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月刊年金時代2003年5月号
新・言語学序説から 第11回

「嘘について」

 三月二十日、宮城県庁が「県庁ぐるみ」で行っていた不正支出の返済が完了した。

  私が宮城県知事になって二年目の平成七年に、食糧費問題が発覚した。県庁で「食糧費」と称して使っていた予算が、本来の目的でない支出に流用されていたというものである。その後、出張旅費の流用、いわゆるカラ出張問題も明るみに出た。

  そういった不正支出のうち、平成五年度から七年度分の八億五千万円を国と県に返還することとされた。まずは、県職員互助会が立て替え払いをして、その互助会に対して、千人以上の管理職が、管理職手当てから毎月三万三千円から七千円返済をしてきた。利子も入れて九億円以上。その返済が三月分の給料をもって完了したということである。

  役所的には、「食糧費の不適切な支出」と言っていたが、子どもにもわかりやすく言うと、「あのね、書類に嘘書いたの」ということになる。そのことは、この連載で何回か書いた。まさに、嘘なのである。

  嘘が暴かれたのは、宮城県の情報公開条例に基づいて、関係書類の開示請求がなされたからである。請求したのは、仙台市民オンブズマン。懇談会を開催したという料理屋の領収書を調べたら、五人でビール六十本、お酒五十本プラスワイン数本などという、信じられない内容が出てきた。これは嘘だろうということになり、仙台市民オンブズマンから財政課の職員が訴えられた。各自千五百万円県に払えという住民訴訟である。

  「職員を訴えるのは本意ではない。しかし、県庁が嘘を認めないから、こういった方法をとらざるを得ない」ということが、訴状の最後に述べられていた。個人の嘘ではなくて、「県庁ぐるみ」と言っている。宮城県庁全体で受け止めるべきものだということは、そのとおり。私は庁内に命じて内部調査を徹底して行い、その結果、間違いを認め、不正支出とされたものの返済をすることとした。それが、先日、やっと終了したのである。

  嘘の結末がこうである。嘘はいずれは露見する。その後始末はつけなくてはならない。嘘はワリに合わない。だから、嘘をつくのはやめよう。行政において、そういうことになるのは、情報公開の制度ができたからである。その意味では、情報公開条例は、行政のありようを変える大きな力になった。

  情報公開の制度をいじくって、情報開示の幅を狭める。運用に手加減をして、非開示を連発する。そんなことをすると、行政組織内に、これなら嘘がばれないという安心感が生まれる。嘘に嘘を重ねる行政になりかねない。だからこそ、情報公開に聖域を作ってはならない。これが、情報公開により暴かれたスキャンダルによって、悩みぬいた私が達した結論である。

  行政内部の嘘だけではない。なんと嘘が氾濫していることか。まずは、うそつき食品の横行である。日本ハム、雪印食品は、BSE(狂牛病)問題に便乗して、偽装牛肉で大もうけをたくらんだ。その嘘がばれて、雪印食品のほうは、会社そのものの消滅という事態に追いこまれた。まさに、嘘は引き合わない典型である。外国産鶏肉を国内産と偽った例、南魚沼産のコシヒカリが、生産量の何倍も出回っているというブランド偽表示・・・。あげれば、きりがない。

  わが宮城県では、韓国産生かきを宮城県産に混入した偽装表示事件が、昨年、大きな問題になった。混入したことを「自白」した業者のほかに、「灰色業者」と呼ばれる業者もいる。後者のほうは、県として告発をしたが、偽装で嘘をついた上に、さらに嘘を重ねるのかという腹立たしい思いが残る。

  うそつき食品は、一般の消費者には、なかなか見抜けないのが難点である。DNA検査とか、トレーサビリティ(由来調査)といった新しい手法は開発されているが、完全ではない。まさに、生産者、流通者と消費者の信頼関係の問題である。その意味では、地産地消、生産者の顔が見える関係というのが、これからますます重要になってくるだろう。

  名画の贋作、グッチ、ルイビトンなどのブランドのにせもの、「鼻くそ丸めてマンキンタン」の類のニセ薬、効かない薬・・・・。食品に限らず、うそつき商品が氾濫している。それだけでなく、日常生活においても、嘘は氾濫しているし、まるでだまし合いのような状況である。だから、むしろ、嘘はつかれるのがあたりまえ、どうやってだまされないようにするかが大事と言いたくもなる。

  そういった「真実」を言い当てている歌がある。水木かおるの詞を、西田佐知子がノン・ビブラート唱法で歌う「東京ブルース」は、「泣いた女がばかなのか、だました男が悪いのか」で始まる。恋愛における男女関係だけではない。女を消費者に、男を生産者に替える。中小企業と銀行、国民と政治家に替えて歌う人もいるだろう。つまりは、だまされて泣かないようにしないといけないということ。

  許される嘘もある。がんの告知を本人に告げないというのは、その典型である。「嘘も方便」というのを、あまりに拡大してはいけないが、大事なことである。見合いで相手を断るときの「私には、あまりに立派過ぎて・・・」というのは、聞かされたほうとしても、その「嘘」を見抜かないと間抜けなことになる。「なんでそんな立派な私を断るんだ」と言ったのでは、身もふたもないということ。

  衆議院の解散についての総理大臣の嘘、公定歩合の変更についての日銀総裁の嘘、人事に関する人事権者の嘘、これらは世間でも許される嘘である。「そんなこと考えてもいない」と言った直後に解散、変更、人事というのがあっても、だまされたと思ってはいけないらしい。

  それとは別だが、化粧がうまい女性、かつらの男性、コンタクトレンズの女優、二股恋愛のモテモテ男、こういったプライベートの関係では、だまされ続けたほうが幸せということもあるようだ。「東京ブルース」の二番は、「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった」と続く。


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