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月刊年金時代2012年12月号
新・言語学序説から 第107

「独り言について」

 「よーし、がんばって原稿書こう」と言いながら、この原稿を書き出した。これが独り言である。誰も聴いていないところで、声に出してしゃべりだすこと。「声に出す」ということだから、言いたいことを日記に書くのは、独り言ではない。

 こんな独り言を私は言ってない。心の中では、大声で言っているが、声に出してはいない。「誰も聴いていないところで、声に出して」というのが独り言の定義だとすると、私も独り言の経験者である。

 夜、寝ている時に、独り言を言う。これを「寝言」というが、私は常習犯である。はっきりと聴き取れる。夢の中の場面で、相手に説教をするという形である。妻から、翌朝、「なんだか、立派なご意見をおっしゃっていたようです」と言われる。私自身も、自分が説教しているのを意識している。起きてからは、寝言を言っていたのは覚えているが、何を言ったかまでは思い出せない。

 もう一つの独り言のパターンは、風呂場でのものだが、これには節がついている。つまりは、一人で、いい気分で歌を歌うということ。のどの具合を医学的に確認する。「今日は、ちゃんと声が出ているな」と安心するためである。舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫の往年の名曲を三番まで歌う。歌詞をまちがえずに歌えるか、記憶力が衰えてないことを確かめる目的もある。

 三番目のパターンは、悪態・罵倒や掛け声を、自分自身に向けて発するというものである。「チックショー」、「クソッ」、「ヨッコラショ」のたぐい。前二者は、男性専用だが、最近は女性も使うらしい。

 私の場合、「ジーザス・クライスト!」というのをよく使う。恐れ多くも、イエス・キリスト様のお名前である。留学中のアメリカで、学生仲間が使うのを真似ているうちに、癖になってしまった。何か失敗をしたときに、自分自身への悪態として、口をついて出てしまう。辞書で"Jesus Christ"を引くと、「(卑)これは驚いた! ちくしょう!」という訳がちゃんと出てくる。

 アメリカで覚えたといえば、もう一つ「ウープス」というのがある。大きな英和辞典で調べれば、"woops!"「(間投詞)やっちまった! しまった!」という訳がついている。アメリカでは、私もよく使っていたが、日本に戻ったら、いつの間にか使わなくなった。「独り言まで英語なんてイヤミだな」というのを気にしたわけではない。誰も聴いてないのだから、他人の耳を気にする必要はない。それでも、自分自身で、「アメリカかぶれ」という気がしたのだろう。いつの間にか、woops!は言わなくなった。

 これと反対の例になるが、伊奈かっぺいのトークで紹介された事例。青森県津軽出身の女性が東京に出てきてウン十年。「あーら奥様どちらへおでかけですか」、「お買い物ですか、お気をつけて、いってらっしゃいませ」とかしゃべっているところで、机の角に足をぶつけて、「いでー!」だと。熱いものを触って、「あっちち」というのと同じように、反射的に出てしまうから、エエカッコができない。東京に出てきて、「すっかり、なまりも取れて」と自信のあった女性も、そうはいかなかったという一幕。

 私の独り言、四つ目のパターンは、ラジオ番組のDJでの語り。宮城県知事時代に、地元仙台のコミュニティFM局の「ラジオ3」で、毎週水曜日の19時半から30分、「シローと夢トーク」という番組でDJを7年間続けた。毎回かけるのは、エルヴィス・プレスリーの曲だけ。曲の合間の話もエルヴィスに関するものだけ。リスナーがいるし、スタジオではスタッフも聴いているので、これは独り言ではない。時々は、ゲストとの掛け合いもあった。

 知事を辞めて、番組も終了したが、その後、病気が回復したのを記念して、番組を再開した。仙台で放送する番組を、横浜で制作するのだから、制作手順も特別なやりかたになる。横浜の自宅の書斎で、私のDJの語りの部分だけを、4回分まとめて録音する。それを仙台の「ラジオ3」に送る。そこで、担当者が曲を入れて編集し、番組として放送するというものである。

 自分で録音機を操作し、曲もかけないで、たった一人、「次にお送りするのは、エルヴィス最大のヒットのこの曲です」などとしゃべる。リスナーが番組を聴くのは一月先のことである。しゃべっていても臨場感がない。これも独り言の一種じゃないだろうか。そう思いつつ、マイクに向かっていた。

 以上、私の独り言経験だが、こんなものは、本物の独り言ではない。めったにないが、電車の中やお店で、本物の独り言を語る人をみかける。こちらは知らんふり、見てみないふり、聴いて聴かないふりをする。本物の独り言への対応方法としては、それが一番いい。なんだか、気味が悪い。本物の独り言とは、そういうものである。

 ふつうの人でも、酔っ払ったりすると、独り言を言うのは珍しくない。酔っ払ってもいないのに、独り言が多くなるのは、ある種の病気による症状の可能性が高い。認知症や統合失調症など、妄想性疾患をともなう病気の場合に顕著である。自閉症などの発達障害を持った人にも、独り言は多く見られる。こちらのほうは、ある程度、治療で治ることはある。無理に治さなくとも、本人も周りも、それほど大きな支障はないのだから、これはこれで、一つの癖ぐらいに受け止めてもいいのではないか。

 ついでの話です。小説やドラマで、昭和の時代を扱ったものの中には、携帯電話は登場しない。ここで携帯電話があったら、物語の展開はまるで違ってくるのではないかと思うことがよくある。そんなドラマに登場する人物が、タイムスリップして、現在の場面に現れたとする。携帯電話なんて知らないのだから、「なんで、みんな独り言ばっかり言ってるんだ?」と不思議に思うだろう。

 原稿を書き終えて、「なんだか、無理矢理、独り言のテーマに合わせたような原稿になったな」と独白する「つぶやきシロー」(知っている人が少なくなったなあ―これも独り言)である。


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