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月刊年金時代2002年10月号
新・言語学序説から 第4回

「謙遜について」

 知事になどなる前のこと。厚生省の役人時代である。出版関係に勤めるMさんとの会話の中で、私が聞き手になって、毎回ゲストとの対談を雑誌で連載するというアイディアが出た。Mさんが、「でも、聞き手のほうが目立ってしまうから、この企画はだめ」と言ったのに対し、私が「そうか、俺はスターだからな」と答えた。その時のことをMさんは、私が宮城県知事になった際に、仲間が持ち寄ったお祝いの言葉をまとめた「誕生文集」の中で紹介している。

 タイトルが「謙譲の美徳に欠ける人」である。「謙譲の美徳がこれほど欠けている人間もいない。その時私は気が付くべきだった。謙譲の美徳が邪魔をする職業とは何かを。それは芸能人と政治家で、浅野さんは後者の道を選ぶことになったわけである」とMさんは書いている。

 確かに、政治家は、謙遜していたのでは、商売にならない。選挙では、自分ほど適任な候補はいない、自分ほど立派な男はいないということを、誰の前でも堂々と言わなければならないのだから、謙遜などということとはどんどん遠くなってしまう。

 厚生省の先輩、Aさんの選挙応援に行った時のこと。Aさんの演説は、「どうも、私は政治家になりきっていなくて・・・」とか、「地元のために働いていないと言われているが・・・」とか、謙遜というか言い訳に聞こえるものであった。これでは応援している周りが、元気をなくす。私の応援演説では、「福祉と言えば、国会議員ではAさんしかいない。介護保険制度を作ったのはAさんで、他県の人もみんなAさんに感謝している」と訴えた。それで元気づいたのは、誰よりもAさんであった。そのあとの演説では、謙遜はかなり影をひそめていた。それもあってか、見事当選。

 とはいっても、普通の生活の中で、謙遜の言葉がないと、常識を疑われ、尊敬も受けない。かといって、あまり露骨に謙遜するのも、嫌味になる。この辺のバランスがむずかしい。

 「浅野さん、ハンサムですね」とほめられたとする。「いやいや、そんなことないです」というのでは、面白くもなんともない。「いやー、自分ではちっともそう思わないのですが、みんながそう言うんですよね」と答えてみたりする。もちろん冗談である。謙遜しているようで、ほめ言葉を正面から肯定している。この受け答えのコツは、明らかに冗談での受け止めとわかるようにすること。そうでないと、ものすごく嫌味になる。

 「浅野さん、女性にもてるでしょ」への対処は、「ええ、顔のわりにはもてますね」というのが結構気に入っている。「いいえ、それが、全然もてないんですよ」というよりは、よほど気の利いた謙遜になっていると私は思うのだが、どうだろうか。

 日本的謙遜の仕方というのに、時々、気になることがある。「つまらないものですが・・・」と言いながら渡すおみやげ、「ほんのお口汚し程度で・・・」と勧めるお料理、「ふつつかものですが、よろしく」と娘を嫁に出す母親などなど。そんなつまらないものならいらないとか、まずい料理を食べろというのかとか、できの悪い娘を押しつけるなとか、まともに対応すれば、こうなる。それはそれ、一つの決まり文句、ルールのようなものなのだから、字義どおり受け取ってはならない。

 私が本気で気になるのは、役所の職員が、転勤や退職の際に述べる「大過なく」の言葉である。「おかげさまで、四十年近く、大過なく勤め上げ、本日、退職ということにあいなりました」というたぐいの挨拶。「大過なく」ということは、毒にも薬にもならないような仕事ぶりだったんだなと茶々を入れたくなってしまう。「仕事に挑戦する中で、いろいろ失敗もしましたが、胸に響く成功も収めることができました。失敗してくさらず、成功しておごらず勤め上げられたのは、同僚、先輩のおかげであり、心から感謝いたします」と言ったほうが、ずっとスマートである。謙遜も入っていて、いい挨拶だろう。

 自分自身で自覚していないはずはない美人が、「私のような不細工な顔で・・・」と言う場面には、げっそりしてしまう。誰もが認める大金持ちが、「生活に困っているものだから」と言うのも同じ。お金をせびられるのに予防線を張っているわけじゃないだろうなとか、ひがんでしまうのも仕方がない。

 謙遜の言葉を字義どおりとって、えらい目にあったことが何度かある。 「酒はとても弱いので・・・」と言うYさんの言葉をまともに受け止めて、一緒に飲んでいたら、とんでもない。飲むは飲むは、なんぼでも飲む。差しつ差されつしているうちに、こっちのほうが参ってしまった。

 カラオケスナックで。「歌は、全然だめなんです」とKさんが言うから、こっちは調子に乗って、一人で歌いまくる。相手にも何度か勧めるうちに、「そうですか、それじゃ仕方ないですね」といやいやながら歌ったのを聴いて、びっくり仰天。プロ並みの歌唱力。はんぱじゃない。その前にうれしそうに歌った私は、一体なんだったんだと思って、落ち込んでしまった。

 話題が趣味のジョギングに及んで、「ところで、Tさんは皇居一周、どのくらいで走るんですか」と初対面のTさんに聞いたら、「私なんか、全然遅くてだめなんです」との答え。それでもしつこく聞いたら、「ええ、23分ぐらい」とのこと。私なんか、一所懸命走って27分かかる。それでは私のは「走り」じゃなくて「歩き」と言わなくちゃいけないんですねと言いたくなっってしまった。

  こういう例は、いくらでもある。ことほどさように、謙遜するというのは、むずかしい所業である。なんでも、卑下して謙遜すればいいというものではない。

  よーし、私もがんばって、謙遜上手になろう。いつの日か、「俺はこんなに謙遜がうまいんだぞ」と威張ってやろう。と書いて、これが論理矛盾であることに気が付いた。


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