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月刊年金時代2006年5月号
新・言語学序説から 第47

「会津弁について」

 「偽メール事件」によるごたごたから、渡部恒三先生が民主党の国会対策委員長に就任したが、今回はこのことから書き始める。

 渡部恒三先生と私との関係は浅からざるものがある。昭和58年に渡部先生は初入閣して厚生大臣に就任した。その頃の私は厚生省年金局企画課の課長補佐。時あたかも年金大改正の作業の真っ只中で、山口新一郎年金局長、山口剛彦年金課長の「山口組」の代貸しのような立場で夜も昼もない仕事に明け暮れていた。

 こういった状況の中での大臣就任である。「俺は大学入試の時だって、こんなに勉強したごどながったな」とおっしゃるぐらいに、渡部先生は厚生行政の所管事項、なかんずく、年金と医療保険の問題について猛勉強を強いられた。「21世紀になっても、社会保障を安定的なものにしておくのが、今の我々の責務である」と国会答弁で繰り返していたが、猛勉強の甲斐あって、答弁ぶりも安定したものになっていた。

 渡部厚生大臣の事務方秘書が私と同期入省の真野章君である。政務の秘書官は現参議院議員の佐藤雄平さん。彼も私と同年であり、厚生省同期会の名誉会員になっている。こういう事情もあり、歴代厚生大臣の中では、渡部先生が最も印象に残る存在になっている。

 渡部先生との関係で私にとって忘れられないのは、平成5年11月にふるさと宮城県の出直し知事選挙に立候補した時に、先生から応援をいただいたことである。私が立候補を決断した直後に、「浅野君、この選挙は選挙の常識を覆すようなものになる。風は起こる。絶対に勝てるから」という励ましの電話を渡部先生から頂戴した。立候補の決意はしたが、選挙に自信の持てなかった私は、渡部先生のこの言葉で勇気百倍、元気千倍になったのである。

 実際に選挙戦に突入してからも、何度も応援に駆けつけてくださった。「俺も選挙事務所なんぼも見で来たけど、こんなに狭くて汚くて古い選挙事務所は初めでだ。うぢのほうの村会議員選挙だってもっといい事務所使っている」といったことも演説でしゃべるのだが、会津弁でやるものだから、聞いているほうもついつい笑い転げてしまう。同じことを標準語で言われたら、侮辱されたように受け取られるかもしれない。そうそう、こういったことが、今回のテーマであった。つまり、方言の効用ということであるが、ここではあまりそのことばかりに関わらずに書き進めよう。

 渡部先生の演説は、本当にうまい。私よりも妻のほうが先に聞いていて、感心していた。最初の選挙であるから、私だけでなく、妻にとっても選挙のなんたるか、選挙演説はどうやってやるのかについて、まったくの無知という状態であった。知事選挙が始まってすぐに、妻が渡部先生の応援演説を聞いた。それが面白くて仕方がない。しかも味があって、とても素晴らしかったのだそうである。しかも、夫である私に対する応援演説だあるから、ただ単に感心するだけでなく、感謝感激しつつということになる。

 演説に味があって素晴らしいということの要因には、まちがいなく、あの会津弁がある。「会津」が「エイズ」に聞こえてしまうような、純粋の会津弁であるから、同じ東北出身者であっても、聞き取りにくい。しかし、これも会津弁の特徴なのだろうが、ゆっくりとしたしゃべりであるから、意味がわからなくはない。むしろ、聞き取りにくいから、聞き手には耳をそばだてて聞かせるという効果があるのかもしれない。

 渡部先生の選挙の際には、私は会津まで必ず応援にでかけている。千数百人入る大ホールに、通路まで坐る方が出るほどの大盛況である。渡部先生の魅力的な演説の後に私が出たり、その逆だったりだが、私の出番では実に話し易い雰囲気になっている。その時に私がしゃべる言語は、やはり、標準語というわけにはいかない。仙台弁を交えつつ、会津の皆様に渡部先生へのご支援を訴えるということになるのは当然である。

 衆議院副議長を務めていたこともあって、国会ではしばらく無所属であったが、前回の衆議院議員選挙から民主党に籍を置くようになった。そして今回の国会対策委員長への就任である。久しぶりの表舞台登場ということで、私とすれば大歓迎である。

 「偽メール事件」への対応で未熟ぶりを露呈してしまった感のある民主党であったが、渡部国会対策委員長の登場で、民主党が大人の対応になるのではないかという期待が高まったのは、まずはこの人事の直接的効果の第一であろう。その際にも、あの会津弁でのユーモアたっぷりの受け答えが、マスコミを通じて報道されたことも、あずかって大いに力があった。

 ご隠居していた長老の登場ということで、マスコミは渡部先生を水戸黄門に見立てていた。国会対策副委員長の2人を従えて、「助さん、格さんそろったげど、こごに由美かおるが足んねえな」という渡部先生の発言があった。それにちゃんと応えて、早速就任祝いの電報を送った由美かおるさんも立派なら、それをうれしそうに披露する渡部先生も役者である。これが渡部先生でなかったら、いやみに見えかねないのだが、ここでも会津弁が本領発揮である。「由美かおるさんから電報でお祝いもらってね」と始まると、周りは一緒になって笑ってしまうしかない。

 会津の地は、幕末に白虎隊が飯盛山で官軍に対しして最後まで抵抗を試みたところである。武士道が生きている。渡部先生には会津に生まれ育ったことの誇りと自負がある。それは言葉も含めての誇りであろう。だからこそ、彼の会津弁での話が共感を呼ぶのだと思う。テレビの影響で、この日本から方言がものすごいスピードで消えつつある。方言を恥ずかしいものと思う風潮は、少し変わりつつあるが、自分の土地の言葉に誇りを持てなくて、どうして土地そのものに誇りを持てるだろうか。

 会津弁の渡部恒三民主党国会対策委員長の登場を契機に、こんなことを考えてみた。


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