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月刊年金時代2012年6月号
新・言語学序説から 第101

「仙台弁について」

 幼少時から高校三年生まで仙台の地で育った私は、仙台弁のネイティヴ・スピーカーである。今は、標準語もどきをしゃべっているが、仙台に帰り、友人たちと会えば、そこでの会話は仙台弁。12年間の宮城県知事時代にも、公式行事以外は仙台弁を使っていたような気がする。

 仙台弁は、「ズーズー弁」と呼ばれる東北弁とは違う。仙台以外の宮城県内で使われる言葉とも違う。無アクセントのところは、福島や北関東のイントネーションと似ているが、それ以外は独自の方言である。

 仙台弁の特徴としては、濁音が多い。「んだがら、うぢさ来いでば」、「行ぐ、行ぐ」という会話になる。「負けた」は「まげだ」、「元から」は「もどがら」、「いやだこと」は、「やんだごだ」といった具合。濁点のついた言葉は、音声言語として、なんとなく「田舎くさい」、今の表現でいえば、「ダサイ」というのだろうか。たとえば、「ホステス」というと高級クラブにいる女性だが、「ボズデズ」と濁点がついて言われると、三流キャバレーになる。もっとも、いくら仙台弁に濁音が多いといっても、「ボズデズ」とは言わない。濁点の語感のことだけ言おうとした作り話である。

 一般的に、方言では語尾に独特の言い回しがつくが、仙台弁の場合は、「勉強するっちゃ」(勉強するよ)、「勉強すっぺし」(勉強しましょう)、「勉強すんだべ?」(勉強するのでしょ?)、「学校さいぐべ」(学校に行こう)、「授業終わったよわ」(授業終わったぜ)といった言い方になる。「今日はやー」(今日はね)、「誰や?」(誰だ?)と使われる「や」も仙台弁独特。「学校さ行がい」(学校に行きなさい)、「勉強しねげね」(勉強しないといけない)は応用編。これらの用法は、仙台弁だけでなく、宮城県内全域で使われる。(この原稿はパソコンで書いているが、賢い「ワード」では、ここで書いた語尾の部分に赤線を引いて表示される。ワード的には、こういう語尾は日本語として正しくないから注意喚起ということらしい)  

 この後、仙台弁の用語解説をするつもりだった。書いているうちに、仙台弁にまつわる思い出が浮かんできたので、そのことを書いてみたい。

 私は、父親の故郷である宮城県登米郡北方村で五歳まで育って、その後、母親の故郷仙台に移ってきた。近所の子が、お店屋に入って行くときに、「もーし」と声を掛ける。「ごめんください」でなく、「もーし」なのを不思議なこととして聞いていた。「もーし」は「もの申す」という武士用語から来ている。そのことを大人になってから知り、仙台弁は由緒あるものと、一拍遅れで感心したものである。

 子どもの頃を思い出しついでに、仙台では「じゃんけん、ぽん」ではなく、「いしけん、ぎっ」である。汚いものに触った後のおまじないは、「どーやくべんべん、カギかった」と唱える。これも仙台弁の一種なんだろうか。

 夏休みなどには、北方村に遊びに行った。父の実家で、一緒に遊ぶ子どももいないのでポツンと縁側に坐っていたら、おばさんが「いながだから、とぜんだっぺな」と声を掛けてきた。初めて聞く言葉で、意味がわからない。たぶん、「暇でしょ」ということだろうとあたりはつけたが、変な田舎言葉だなと思った。「とぜん」は「徒然」のことだとわかったのは、高校で「徒然草」を習ってから。これも由緒ある言葉なんだと、一拍遅れで感心した。

 その北方村には、軽便鉄道が走っていた。宮城県知事時代に、廃止される軽便鉄道を惜しむ会のようなものに来賓で招かれた。「『地下鉄こ』、『新幹線こ』とは言わないが、地元では『軽便こ』と呼ばれて、愛されていた」というご挨拶をしたのを思い出す。「こ」というのも、生活に密着した愛すべき仙台弁である。

 母方の祖母は、正統的な仙台弁を話す人だった。私のお気に入りは「おみょうぬず」である。「お明日」のことだが、「また明日」、つまり「さようなら」として使う。「明日」に「お」をつけるところが、趣深い。他にも、美しい仙台弁がある。おばあちゃんがしゃべるのをテープに録っておけばよかった。

 現代版(当時)仙台弁がある。昭和30年代、私の通っていた中学校、高校でよく使われていた。「しっけだ」というのだが、失敗をしたり、先生に注意されたときに、思わず出てしまうつぶやき言葉。「こんなことしてたら、入試受かんねど」(先生)、「しっけだ」(生徒)。という場面が思い浮かぶ。「しっけだ」を連発する生徒に、先生は「今日は時化でねえど」と返すが、仙台育ちの先生は、「しっけだ」を使ったことがない。あの時代の男子生徒だけが使った、時間限定、使用者限定の流行語的な仙台弁という不思議な言葉である。今、仙台の友人と会っても、この言葉は出ない。昭和20年代の「アジャパー」のようなもの。今は誰も使わない。

 関西弁は21世紀になっても、日本中で広く使われているはずだが、仙台弁は、ほろびゆく方言という運命をたどるだろう。今の若い世代は、仙台弁を使わないのだから、仕方がない。仙台弁を残すことは、文化活動の意味を持つ。仙台弁のことを考えると、仙台の友人の顔が浮かぶ。故郷仙台の景色が蘇る。私にとっては、昔を偲ぶよすがである。生きている限りは、仙台弁を(たまには)使うことにしよう。公的にも、私的にも、それが義務のような気がしてきた。

 最後に、次の仙台弁の意味は何か。「あぺとぺ」、「いずい」、「うるかす」、「おだづ」、「おどげでね」、「おしょすい」、「がおる」、「ごっしゃぐ」、「たがぐ」、「ちょす」、「むつける」、「もぞこい」。正解は次号で。 「いずい」の模範回答。  英語のUncomfortableに近い。右利きの人が、左手でボタンをかけようというときの感じ。「しっくりこない」、「やりにくい」ということを表す形容詞。もっぱら、身体が感じる状態のことを形容する。「違和感」、「落ち着かない」に近い。北海道でも「いずい」は仙台弁と同じ意味、同じ用法で使われている。唯一違うのは、北海道の人は、「いずい」を標準語と信じているらしいこと。


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