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月刊年金時代2005年10月号
新・言語学序説から 第40

「選挙の格言について」

 12年前、選挙に全く疎かった私が宮城県知事選挙に立候補した。そんな時に、先輩方から聞いた言葉は、格言として頭に入ってきた。こういうのも教育の成果というのかわからないが、そんな言葉の数々。この機会にいくつか紹介してみたい。

  「選挙を通じて知事になっていく」
 神奈川県知事を5期務めた長洲一二さんの言葉。長洲さんは県民の人気が高く、後半は共産党を除く総与党体制であり、選挙は楽勝の状況であった。それでも選挙は大事と言うのだが、それは「選挙を通じて知事になっていく」からである。

 知事をやっていても、県内に出向く機会は限られる。知事選挙17日間に、県内くまなく回り、県民に演説をし、県民の声を聞く。そうした機会を通じて、さらに立派な知事になっていく。長洲さんの言いたかったことは、そういうことであろう。

 私は、この言葉が気に入っただけでなく、自分の行動の指針にしようとも思った。選挙は試練の場であり、この過程を経ることは、いい知事になるための必須条件である。

 選挙運動を全くしない、そのことが有権者に「受けて」当選した知事もあった。戦術としては有効であっても、これでは鍛えられる機会を自ら放棄したことになる。それもあってか、この知事は一期務めただけで、辞めてしまった。「選挙を通じて立派な知事になっていく」という経験をしなかったせいだろうと思っている。

  この言葉には、それ以上の意味がある。「選挙の際の図式が、その後の4年間の知事としてのありようを決定づける」というのも、その一つ。知事をやっていて決断に迷うとき、選挙において自分を支えてくれ、賛同してくれた人たちの群像を思い浮かべると、新たな勇気が湧いてくるということが私にはあった。逆に、選挙において、政党や団体、特定の個人の支えがとても大きいような場合は、こういった群像は浮かんでこないのではあるまいか。

 「選挙が終われば味方が怖い」  
  敵にいかにして勝つかということで頭が一杯になるのが選挙であるから、怖いのは敵であるはずである。しかし、選挙が終わってしまえば、敵はそれほど問題にはならない。味方が怖い。

 味方というのは、選挙の際に物心両面で応援してくれた人たちである。「分け前をよこせ」と露骨に迫る人たちもいるだろうが、それだけではない。「誰のおかげで知事をやっていると思っているんだ」と凄むことはないにしても、そういう臭いをぷんぷんさせて迫ってくる味方はいるものである。

  私の選挙に限っては、味方してくれた人たちへの見返りというものはないのだということを、身体でお示ししたということが、最初の選挙の直後にあった。味方であるだけに、こちら側が厳しい姿勢を貫くのは、とてもむずかしい。情もある。それらを振り払う時の呪文が「敵よりも味方が怖い」であった。

  「選挙の借りは選挙で返す」
  子どもの時に母親から聞いた言葉が、長じても折に触れ思い出されるのに似ているのであろうか。「悪いことすると、地獄に行くよ」、「弱いものいじめはするな」、「嘘ついても神様は見ているよ」といった種類のもの。

 記者会見で、「選挙の借りは選挙で返す」とさらりと口に出していた。母親から聞いた言葉に似て、自分で納得して確信してのものではない。ただ、関係者には脅しのようにも聞こえたかもしれない。  真意は、選挙で世話になった人には、選挙でお返しをするということである。選挙というのは、決して楽なものではない。大変な苦労をする場面であり、その際に受けた恩は忘れられない。その恩を返すのはあたりまえ。相手も大変な苦労をしている選挙において恩返しをする。そういうことである。

 この前の衆議院議員選挙においても、12年前の私の生まれて初めての選挙において、忘れがたい応援をいただいたWさん、Sさんの応援に出向いた。私の応援が、結果にどれほど効果を上げたかはわからない。しかし、私とすれば、義理を果たせて満足。そういう想いはある。

「知事になるのも大変だが、やめるのはもっと大変」  
宮城県知事になって3日目に、知事としての先輩である山本壮一郎氏を訪問した。その際に山本氏が述懐された言葉である。「自分は3期で知事を辞めるつもりだったが、周りの圧力もあって辞められなかった。あろうことか、5期20年もやってしまい恥ずかしい限りだ。」この言葉を、知事になりたてで聞いた私の心持ちを想像して欲しい。

 山本氏の場合は、県議会の幅広い支持によって知事選挙を勝ち抜いてきた。山本氏続投が議員たちの希望と一致する。だから、山本氏の一存では辞められないという図式が成り立っていたのだろう。そんな苦労があっての実感の言葉であった。

 「辞めるのが大変」、「3期で辞めるべきだった」という先輩知事の言葉を、新米知事は大変な重みを持って受け止めてしまった。「知事としては3期12年が区切り」ということが、頭の中にしっかりと植え付けられたのである。

 それから12年。8月22日に、4選不出馬表明をした。周囲は「浅野の4選出馬は確実」と決め付けていたかの如くで、不出馬表明は大きな驚きをもって受け止められてしまった。唐突、理由がわからない、無責任、辞めるな、などなどの声が聞こえてきた。

 三つ子の魂百までもというのは、こういうときに使う格言ではないのだが、選挙というものが未経験だったうぶな私に植え付けられた言葉は、最後まで私の思考形式、行動様式をしばったようである。私にとっては予定の行動である「4選不出馬」。これも、選挙に関する浅野流格言のなせる業であったのかもしれない。

 11月20日で、私の宮城県知事としての3期目の任期が終了する。次の次の回あたりから、この稿の筆者の肩書きが変わるということである。肩書きが変わっても、こんなエッセイを継続していいものなのだろうか。


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