコウ」の「ガ」が濁音で、「カガク」の「ガ」が鼻濁音。特に、若い歌い手が歌の中では、ほとんど鼻濁音を使わないのが気になる。鼻濁音が使えないのではなさそうだ。なんとなく、鼻濁音より濁音のほうがかっこいいと思っているらしいのが気に入らない。

 ごくごく最近の歌手は全然わからないので例に出せないが、松田聖子さんの歌が特に顕著。「ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る」を聖子さんは「グ」を鼻濁音、「が」を濁音で歌っているが、逆が正解。彼女の歌は本当にうまくて、私も好きである。だからこそ、この辺が残念なのである。

 日本語の発音には、濁音と鼻濁音の両方があって、それを使いこなしてこそふつうの日本人である。日本語を勝手に変えて欲しくない。


「世論(せろん)」  
  私はこれを「よろん」と言ってきた。ところが、最近ではNHKのアナウンサーまでもが「せろん」とのたまわる。もともとは「輿論」であったもので、当然、「よろん」と読む。今、ためしにワープロで「せろん」と打って変換してみたら「世論」が出てきた。もちろん、「よろん」と打っても「世論」、「輿論」、「与論」が出てくる。

 「せろん調査」という言い方を聞くたびに、私とすればかなりの違和感を感じる。誰か、この辺で正しい言い方に判定を下して欲しい。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org