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月刊年金時代2006年11月号
新・言語学序説から 第53

「『モンダの人々』について」

 漫画だけでなく、文章の名手 でもある東海林さだおさんの近著、「もっとコロッケな日本語を」(文春文庫)の中に「ドーダの人々」というのがある。いつもながらのユーモアに抱腹絶倒してしまった。笑わせるだけではない。内容も深い。

 「ドーダ」というのは、「俺はこのようにエライんだぞ、ドーダ」と言う時の「ドーダ」である。銀座のクラブは「ドーダの館」と呼ばれ、毎日「ドーダの人々」が集まって「ドーダ博」が開催されている。「ドーダの館」の飲食費はべらぼうに高いので、功成り名を遂げた人しか入場できない。そういう人たちは自慢したいことがいっぱいあり、自慢したくてずうずしている。こんな調子で、「忙し自慢ドーダ」、「教養ドーダ」、「経済力ドーダ」、「東大卒ドーダ」が続くのだが、引用はこのぐらいにしておく。

 「ドーダ学」に刺激されて、私も「モンダ学」を考えてみた。「政治とはこういうもんだ」、「知事とはこうやるもんだ」、「しょせん、社会とはこういうもんだ」と訳知り顔で言われることを「モンダ言説」と呼ぶことにしよう。世間知らず、専門知らずの人に向かって、「あなたはそんな青臭いことを言うが、世の中とはこういうもんだ」というセリフが典型的なモンダ言説である。

 私は、学生生活からすぐに役所に入り、選挙や政治に関わることもなく23年7ヶ月厚生省で仕事を続け、出直し宮城県知事選挙の告示3日前に厚生省に辞表を出して選挙に突入し、そのまま知事になってしまったという経歴である。政治とはこういうもんだ、選挙とはこうやってやるもんだということを聞く暇もないままに、3期12年の知事としての生活を駆け抜けてしまったことになる。訳知りの人々からすれば、常識の通用しない異星人のようなもので、実に扱いにくい存在だったことになるだろう。

 私が宮城県知事に就任して1年ほど経った頃に、裏金問題が噴出した。当時の私は「悪しき慣習」と呼んだ。これも「モンダ言説」である。「役所には、表に出せない支出がある。裏金なんて、昔から、どこでもあるもんだ」、「これが役所文化というもんだ」といった具合である。

  霞が関にも裏金はあった。宮城県にだってあるだろう。しょせん、役所はそういうモンダ。そんなことを妻には言ったような気がする。しかし、妻はそういう事情には疎い。しかも、税金をちょろまかするような役所の「慣習」なんて許されるものではないという常識の中で生きてきた女性である。「この件は、モンダでは済まないからね」という言い方ではなかったと思うが、強く諭された。

  情報公開条例の存在、直前の選挙で、「ゼネコン汚職で現職知事が逮捕されるような宮城県に誇りを取り戻して欲しい」という県民の熱いメッセージを受けて知事に当選したという事実。これらも大きな要因ではあった。しかし、食糧費問題の真実を明らかにすることを決断し、実行した最初のきっかけは、妻からの「悪いものは悪い」という正当な指摘にあったことを思い出さないわけにはいかない。私の「モンダ」は、妻の健全な常識の前に力を失ったのである。

  自分の選挙を振り返ってみると、周りは、「モンダの人々」だらけであった。「知事選挙では政党の推薦は受けるモンダ」、「団体の推薦は一杯もらうモンダ」、「後援会は作っておくモンダ」などなど。そのことごとくを撥ね退けたのが、私の選挙であった。そして、結果は断然オーライだったのだから、「ドーダ」と言いたいほどである。

  公共事業の受注における談合についても、「モンダ言説」が飛び交う。「建設業での公共事業入札の競争なんて、こういったもんだ」、「談合は必要なもんだ」、「知事は、地元業者を保護するもんだ」等々。知事時代に、「談合は悪だ」という言い方をするべきではないと繰り返したことを思い出す。「悪」の前に、「必要」をつける輩が絶対出てくるからである。「談合は悪だ」ではなく、「談合は犯罪である」と言うべきであると強調した。

  「選挙とはこうやって戦うもんだ」という常識に反する選挙をやってきた。政党とか、団体とか、インナーサークルと呼ばれるような鉄の団結の集団を排することによって、初めて、一般の人たちが燃え上がる「一人一人が主役の選挙」が展開できる。選挙で借りを作らなければ、県議会との間でも、「知事と県議会(議員)との関係は、こういうもんだ」といった関係を作らないで済む。それによって、「しょせん、知事業なんてこういうもんだ」というような知事にならないでいられる。

  「モンダ」で説明される業界の常識を、私がまったく知らなかった能天気であったことが、結果としては、爽やかな知事業で通すことができた原因だと思っている。「知らぬがホトケ」とすれば、私はリッパなホトケということになるだろう。

  その陰には、「常識を知らないボス(知事)にあなたからちゃんと言っておいてくれ」と何度も迫られた私の側近のT氏の存在があった。きれいごとで済ませる知事の陰に、汚れ役を引き受ける側近がいるという図式ではない。知事の「非常識」を身体を張って守ったT氏の存在があったからこそ、私は「常識」の海の中で溺れてしまうことがなかったのである。

  「モンダ」で終わる言い方の「常識」にどっぷり漬かっていたら、私も談合にまつわる疑惑の中で翻弄されていたかもしれない。県庁内の裏金づくりも、スパッと解明できなかったであろう。3期12年の知事業を、すっきりと、なんの後ろめたさもなく辞めることができたのも、「モンダ」の世界に引きずり込まれなかったからである。

  その道何十年もやってきた人に、「もんだ、もんだ」と繰り返されると、その道に疎い一般人は、「そういうもんなんだろう」と納得してしまう。しかし、そういった「モンダ言説」に異を唱えるところから、改革は始まる。「モンダ」の「常識」を疑う感覚も必要である。これで「ドーダ」というつもりはないが、「モンダ」に巻き込まれる危険性だけは強調しておきたい。


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