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月刊年金時代2013年4月号
新・言語学序説から 第111

「匿名性について」

 2006年4月、私は慶応大学総合政策学部教授に就任した。最初に担当した授業は「政策恊働論」。授業の履修者は約200名である。学生が提出する「出席カード」には、授業の感想や、質問、意見を書く。「先生の授業はとても面白い」、「たくさんのことを学ばせてもらっている」というのが多く、初めての授業の不安を払拭してくれた。学生の評価が高いのに自信を強くしたものである。

 それが暗転したのが、ネットで寄せられる授業評価の記述である。大学では、すべての授業について、学期の中間と学期末に、学生による「授業評価」が行われる。自由記述欄には「学問のにおいが全くしない」、「講師の経験のみを語る、それも自慢話」といった厳しい批判が並び、新米教授は身の縮む思いであった。

 「出席カード」の高評価と「授業評価」の低評価は、どう考えればいいのか。同じ学生たちの見方であるのに、こうも違う。答は単純で、記述が実名か、匿名かである。出席カードは学生の実名入りである。授業にケチをつけたら、教授の覚えが悪くなり、成績評価にも影響することを恐れるから、ここはお世辞でも書いておこうという心理が働く。一方、授業評価はネットを通じて匿名でなされるので率直に書いていい。つまりは、匿名の授業評価のほうが、お世辞抜きの正しい意見ということになる。この時の「授業評価」を見て反省し、以後の学期では、「授業評価」でも高い評価を得るようになったことも付言しておく。

 これと反対の事例、つまり匿名であるがゆえに、誹謗中傷、悪口雑言やりたい放題となるのが、ネット上の言説である。  2009年6月、ATL(成人T細胞白血病)を発症し、治療のため入院した日に「2ちゃんねる」上に「浅野史郎が急性白血病でマジヤバい状態だそうです」というタイトルの投稿欄に500件を超えるコメントが掲載された。その一部を引用する。

 「別に死んでいいよ。こいつは元高級官僚だから。宮城県知事時代は借金増やしのパフォーマンス野郎でしたし。僕は元々嫌いです」、「このキチガイが苦しみ抜いてくたばった日には、記念にいつもよりいい物食べようと思ってる。1年くらい苦しんで死ね、キチガイ売国奴」、「いやー、神はいるってことですな! こいつのドナーなんかになるやつは神にあだなすものとして必ずや正義の鉄槌をくらうので覚悟してね」・・・。ついつい引用が多くなってしまった。この種のコメントが、1日分で596件掲載されている。

 ブログの匿名性についても考えてみたい。たくさんのブログがネット上で公開されているが、タレント、政治家、その他有名人のブログが実名掲載であるのは例外的であり、大半のブログは作成者の実名を明かさない。ペンネーム的な偽名か、まったくの匿名である。

 自分のブログが身近な人に知られると恥ずかしいので、匿名にしているというケースが多い。普段の生活の中では言えないようなことを、ブログを通じて見知らぬ誰かに聞いてもらいたいということで、ブログを立ち上げている人もいるだろう。普段は言えない本音を思う存分ブログに書くことができる。これは、匿名性の利点である。

 ネット上の情報だが、アメリカでは、実名でのブログが多数派であるとのこと。ブログを自分の専門分野での知名度を上げるための方策と位置づけているのだから、匿名では意味がない。自分の見識や政治的心情を公開するためにブログを運用している人にとっては、匿名での意見表明など考えられない。ブログの匿名性ということについて、日本とアメリカとではずいぶん違いがある。両国における文化の違いを反映していると見ることができる。

 犯人がネットの掲示板を介して他人のパソコンを遠隔操作し、襲撃や殺人などの犯罪予告を行った事件があった。サイバー犯罪と呼ばれるものであるが、これなどは、ネット通信における匿名性を最大限に利用した犯罪である。この事件に限らず、ネットの匿名性が犯罪に関わる案件は多数あり、捜査当局とすれば、匿名性の壁をどうやって打ち破るかが、喫緊の課題となっている。

 犯罪と少し関わるのが、組織での内部告発における匿名性の問題である。組織の不祥事に気がついた内部の人間が、組織のトップ、警察、マスコミなどにその事実を通報するのが内部告発であるが、それを実名でするか、匿名でするかによって、内部告発の効果が違ってくる。

 宮城県知事の頃に、宮城県警のOBからマスコミ各社に匿名での内部告発があった。県警の犯罪捜査報償費は実際には使われておらず、ほとんどが裏金になっているという内容である。匿名ではあったが、マスコミは通報者を特定し、実名も把握していた。しかし、本人の承諾がない中では、実名を報道できない。

 私は通報者の自宅を訪問して、本人に実名の公表を促した。「私はそんな通報はしていません」ということで、事実上、実名公表は拒否された。退職したとはいえ、警察組織を敵に回すのは怖いということはよくわかる。実名公表を無理強いはできない。  宮城県警は、内部告発が匿名でなされていることを理由に、「通報者は実在しない、だから告発内容には信憑性がない」という立場をとった。結果的には、内部告発の内容は、犯罪捜査報償費の不適切執行の証拠とはならなかった。

 内部告発を実名ですることに、通報者としては躊躇がある。組織からの「報復措置」が怖い。これは、2006年に「内部告発者保護法」(正式名称は「公益通報者保護法」)ができてからも、あまり変わらない。一方、匿名での告発では、信憑性がないと見られる。通報者にとっても、むずかしい判断が求められる。

 匿名性の問題は、言語学の範疇を超える。心理学、社会学、情報論、犯罪学など幅広い分野に関わる。今回は、ほんの一部だけ切り取った議論である。なお、この原稿も匿名ではなく、実名で書かれていることを確認していただきたい。


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