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月刊年金時代2002年12月号
新・言語学序説から 第6回

「悪口について」

 全体主義の恐怖政治が行われている某国で、大統領が演説していた時に、群集の中から「大統領のバーカ」という声が発せられた。その声を発した男は、その国の官憲によって逮捕され、裁判では死刑の判決が下りた。単なる名誉毀損で死刑とは重過ぎる判決ではないかとの問いに、裁判官は、「いいえ、名誉毀損ではなく、国家機密漏洩罪で裁いたのです」と答えた。私の好きなジョークの一つである。「悪口について」というタイトルで、このジョークを思い出した。

 名誉毀損で思い出した。ジョークではなく、実際にあったこと。宮城県が開催し、費用も負担した、酒食が供される「懇親会」に出席した中央官庁の役人などの個人名の開示を求める情報公開訴訟で、宮城県が敗訴した。懇親会への出席者については、個人のプライバシーが問題になる余地はないから、出席者名は開示せよとの判決である。私は、「控訴せず」の判断をしたので、判決は確定し、個人名が明らかにされた。

 問題は、宮城県が作成した書類には、実際には出席していない人の名前も使われていたことである。懇親会が「カラ」だったり、水増しだったり、ともかく、なんらかの理由で、出席していない人が「出席」になっていた。名前を使われた人は怒った。「名誉毀損」と言う人もいた。

  一方で、ありがとうの声も。こちらは「民間人」。知事からごちそうになり、大変名誉なことだと思った。そのことを友人に自慢していたのに、信用してもらえないでいた。「今回、名前が出て、やっと嘘でないと認めてもらいました」。つまり、人によって、「名誉」の中身が違う。

  これとは別のホントの話。Qさんが怒って私に言う。三流週刊誌に、「Q氏の隠し子がハワイにいる」と書かれたが、嘘だ、名誉毀損で訴えるとのこと。「そうですよね、Qさんに限ってそんなことはないですよね」と言う私に、「そうだよ、俺の隠し子はハワイじゃない、ニューヨークにいるんだ」。

 前記の懇親会は、「官官接待」と呼ばれるもの。出席した事実がないのに「出席」とされ、その名前が公になったことをもって「名誉毀損」と本気で怒っていいのは、そういった「官官接待」を一度も受けたことのない人だけかもしれない。さもないと、「ハワイじゃない、ニューヨークだ」、「その懇親会は出てない、出ていたのは別な懇親会だ」という笑い話になってしまう。

 話を、「悪口について」に戻そう。先日、評論家の佐高信さんから、著書の「タレント文化人150人斬り」(毎日新聞社)が送られてきた。「辛口評論家」の佐高さんだが、この本は極めつけである。月刊「噂の真相」に佐高さんが連載したものをまとめたものだが、実名で「タレント文化人」をまないたの上に載せて、斬りまくっている。登場回数の多いのは、(敬称略で)猪瀬直樹七回、ビートたけし六回、小林よしのり五回、曽野綾子五回、吉本隆明四回、司馬遼太郎、堺屋太一、長谷川慶太郎、田原総一朗各三回などである。

 100回分までをまとめた「タレント文化人100人斬り」(現代教養文庫)も、著者から98年夏に送られて読んでいた。今回は、それ以後の50回分を追加したものである。だから、読むのが二度目という悪口もあった。「ここまで言っていいのだろうか」というのがある。Aさんは悪い人で、そのAさんと仲良くしているBさんは悪い人、といったような、やや無理やりの悪口もある。それにしても、あれだけ悪口雑言を言っている相手と、佐高さんはテレビや座談会で同席して談笑しているのには、感心してしまう。

 これだけ悪口が言えるのには、度胸がいる。自分に自信がなければならない。悪口の相手とは、「気まずい」という以上の関係になってもいいという覚悟がいる。相手側から返り討ちに遭う危険も引き受けなければならない。ふつうは、この最後のところがあるから、悪口はみんなの前では言わないで、陰でやることになる。悪口を言うのは、自分にとって損だから言わないのである。

 個人的にも、佐高さんとは親しいからわかるのだが、彼の悪口は、ネチネチ型ではない。ずばっという切れ味である。だから、彼自身は悪口ではなく、批評と思っているのではないか。悪口は、言っているほうには危険が及ぶが、悪口満載の本を読む側は、ただただ面白いだけではある。いずれの日か、自分がその俎上に載ることを考えない限りは、の話であるが・・・。

 知事という立場になってみると、悪口は言われ放題という思いがある。県議会、マスコミなど、これは悪口というよりは、批判するのが本来の役割だから仕方がない。だから、腹が立つということは、めったにない。

 逆に、面と向かっての悪口、批判が入らなくなるのが、知事の座であるということにも気が付く。組織の中では、私の上司にあたる人がいないのだから、批判どころか助言すらも入りにくくなっている。こういった条件の中にずいぶんと長く身を置いているので、悪口への免疫が弱くなっているような気がする。これは、心すべきことだろう。

 最近は、外からの悪口は、別な形で結構聞こえてくるようにはなっている。「最近」というのは、インターネットを使いはじめて以降ということである。インターネットの「掲示板」と言われるサイトで、勝手きままな表現が飛び交っている。

  私だけが標的ではないが、個人攻撃、言いたい放題の悪口が、数多く書き込まれている。基本的に匿名であるので、言っている本人は姿を隠している。これは、決してフェアではない。私は「便所の落書き」と呼んでいる。建設的な批判ではない。これは、匿名ということと大いに関係がある。書かれたものは、不特定多数が目にすることになる。インターネットの有用性の陰の部分とでも言おうか。

  悪口は、やはり、罪のないものがいい。そして、仲間うちで言い合って酒の肴にでもするのが丁度いい。もし、表に出すなら、佐高さんのように覚悟を持って出すしかない。もっと正直に言えば、言うのはいいけど、言われるのはいや。


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