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月刊年金時代2003年4月号
新・言語学序説から 第10回

「勘違いについて」

 言葉の聞き違いや、意味のとりちがえ、そこから発するとんちんかんな行動。多くは大笑いで終わるのだが、時に重大な悲劇をもたらす。そういった、言葉に関する勘違いは、自分の周りでも毎日のように起きている。  歌の歌詞の誤解は、誰にでもある。私が最も敬愛するエッセイストである向田邦子さんの作品に、その勘違いそのものをタイトルにしているものがある。「夜中の薔薇」と「眠る盃」である。前者は、シューベルトの「野ばら」の「童は見たり野中の薔薇」を「夜中の薔薇」と歌っていたお友達の話、後者は、「荒城の月」の一節「めぐる盃」を「眠る盃」と覚えていた向田さん自身の話。

 向田さんのエッセイのうまさは、夜中に子どもが見た薔薇は、どんな薔薇だったのだろうかまで話を広げていくところにある。そして、むしろ、夜中の薔薇でいいんだという結論にまで持っていく。荒城の月の眠る盃にしても、亡くなった父上がお客さんを家に呼んでの宴が果てた後、酔っ払って寝ている父上のそばで、盃に入ったお酒が揺れているということを書く。うーんとうなってしまううまさである。

 文部省唱歌「ふるさと」の一番、「うさぎ追いしかの山」を歌う現代の子どもは、「うさぎって、食べたらうまいんですか」と聞くとか。「うさぎ美味し」と歌っている。

 野口雨情作詞の「シャボン玉」の勘違いはすごい。「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ」というのを、シャボン玉が、まず飛んで行った、次に、屋根が飛んで行ったと思い込んで歌う子がいるのだそうだ。台風の歌と思っている。シャボン玉どころか、屋根までもが飛ぶほどの強風。そのあとの歌詞は、「屋根まで飛んで、壊れて消えた」だから、壊れたのは屋根のほうだということで、辻褄が合う。勘違いというより、すごい発想と感心するほうが正解なのだろう。

 あまりにもでき過ぎた勘違いとして、忘れられないのが、私の遠い親戚のおばさんの話。作り話は得意ではない純朴なおばさんなので、実話であると私は信じている。

 彼女が初めて北海道旅行をした時の話。団体旅行ではないので、案内人はいない。札幌駅で稚内行きの列車を探していた。ここで笑ってはいけないのだが、彼女は稚内を「しいない」と思い込んでいた。駅員さんに「しいない行きにはどっから乗ったらいいんですか」と尋ねた。駅員さんに、「ああ、わっかないですね」と言われた彼女は頭に来たらしい。「なんだ、駅員さんのくせに、わかんないとは、バカにしてんのか」と口にまで出したかどうかは忘れた。何回かの、多分相当珍妙なやりとりの末に、彼女は無事稚内行きに乗れたという結論だけは覚えている。

 九年前、私が初めて選挙なるものに出た時も、勘違いが多かった。県北のある駅前で、朝早い時間に、元気に「おはようございます」だけを叫んでいた。選挙運動ができるのは八時からで、その前は、候補者の名前の入ったたすきを掛けることも、自分の名前を言うこともできない。そこに、七十過ぎの男性がやってきて、私に話しかける。そうか、知事選に出ているのか、俺の息子も県庁で仕事してんだとか言いながら、すこしばかりお話をした。そして、その男性、「それじゃ、がんばれな○○さん」と、私の相手方候補者の名前を言って去って行った。 勘違いもはなはだしい。彼は、私の熱心さに共感して、私に投票するはず。しかし、彼の認識では、その私は浅野史郎ではなくて、○○さん。これでは、行って帰って二票の損ではないか。それにしても、私の知名度がないから間違われるのだとがっくり来た。しかし、次の瞬間、そうか、○○さんのほうも知名度がないということになるのだなと気が付いて、安心したことを思い出す。

 選挙カーの中での勘違いもたくさんあった。そもそも、うぐいす嬢が私の名前を間違える。ドライバーの後ろから方向の指示をする男が、「そこそこ、そこ右だ、右だ。右に左折しろ」。ドライバーだけではない。選挙カーに乗っている誰もが疲れていたということ。元気だったのは、候補者の私だけだったような気がする。

 昨年のできごとであるが、新潟県のある豪雪地帯の村の「雪国はつらつ条例」を、ある教科書が「雪国はつらいよ条例」と書いてしまったという話。これもスペシャル級の勘違いである。厚生省出身で、自ら校正のスペシャリストと豪語している私としては、許し難い、信じ難い校正ミスである。これが世の中の関心を集めて、この村に行ってみたいという問い合わせが殺到したというから、禍を福とした部分もある。村長さんが、「雪国はつらいよ常例」を全国から募集したということも報道された。

 十年以上前のことだが、ある雑誌の記事で、エルヴィス・プレスリー(実際は違う名前)が、エルヴィスナカポツプレスリーと書かれてしまったという話には、笑ってしまった。電話で原稿を受けたのだろう。「・」を「なかぽつ」と読み上げられて、そのまま書いてしまった新米編集者。まさかそんな勘違いはしないだろうなと思って、電話で原稿を送ったのだろう。その思い込みも間違いの元である。ファックス送稿なら起こらなかった悲劇というか、喜劇。 これも十年以上前の有名な話。あるテレビ局の女子アナが、「一日中やまみち」と読んだ。この原稿は縦書き印刷なので、からくりがわかりにくいが、次のかぎ括弧を横書きにしてみたら、勘違いの原因がわかる。アナウンサーが読んだ原稿は、「旧中山道」であった。勘違いなのか、単なる無知なのか、ここではあえて問わない。

 これを私は笑えない。子どもの頃、バスの運転手の横に張ってあった標語のようなものを、私は「踏切一日一停車」と読んで、踏切は一日に一回だけ停車すればいいんだなと理解していた。これは単なる無知である。「一旦停車」と正しく読めるまで、数年かかった。

 こんな例を思い出す限り書いているだけでは、どうも芸がない。そう思いながらも、枚数が尽きてしまった。


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