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月刊年金時代2013年7月号
新・言語学序説から 第114

「正論について」

 橋下徹大阪市長の「慰安婦発言」が、ひとしきり、世間を騒がせた。「世間」には外国も含む。外交問題にまで発展する騒ぎである。

 橋下発言の何がいけなかったのか。橋下氏は間違った発言をしたか。否である。失言というべきものがあったか。(ほぼ)否である。彼の発言内容は、正論といっていいことだし、彼自身、そう思っていただろう。

 しかしながら、次のような発言はどうだろうか。「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命がけで走っていくときに、どこかで休息をさせようとしたら、慰安婦制度が必要だというのは誰でもわかる」。こういうのを「理路整然たる非常識」という。現職市長の発言としては、常識を外れている。

 失言なら、ごめんなさいといって、撤回もできる。沖縄の海兵隊の司令官に、風俗業活用を勧めた発言がこれにあたり、橋下氏は謝罪し、発言を撤回した。しかし、厄介なことに、慰安婦に関する「正論」は撤回できない。なぜなら、内容は間違っていないのだから。正論を批判されたら、反撃せざるを得なくなる。反撃のやり方によっては、ますます深みにはまってしまう。「言えば言うほど・・・・」という状態である。

 橋下氏の場合、批判を受けてからの対応ぶりも感心しない。自分の真意が伝わっていないことを強調するためか、「マスコミの大誤報」、「国民の日本語読解力不足」、「毎日新聞はバカ新聞」などと、見当違いの反論が見られた。八つ当たりか責任転嫁にしか聞こえず、みっともない。

 ある部分だけ取り出してみれば、もっともらしい発言であっても、発言全体の文脈の中で理解すると、その「正論」に疑義が生じることがある。「慰安婦発言」全体は、まちがっているようには聞こえないが、沖縄での風俗業活用発言と合わせて理解すると、「兵士の性欲処理の方法としてのフーゾク(慰安婦)の必要性」という真意が透けてみえてくる。これは女性蔑視のみならず、男性(米兵)に対する侮辱でもある。

 そもそも、正論だったら堂々と発言していいというのがまちがいである。場所と状況によっては、正論であっても発言は控えたほうがい場合がある。

 学者、評論家やマスコミなら許されても、政治家の発言となると「ノー」ということもある。今回の橋下氏の発言がそれにあたる。

 ホンネと建前というのがある。橋下氏は沖縄の普天間基地に行った時に、海兵隊司令官に「もっと風俗業を活用して欲しい」と言ったら、司令官は「風俗業活用は米軍では禁止だ」と断られた。橋下氏は「そんな建前みたいなことをいうからおかしくなる」と返したらしい。建前ではなく、ホンネで言ってくださいよということなのだろう。

 日常の会話では、親しい友人同士でもない限り、ホンネより建前のほうが多い。「いつでも遊びにおいでください」、「ふつつかな娘ですが」、「ほんとにおきれいですね」などなど。それぞれ、お愛想、謙遜、お世辞であるが、これがホンネでないことは、言われた相手も承知している。

 こういった建前としての言葉遣いは、生活の知恵である。「あなたは不美人ですね」とホンネを言ったら実もふたもないし、二人の関係はそれっきりになってしまう。そういうホンネを漏らす困ったチャンに、私は「この正直者めが!」の言葉を投げつける。

 政治の世界では、どれがホンネで建前かわからないような駆け引きが横行する。建前論ばかりでホンネを言わない政治家は、信頼を得られないし、軽く見られることが多い。大学の授業で、「学生たるもの、遊ばずに勉強するのが本分だ」といった建前論をふりかざす教員(私のこと)は嫌われる。どうも建前論は分が悪いようだ。

 「建前」の英訳はprincipleである。原理・原則、主義・主張、根本方針のこと。理想といってもいい。であるから、建前論をバカにしてはならない。現状あるがまま(=ホンネ)を言うだけでは進歩がない。政治は理想を追う営みであるのだから、政治の世界で建前論がなくなってはいけない。これは生活の知恵以上のものである。

 ホンネと建前ぐらいは、容易に見分けがつく。これはホンネだなとか、建前で言ってるだけだというのは、すぐにわかる。元に戻るが、正論というのは、それほど単純ではない。厄介な代物である。

 ある問題をめぐっての正論は、いくつもある。こっちも正論のようだし、あっちも正論に聞こえる。正論はいくつもあるのだから、A氏の展開する正論は、B氏、C氏、D氏の正論又は言動を批判する芽を含んでいる。正論は毒を含んでいるのである。正論は相手を攻撃する刃を隠している。

 橋下発言でも、そういった部分がある。「なぜ日本だけが特別な性奴隷を利用していたと批判されるのか。世界各国の皆さんに、日本も悪いけれど、戦場における性の問題をしっかり考えて欲しい」、「アメリカだってイギリスだって、現地の民間業者の女性を利用していたのは間違いない。ドイツだってフランスだって慰安所方式をとっていた」。これは正論だろう。間違った事実でもない。しかし、今、この状況で、国政政党の日本維新の会共同代表である橋下徹氏が、言うべきことであるとは思えない。

 外国からの反発があるというだけではない。性の問題という微妙なこと、女性を侮辱することにつながる発言を政治家がマスコミに語るのは、控えたほうがいい。正論であっても、中身が問題である。他人を傷つけるような内容であってはならない。いたずらに、外部からの反発を招くような性格のものであってはならない。政治家の発する正論だからこそ、心しなければならない。

 ことほどさように、正論というのは、危ないものである。「理路整然たる非常識」ともなるし、「この正直ものめ!」と叱られることにもなる。

 この辺で、正論ばかり書き連ねた原稿を終わらせることにしよう。ご批判歓迎!  


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