浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2005年3月号
新・言語学序説から 第33

「占いについて」

 早寝早起き、朝の6時過ぎには早朝ジョギングにでかけてしまう私の日課は、TBSラジオ5時半からの「生島ヒロシのおはよう一直線」を寝床で聴くところから始まる。5時38分ごろからの「おはよう夢占い」が目玉。十二星座別の占いで、今日の運勢とラッキーカラーが紹介される。

 12月24日生まれでやぎ座の生島さんが、自分の運勢について「運勢は絶好調、やったー!」とか、「不調、困ったな」とか言ったあとに、2月8日生まれでみずがめ座の私の運勢の紹介がある。みずがめ座の紹介の時には、たまに、「宮城県知事の浅野さん、どうしているかな」といったことを付け加えたりする。この占いで、みずがめ座の運勢として何を言われようが、ほとんど気にも留めないが、「今日のラッキーカラー」は重宝している。その日のネクタイの色をこれで決めているのである。

 お前は占いを信じるかと問われれば、基本的には、信じないほうである。その私が、人生で2回だけ、街頭の手相占いに見立ててもらったことがある。

  大学4年生のみぎり、国家公務員試験を受けた後、自分としては出来がとても悪いと思いこんだ。やけ酒気味の酒を飲んで、酩酊状態であった。東京の新宿だったか、渋谷だったかは忘れた。ふと、辻占いが目に止まったので、お金を出して占ってもらったら「絶対合格する」と言う。とても信じられなかったのだが、結果は合格。実は、これが一次試験。二次試験もはなはだ出来が悪かったので、今度こそダメだと思って占ってもらった。前とは別な場所、別な占い師であったが、これも「大丈夫」とのこと。結果は合格。

 考えてみれば、占い師のほうにも、リスクはあったはず。「水難の相があるから、気をつけて」という種類の占いではない。結果はすぐ出る。〇か×か明確に出る。当たりかはずれかが、はっきりしている。はずれだったら、客(私)に怒鳴りこまれるかもしれない。リスクとは、そういうリスクである。もう36年も前のことなのに、このことは鮮明に覚えている。だから、占い信じる派になってもいいはずなのだが、そうもいかない。

 六星占術というのがある。あの細木数子さんがやっている。インターネットで検索したサイトでは、生年月日を入れると自分が何星人かわかる仕掛けが出ている。早速やってみたら、私は「水星人の+」なのだそうである。運勢も書いてあったが、「『水星人の+』でひとくくりにされる運勢なんて・・・」という考えが先に出てしまう。だから、読み流すだけで心には入っていかない。

 その細木数子さん。今や、テレビで視聴率の稼げるタレントとして、各局からひっぱりだこである。年末年始の休暇中にテレビ視聴の時間があって、何度か見せてもらったが、さすがに面白い。「ズバリ言うわよ!」ということで、有名人を目の前にして、結構どぎつい占いをする。ライブドアの堀江貴文社長がゲストの時には、「あなた、うぬぼれはだめよ」とか、「目上の人に対する際は、服装もちゃんとするという礼儀を欠いてはいけない」ということを厳しく言い渡していた。見ているこちらとしては、そういう場面がスリリングで興味が持てる。これが人気の秘密なのだろう。

 細木数子さんの場合もそうであるが、占いというだけでなく、人生相談的な部分が大きい。こういう占いならば、論理的に言って、絶対当たるのである。「女難の相があるから、女性との間にトラブルがある。気を付けなさいよ」と占ったとする。実際に女性との間にトラブルが発生すれば、占いは当たりということになる。仮に、発生しなかったとしても、それはその人が気を付けたから女難を免れた。つまりは、占いは、その面から、当たったことになる。

  後者の例は、占いのアナウンス効果である。占いというよりは、人生相談のようなものだから、被占い者(こんな言葉はない。「占いの対象になった人」の意)の行動ないし不作為を促す。占いの真価が問われるのは、こういう「人為的」要素、アナウンス効果が入らない事象についての判断であろう。たとえば、ズバリ、「今年の景気はこうなる」とか、「台風は3個上陸する」など。個人についての判断なら、前に引いた私の公務員試験結果の例のように、今更努力のしようがないことに関して、〇×を言うというもの。

  占いを信じるかどうかというのは、超自然的な現象を信じるかどうかに通じる。青森県の恐山にいるイタコは、その口を借りて、亡くなった人の言葉を話す。生前に本人のことを知らなければ言えないことを話すということで、イタコの話を聞いて、感激で涙を流す人も少なくない。つまりは、イタコの超自然的な能力が証明される事象ということになる。数年前、私もイタコに亡父を呼び出してもらったが、「夫婦仲良く暮らせよ」とか、「墓参りしてくれてうれしかった」といった内容で、「秘密の暴露」、つまり亡父でなければ知るよしもないことは、全く含まれていなかった。これでは、残念ながら、感激も薄いし、超自然的な能力を信じるということまではいかない。

  超自然的なものを信じる、信じないにかかわらず、占いブームは永遠であろう。右に行くべきか、左に行くべきか迷った時に、人は何かに頼りたくなる。人生の一大事ではないが、「おはよう夢占い」の「今日のラッキーカラー」でネクタイの色を決めるのも、余計なことを考えないで済む便法になる。出勤前の忙しい時間には重宝する。

  人は何かに頼りたい、すがりたいものであるから、占いは有用である。人生の重要な判断を占いに任せてしまうというのが、いいのかどうか、問題の性格による。悩んでいる人にとっては、自分の悩みを真剣に聞いてもらうだけで救われる部分がある。当たる当たらないは、二の次なのかもしれない。それなら、それでいいじゃないか。

  私の場合、県政の方向を占いに任せるわけには参らない。全知全能を傾けて、考え抜くことが大事。せいぜい、ネクタイ選びぐらいに占いを使うのが、いいところであろう。


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