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月刊年金時代2007年9月号
新・言語学序説から 第61

「人称代名詞について」

 人称代名詞というのは、「私」が一人称、「あなた」が二人称、「彼」が三人称という、日本語の文法用語のことである。前回の「クイズについて」で、フジテレビの「ミリオネア」に出演したことを書いた。私への第一問は、「ワシ、オマエ、アナタ、オレの中で、鳥類はどれ」というものであった。引っ掛け問題と疑うほどに、簡単過ぎる問題であったが、ちゃんと正解した。今回、人称について書くということで、このことを思い出した。ちなみに、その「ミリオネア」では、最後の問題まで進んだが、「浦島太郎が玉手箱を開ける直前にやったことは何」という問題で、結果は不正解。残念ながら、一千万円は獲得できなかったことを報告しておこう。

 英語を習い始めた頃、「三単現のS」というのに出くわした。I go、You goだけど、He goesとなるんだぞ。主語が三人称で単数で現在の場合、続く動詞にはSをつけるというのが文法上の規則。人称なる用語を聞いたのは、英語のほうが早かった。その後、英語の歌で、He don't  care といった言い方が堂々と使われていることを知ることになるのだが、そういうのはアメリカでも下品な人たちの使う英語であるということも、同時に学んだ。

 日本語には、人称の言い方が何通りもあり、私、俺、僕、それがし、われ、拙者など一人称だけで百通り近くあるということを聞いたことがある。日本でたった一人しか使えない「朕」という一人称もある。「俺」を女が使ったらおかしいし、「あたい」を男が使ったら変だという、男女、年齢使い分けがある。

  二人称だって、お互いの上下関係で使う言葉が違う。目上の人に「君」はないし、「貴様」とか「テメエ」と言ったら、喧嘩になりかねない。ところで、「テメエ」は、「手前、生国と発しますは・・・」や「手前ども」という時には一人称になるのも不思議である。

 日本語には一人称を言い表す言葉がたくさんあるのと対照的に、英語では二人称を表す言葉が豊富のような気がする。特に、夫婦とか恋人同士において顕著である。DARLING、MY DEAR、SWEETHEART、BABYなどなど。日本では、夫婦になると、新婚間もない頃なら相手を「あなた」と呼ぶとしても、子どもができれば「おとうさん」、「パパ」と、およそ色気のない呼び方をする。三人称の場合は、妻が夫を指して、「主人」、「旦那」、「あの人」であり、その逆は、「家内」、「嫁」、「あいつ」という表現になる。男児共同参画社会の実現という観点からは、推奨できない呼び方が横行している。

  改めて考えてみたら、我々は二人称は代名詞ではなくて、「社長」、「先生」、「お客様」又は「浅野さん」、「山田さん」という実名で呼ぶことが多い。英語なら、たいていの場合、YOUで済むのだが、日本語で「あなた」というのがはばかられる場合が多いのは、どうしてなのだろう。

 人称の使い方で、その人と、その人が属する組織との関係をその人がどう認識しているかを推し量ることができる。全国知事会は、梶原拓前岐阜県知事が会長に就任した頃から、議論がとても活発になった。梶原会長が「闘う知事会」を標榜したこともあり、知事会では、中央省庁といかに闘うかの議論が百出した。

  宮城県知事として、私もよく発言したほうであるが、発言の中で知事会を指す言い方としては、「我々」という表現をしたことを思い出している。「我々知事会としては、地方への税源移譲を断固政府に迫るべきである」といった言い方であるが、「我々知事会」と言わずに、「我々は」だけでも、それが知事会を指していることは、出席している仲間や膨張しているマスコミには、誤解の余地なく伝わっている。

 知事の中に、「あなた方には戦術、戦略がない」という意見を開陳する人がいて、日本語としてだけでなく、会議の雰囲気としても違和感を覚えた。「あなた方」が指すものは、知事会、又は、自分を除くところの知事会メンバーである。本来なら、「我々知事会には、戦略、戦術がないのは、おかしいのではないか。私は、戦略として、こう考える」という言い方をするのが素直なのではないだろうか。そういう意味での違和感である。

 その知事がマスコミに対して、知事会を指して「あの人たちは」という複数形三人称を使ったが、これと同様の心の動きを反映している。つまりは、自分を知事会のメンバーとしては受け止めていないということが、人称代名詞の使い方の中で自然に出てしまうということだろう。その知事が、全国知事会の他のメンバーと、すんなり交流ができなかったというのも、こういったことから、当然と言えば当然のことだったろう。

 小泉純一郎前首相は、自分のことを三人称を使って表現していたということを、朝日新聞の曽我豪編集委員の記事で知らされた。例えば、2001年の参議院議員選挙で、「自民党がやれないことをやるのが、コイズミだ」と当時の小泉首相は叫んでいたという。こういうのを「三人称話法」と呼ぶのだそうで、ドゴール元仏大統領も同じような話法を使ったらしい。自分を三人称で呼ぶことによって、劇場型政治の中で期待される人格を演じるのが、国民に対するアピールとして効果的ということを、小泉さんは知っていたのだろう。

 一方、安倍晋三首相が、「私の内閣」という言い方を連発するのに、しっくりいかない思いをしていた。安倍首相の参院選の東京・秋葉原での第一声が「私は負けません」という絶叫だったと、曽我さんが書いている。「私たち自民党に大いなる力をお与えいただきますように」という言い方もしていたという。「私たち」という複数形一人称の中には、松岡元農水相も赤城前農水相も社会保険庁も入るということになる。小泉さんなら、「ひどいね、社会保険庁」という言い方をしたのではないか。これも曽我さんの解説である。

 この原稿が活字になる頃に、「私の内閣」がどうなっているのか、わからないままに書いている。


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