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月刊年金時代2004年5月号
新・言語学序説から 第23回

「 シンポジウムについて」

 シンポジウムにおいて、コーディネーター役を務める機会が多い私であるが、今年の二月下旬に滋賀県大津市で開催されたシンポジウムは、私にとっても特別なものであった。

  「アメニティフォーラムINしが」という、障害者の地域生活支援に関わる人たちが多く集まるフォーラムでの出来事。四時間半ぶっ続けのシンポジウムのコーディネーター役を務めた。私なりに「快挙」と自画自賛しているが、それはこんな長い時間の連続シンポジウムの司会を務めたということだけではない。それよりも、千五百人の参加者の緊張感がずっと途絶えなかったことのほうが、「快挙」と呼ばれるにふさわしい。

 このシンポジウムは「首長セッション」として企画しているもので、今回で七回目を迎える「アメニティフォーラム」の呼び物になっている。前回は、「障害者福祉は介護保険で」というタイトルの下、七人の知事による二時間半のシンポジウムを展開した。今年は、八人の知事プラス六人の市長・町長に膨れ上がったので、二部構成にした。途中休憩すらなしのノンストップ四時間半。私がコーディネーターを買って出た。

 今回の「アメニティフォーラム」の全体テーマは、「地域生活を理念だけで終わらせないために」というものであった。その場で、私から「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を発表するという話題性もあったが、十四人の首長の顔ぶれそのものがマスコミの注目を浴びることになった。

 シンポジウムでは、パネラーの顔ぶれなどの話題性も、結構大事な要素である。それに加えて、大勢の前で演じるということが前提だから、まずは目の前の聴衆に訴える契機がなければならない。それぞれのパネラーの魅力ある話し方というのは、シンポジウム成功の必要条件である。

 不肖私は、シンポジウムの司会業としては、結構年季が入っており、場数も重ねている。そもそもが、「仕切りたがり屋」の性向がある。鼎談での司会も含めると、一年に十回近くはコーディネーター業を引き受けていることになる。それとほぼ同じ回数だけ、パネラー側に回る機会もあるのだが、ふだんコーディネーター業に関わっているだけに、シンポジウムの内容よりも、コーディネーターの舞台回しのほうが気になって仕方がないという精神状態になってしまう。

 その舞台回しである。私なりの哲学では、一番大事なことは時間配分と考えている。シンポジウムは集団演技であり、全体として調和が取れていなければならない。一方において、隣りに坐るパネラー同士はライバル関係にもある。あいつよりも、俺のほうが受けがよくなければ済まないという心情が支配的になる。いずれにしても、コーディネーターの役割としては、パネラー一人ひとりへの平等な時間配分ということになる。

 「お一人、十五分でお願いします」と言って最初のパネラーに振ったら、次のパネラーにも同じ時間でお願いする。そして、その時間をきっちり守らせる。そのためには、コーディネーターは断固として仕切るべきであり、時間が来たら、「時間です」ということを、発言者に何らかの方法で示す必要がある。必需品はストップウオッチ。シンポジウムの事前打ち合わせでは、パネラーには時間厳守のお願いと同時に、私がストップウオッチを保持していること、時間オーバーしたら容赦なくストップをかけることを申し上げておくことを習慣にしている。

 こういった一連のことを、ゲーム感覚にしてしまうというのも、私が取り入れている方法である。時間管理の様子自体を、パネラーにも聴衆にも楽しんでもらうという感覚と言うべきかもしれない。もちろん、本当のところは、シンポジウムを「言葉の格闘技」と密かに呼んでいる私なので、「ゲームであるからには厳格なルールが支配する」ということに忠実なだけのことである。

 話を「アメニティフォーラム」に戻そう。四時間半ぶっ続けの首長セッションで、千五百人の聴衆の緊張が途切れなかったと書いた。コーディネーターである私の仕切りが素晴らしいからという自慢話をしようというのではない。実際、コーディネーターの仕切りだけでは、聴衆の関心を長時間つなぎ止めることはできない。答は単純。壇上で発言する首長の話が面白いからである。

 トピックとなっている課題、今回は障害福祉の問題であるが、そのことに対する知識と思い入れの深さがあることは、当然の前提である。知事として、市長として、障害福祉の仕事に関わっており、自分なりの方針、見解を持ち合わせている。実践もしている。それだけではない。そのことを自分の言葉で、わかりやすく、そして魅力的に伝える能力をお持ちであるということ。

 みんながみんなこうではない。部下が作成したペーパーを頼りに発言する方のほうが、多いのではないか。なにしろ、知事とか市長とかはエライのだから、壇上で恥をかくわけにはいかない。というより、部下としては、トップに恥をかかせてはならない。そうやって展開される、失敗しないだけのパフォーマンスが面白いはずがない。こういった発言が続けば、聴衆の緊張、興味は続くはずはない。

 私の周りには、実に興味深い話を魅力的に展開する能力に長けた首長がたくさんいらっしゃる。今回は、そういった首長にお集まりいただいたのだから、成功は始めから約束されていた。そういうスターを集めてきた私もほめられてしかるべきなのだが、それよりも、なによりも、言語能力の高い首長がこれだけいることは特記していい。

 このコラムで、毎回の如く嘆いているのだが、わが国の言語能力衰退の事象。これも、際立って言語能力の高い首長が、多くの聴衆の前で魅力的なシンポジウムを展開することを繰り返すことによって、少しは改善するのではないか。そんなことも考えながら、今日もコーディネーターを務める私である。


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