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月刊年金時代2006年8月号
新・言語学序説から 第50

「ミニ番組について」

 ミニ番組をご存知だろうか。民放テレビで定時までの五、六分が、レギュラー番組の放送と次のレギュラー番組との間の、いわば空白の時間帯になっている。この時間帯は、コマーシャル、天気予報、番組予告で埋められるのだが、その埋め草の一つにミニ番組がある。「世界の車窓から」といった長寿ミニ番組のヒット作があるが、あれのことである。

 そのミニ番組のナビゲーター役の話が舞い込んできた。東北の豊かな食文化を訪ねて、浅野教授が紹介するという内容である。知事時代に、スローフード運動に共感し、「食材王国みやぎ」売り込みに力を入れた実績がある。地域の文化、伝統を背景に、地元の食材を生かした食文化にも注目してきた。地産地消の大事さも説いてきた。番組を作ることの必然性に納得し、お引き受けすることにした。

 スポンサーとなるアサヒビール東北地区本部長のT氏のお話を伺って、ますます必然性を感じた。東北各地に駐在するアサヒビールの社員に参加意識を持ってもらいたいとT氏は語る。地元にどんな食材があるのか、どんな料理が自慢なのか、それを作る人たちは誰なのか、食文化はどう地元に息づいているのか、こういうことを、地元の社員たちはあまり知らないでいる。こういう情報を、社員一人ひとりが掘り起こしてくることによって、地元への理解が進み、自分たちが売っている商品にも誇りを感じることができる。なるほどと、私はうなった。

 ミニ番組のタイトルは「とうほく食文化応援団」と決まった。副題は「浅野教授と行くスローフードの旅」である。「浅野教授」という呼称にも満足である。「スローフード」を「シローフード」にして欲しいという私のリクエストが、簡単にはねつけられたのは仕方がないだろう。

 4月、5月、6月放映の12回シリーズ。東北6県、それぞれ2か所ずつ訪ねる。第1回のロケ地は、福島県会津若松市の郷土料理「田事(たごと)」に決まった。ここのB社長のお人柄がとてもいい。朴訥、シャイ、口下手ではあるが、会津の郷土料理への想いがとても強い。自分がやってきたことへの誇りもにじみ出ている。ところが、B 社長は、テレビで紹介されること、浅野教授と話すことに恐怖感に近い想いを抱いていた。撮影の前夜にお会いして、雑談を交わしている中で、当初の汗びっしょりが、期待感に変わった如くであった。撮影当日、B社長はすっかりリラックスして、とてもいい映像が撮れたのは言うまでもない。

 第一回の成功に気をよくした撮影メンバーは、それ以降も快調に番組づくりに取り組むことができた。山形県では、庄司屋のおそば、湯の川温泉の孟宗竹料理、岩手県では、釜石「暮れ六つ」のチョウザメ、松皮がれい、二戸の雑穀料理。青森県弘前のフランス料理店山崎のりんごスープ、豚肉がうまかった。日本海深浦の白神山地地産地消の会のおばさんパワー。秋田県では、横手市の山ふぐ(なまず)、男鹿半島の石焼きなべ。宮城県築館の新生漢方牛は、BSE対策の中から生まれたのだから、文字通り「苦肉の策」である。仙台市作並のニッカウヰスキー工場、福島県本宮のアサヒビール工場にも出向いた。

 旨い料理を求めての旅というよりは、食文化の旅である。そのお料理がどういう歴史の中で作られていったのか、それを作る人間の側のドキュメント、背景にある文化、材料となる食材開発の経緯を探るというのが、番組の趣旨であった。二戸の雑穀料理は、お米が取れない地域で、あわ、ひえ、麦、そばといった雑穀類で、いかにおいしそうな料理にするかという、これまた苦肉の策のようなものであった。それが、最近の健康食ブームの中で、積極的に見直され、人気急上昇の様相である。つまり、おいしいだけの料理とは違った面が見られる。

 番組的にいうと、ミニ番組であるから、なにしろ時間が短い。イントロからコマーシャルまで2分30秒というのは、見ているほうからは、「あっという間」である。番組全体をコマーシャルと勘違いしていた人もいて、「本物はいつやるんだろう」と思ったという。「文化を訪ねて」は、実質2分の中では、やり切れるものではない。「浅野教授、ここで15秒のコメント」とディレクターに言われると、ついつい早口になり、「ダメ」が出されることも何度かあった。

 言語学的にいうと、短い時間でどれだけの情報を伝えるかを強く意識した。もちろん、撮影してからの編集の場面での勝負という面が大きいのであるが、ナビゲーター役として出演している私のほうでも、1回の発言は短くとか、相当気は遣ったつもりである。相手が黙ってしまうと、その沈黙に耐え切れずに、私のほうが追い討ちをかけて発言を促すことが多かったのだが、そうなると2人の発言が音声上かぶってしまう事態も招来して、編集では困ってしまうということも知った。テレビ番組は、長いのよりも短いほうが数倍大変ということも学んだ。

 番組を作っていてありがたかったのは、東北各地を知る機会に恵まれたことである。宮城県知事として、宮城県内のことであれば相当に知っていた。しかし、宮城県以外の東北各県のことはほとんど知らないことを改めて知らされた。東北の東北たるところは、宮城県ではなく、青森、秋田、岩手という北東北にあるのかなとも思った。その意味では、今回の「とうほく食文化応援団」の番組づくりに参画することができたことは、私にとっては大いに意義のあることであったと総括している。

 12回の撮影を終えて、メンバーと別れるときには、番組完成の充実感とともに、寂しさも感じた。2分半の番組のために、まる1日かかってしまう撮影であるので、多忙な日程をこなしつつあった私としては、時間的ロスが大きいなと嘆いたりしていた。それも、撮影が始まってみれば雲散霧消である。毎回の撮影ツアが修学旅行の乗りであり楽しいことこの上ない。いずれの日か、スポンサーのご好意により、第2段のシリーズが再会されることを心待ちにしている。


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