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月刊年金時代2005年7月号
新・言語学序説から 第37

「名ゼリフについて」

 心に残るセリフがある。シェークスピア劇の名ゼリフ、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」、「尼寺に行け」。歴史上の人物のセリフでも、「いざ鎌倉」、「鹿も四足、馬も四足」、「敵は本能寺にあり」といくらでもある。「少年よ大志を抱け」も名ゼリフの一つだろう。

 こういう、形に残る名ゼリフはあるが、実生活での名ゼリフは、その時は感動しても、記憶に残るものは、ごく稀である。

 厚生省の年金局課長補佐の頃、当時の正木馨審議官のセリフが心に残っている。生まれながらの障害者には、拠出制年金より低額の障害福祉年金しか出ていなかった。額の引上げが、障害者の願いであり、それにどう対処するかが、若手役人チームの課題であった。その時の正木審議官のセリフが、「断る理由は百ある、やる理由をみつけなさい」だった。

 役人は、「それは、公平の見地から、法律論から、年金理論からできません」という「できない理由」は即座にたくさん言える。やらない理由は百あるということ。意識を変えて、「やってみよう」ということになれば、理由はみつけられる。「年金保険料を一回も払っていない人に、拠出制年金と同じ額の障害年金など出せない」という「できない理由」から、「保険料の滞納が一度もなければ、拠出制年金と同額出してもいいはず」という「論理」に飛躍できたのは、このセリフのおかげだと、渦中にあった私は信じている。

 20年前、北海道庁に出向して、小山内美智子さんと出会った。脳性マヒで車椅子の彼女は、4人部屋が主流の障害者施設を全室個室で建設させる運動を成功させたところだった。「一人で泣ける場所が欲しい」というのがその時の名ゼリフ。

  結局、小山内さんはこの施設には入所せず、その後、ケア付き住宅づくりを目指し、その時に私と出会うことになる。「あのセリフは嘘」と彼女は私に洩らす。「障害者だってセックスできる場所が欲しい」というのがホンネだったとのこと。こんな率直な言い方では、名ゼリフになりにくかっただろう。

 私は、自分では名ゼリフを連発しているつもりなのだが、残念ながら覚えていない。自分で名ゼリフと思っていても、聞く人は違うのかもしれない。厚生省障害福祉課長時代の「めくるめく一年九ヶ月」で、名ゼリフも随分残したような気がしている。「みやげものはいらない、みやげ話が欲しい」というのがその一つ。

 当時は、官官接待の全盛期。各県の担当者は、厚生省の障害福祉課に手みやげ持参でやってくる。その時のセリフである。おみやげなどもらっても、何の便宜も講じられないよ。それより、情報をください。あなたの県では、自慢話になるようなどんな施策をやっているのか、「この人は」といった人材はいるのか、そういった話を持ってきて欲しい。組織にとっては、情報がいのちなのだから。

 「足下に泉あり」というのが、最近の名ゼリフ。実は、出典は忘れたが、私のセリフではない。毎年4月の県庁新入庁者への辞令交付式と研修、厚生労働省の新任研修でこのセリフを言う。「今の仕事はつまらないし、つらいけど、なんとかこなしていれば、次にいい仕事が回ってくるだろう」という考えは、公務員になったらやめなさい。今の仕事の足元を掘り進んでご覧。必ずや、豊かな泉が湧いてくるよ。これは、研修生の心に残るセリフらしくて、感想文にはほとんどが「印象に残った言葉」として引用している。

 ここ仙台で、毎年、4月29日のみどりの日に「わたしの名ゼリフコンテスト」が行われている。そのものズバリである。全国から何百通と応募のある中から選び抜いた「私の名ゼリフ」を主催者である劇団芝居小屋六面座のメンバーが読む。その中から、大賞、東北放送賞、審査員賞などが選ばれるというものである。

 今年で10回目。同じ会場で公務があって、面白そうなイベントだなとのぞいたのが始まりである。それが第4回目ぐらいだったか。それから、4、5回、審査員を務めさせてもらった。

 仲違いをしてしばらく会っていなかった父と息子。宮城県沖地震の直後に、家の近くの道路ですれ違う。車から父が、自転車に乗った息子に「おう」と声を掛ける。息子は「うん」と答えて行き過ぎる。これだけの会話、つまり、この時の「うん」が、その年の名ゼリフ大賞を獲得した。名ゼリフの歴史上、最も短いセリフである。事実の重みが心を打った。

 その翌年は、息子さんを亡くした夫婦の会話。「息子は帰って来ないとこみると、天国はよっぽどいいところなんでしょうねー」というもの。このセリフを応募者自身であるご夫婦が壇上で読んだ。劇団員が読んだのでは、大賞は取れなかっただろう。聞いている会場がシーンとなってしまうほどの感動であった。

 今年は、千歳空港から札幌までの列車の中でのおばさんのセリフ。満員の車内に立っている人が大勢いる中で、若者の旅行者2人が4人掛けの座席の残り二つに荷物を置いている。その若者に向って言うセリフ、「荷物の分は切符買ってないでしょう」。このセリフで、若者は荷物をどけた。審査員としての私が、「このセリフを言ったおばさんの勇気はすごいものだね」と評したことも影響あったかもしれない。聴衆の票数が一番多い「東北放送賞」にこのセリフが選ばれた。

 セリフを読む劇団員によっても、印象がだいぶ違う。ベテラン読み手の山内さんにかかると、詰まらないセリフが生き生きしてくる。今年の切符のセリフも、彼女の読む力で、命を与えられた。直前に、金野座長の厳しい指導の下で、1週間も練習するというのは、今回初めて知った。栄冠の陰に努力ありである。

 「わたしの名ゼリフコンテスト」は、この第10回目で一応終了。「金野座長が還暦になったら、再開します」と私が「解説」したが、これは名ゼリフとは言えない。でも、これで仙台の町から楽しみが一つ減ることは確かである。再開を期待して、今から「私の名ゼリフ」を準備しておこう。


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