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月刊年金時代2005年6月号
新・言語学序説から 第36

「ラジオについて」

 「年金時代」への連載の前に、別の媒体で「新・言語学序説」を書いていた。その第7回(2001年5月号)に「DJについて」を書いた。私が地元仙台のコミュニティFMで、毎週水曜日にDJを務めている「シローと夢トーク」の最終回をやったということが紹介してある。

 それから4年。実は、「シローと夢トーク」は01年の3月末でいったん終了して、02年の1月に再開した。それがこの3月にまた終了した。「4年が過ぎた」というのがミソ。4年ごとに私の本業の継続に関わる節目が秋にやってくるということと、番組終了とは関係がある。

 ともあれ、途中休止をはさんで、7年間、350回近く放送を続けてきた番組の終了であるので、いささかの感慨がないわけではない。「エルヴィス・プレスリーの曲しかかけない、エルヴィス・プレスリーの曲の話しかしない」という、世界でも珍しい究極のオタク番組である。選曲、CD持ち込み、CD演奏、マイクの調整、CMの挿入そしてDJとしてのしゃべりも、私一人でやる。「零細企業で人手不足」と言いつつも、実は、ワンマン・スタジオを楽しんでいる。

 ワンマン・スタジオにも、たまにゲストに来ていただく。しかし、そのゲストにはほとんどしゃべらせない。ホストの私がしゃべりっぱなしで、「また来週」となってしまう。言い訳をさせてもらうと、ゲストに発言を振って、答えるのに間があくと、ラジオの場合ちょっとまずい。画面がない分、音が止まってしまうと、何もなくなる。それが恐い。だから、ちょっとの間にも、私のしゃべくりで埋めてしまおうという気持ちが勝ってしまって、結果、ゲストにしゃべらせないこととなる。

 1週間に1回のこの番組、私の都合では休んだことがない。生放送と収録と、1回に2本分やってしまうので、月に2回ペースであったが、これが生活のリズムとして実に心地良かった。聴取者が少ないコミュニティFMの気楽さもある。それでも、何人かでも聴いてくれる人がいると考えるだけで、DJとしてはとてもうれしい。その番組が3月末で終わってしまった。生活のリズムがほんの少し狂い、寂しさもほんの少し。

 DJは夢であった。エルヴィス・プレスリーの曲をかけながら、DJごっこをやっていた高校生の私。趣味としても、いささか暗いところがある。それが、毎週1回、30分番組を7年間も任されたのだから、うれしくないはずがない。

 そもそもが、私はラジオ大好き人間である。ラジオに出るのも、聴くのも好き。中学、高校と、ながら族をやっていた。つまり、ラジオをつけながらお勉強。今は、一時に二つのことはできない身体になってしまったので、「ながら」ということで言えば、寝ながら聴くという意味でのながら族になった。

 お気に入りは、NHKラジオの「ラジオ深夜便」である。これは、前々回の「童謡について」で紹介した。朝3時から4時の「にっぽんの歌 こころの歌」がいい。この時間帯に目覚めるのは2日に1度、そこで「聴きたいな」と思う特集に出会うのは3回に1回、眠らずに聴き通すのがさらにその3回に1回。つまり、半月に1回ぐらいの確率。その後、4時からの「こころの時代」の出演者の話に心惹かれるのは、2ヶ月に1度ぐらい。よほどでないと、途中で再び眠ってしまうのだが。

 5時過ぎに、引き続きNHKのニュースを聴いて、5時半にはTBSの「生島ヒロシのおはよう一直線」に変える。3月号の「占いについて」で紹介したように、この番組の「おはよう夢占い」で紹介される「本日のラッキーカラー」によって、その日のネクタイの色を決めている。

 「生島ヒロシのおはよう一直線」には、全く不定期であるが、3ヶ月に2回ぐらいの頻度で生出演している。東京出張で泊った朝、赤坂のTBSスタジオまでジョギングで駆けつける。生島さんとは全く打ち合わせなし、いきあたりバッタリである。その日のニュースにコメントしたり、スポーツ談義をしたり。これがラジオ出演のいいところ。テレビではこうはいかない。服装だって、ジョギング・ウエアでは許されない。「見えない」ということは、気楽なものである。

 ラジオは、出演者にとってだけ気楽なのではない。聴取者にとっても、ラジオに出演している人は、自分の友達のように気楽であり、親しみが感じられる。テレビ出演とは違う。テレビ出演は、それだけで「偉そうな人」に感じなくもない。出演者は、テレビ越しに何万人に話しているように思えるのに対して、ラジオでは自分だけに語りかけているように感じる。これもラジオの特性と言えるのではないか。

 「生島さんの番組、いつも聴いてますよ」と私に親しげに声をかけてくれる人が大勢いる。見知らぬ土地の見知らぬ人である。「テレビでお顔見てます」という人が、3メートルぐらい離れたところから、よそよそしく話しかけてくるとすれば、「ラジオで出会い派」の人は、50センチの近さである。昔からの友達のような口調で寄ってくる。

 だから、ということでもないかもしれないが、ラジオは21世紀にもなくならないと思う。テレビが隆盛を誇っても、ラジオを駆逐することはなかった。ラジオは運転しながら、家事をしながら、勉強しながらという「ながら」ができるが、テレビはできないからといった単純な理由ではない。ラジオ特有の親しさがその秘密である。テレビはパブリック、ラジオはパーソナルという言い方も、的外れではないかもしれない。

 「ラジオ出演で十分な報酬が得られるなら、いつでも今の仕事をやめていい」などと言うと、時節柄、めったなことを言うなと叱られてしまう。しかし、半分以上ホンネではある。それだけ、私がラジオに魅力を感じているということだけは、理解してもらいたい。

  テレビでなら、いい加減な日本語でもごまかせるが、ラジオではそうはいかない。日本語が鍛えられるのは、テレビよりラジオである。今回も、むりやり、「新・言語学序説」らしい言い方をして、この稿を終える。


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