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月刊年金時代2007年10月号
新・言語学序説から 第62

「目について」

 目、手、毛、胃、血、歯、背、これはなにか。人間の身体の一部で、一字のもの。定義を少し広げれば、尾、痔、屁(?)、身もそうである。意外に数が多い。このエッセイの題材がタネ切れになったからというわけではないが、たまには、「目について」、「手について」と書いてみたら面白いのではないか。ということで、今回はその第一弾、目について。

  「目は口ほどにものを言い」というのは、言語学を論じる者は目を論じなければならないということを示唆している。「口ほどに」というのは、口で言うのと同等にということなのだが、実際には「口とは裏腹に」ということだろう。政府の要職に任命されて、口では「大変な責任の重さに身の引き締まる思いです」と言いながら、目はうれしさを隠しきれないというのは、典型的な例である。

  それで思い出した。短い期間で首をすげ替えられた女性大臣の目のもの言いぶりも顕著だった。各国の要人と会談している時には、「私って偉いの、どんなもんだ」という目だし、十分な成果を挙げられずに大臣の座を去る時の勇ましい言葉と裏腹に、「私、悔しい」という目をしていた。ホントでないことを言っている時の目は、空中をさまよっているように見えたのは、見ているほうの、それこそ目の錯覚かもしれない。

  目は形状を変える。物をしっかり見ようとする時には、皿のようになるし、怒ると三角になる。あんまりびっくりすると、点になったり、丸くなったり、白黒に点滅するらしい。今まで知らなかったようなことを教わった時には、鱗が落ちてくると表現されるが、人間の目に鱗がついていると思っている人はいるのだろうか。

  「目は口ほどに」というが、目と仲がいいのは、口よりも鼻である。なにしろ、顔の中で隣同士である。「目と鼻の先」というのはすぐ近くにあることの表現だが、賢くて機転がきく人について、「目から鼻に抜ける」というのは、近さからくる表現ではないようだ。右の耳から入って左の耳から抜けるというのは、同じ抜けるにしても、「人の話をすぐ忘れる」という悪い癖のことだが、目から鼻になると褒め言葉になるというのも、面白い。容貌についても、「目鼻立ちが整っている」という具合に、顔の中でも、目と鼻が注目されるということらしい。

  よくわからない表現は、「目の中に入れても痛くない」というもの。親が自分の子どもを見る目が、「かわいくて、かわいくて」という思いを隠せないでいるから、こういう言われ方をするのだろうが、だからといって目の中に入れてしまうだろうか。漫才で、「子どもの頃父親にかわいがられて、よく父親の目の中で遊んだものだ」というのがあったのを思い出す。

  「私、うまいのものには目がないのです」というのは、「うまいものが好きで好きでたまらない」という意味である。うまいものを見ていると、目が細くなって、目がなくなってしまうように見えることからきたのだろう。これが英語だと、まったく逆の意味になる。その対象について「目がない」のだから見識がない、知識がないということで、無知を言い表す表現になる。彼我のこの違い。言語学的には興味深い。

  「目抜き通り」というのは、都会の雑踏は「生き馬の目を抜く」と言われることから、そういう通りのことかと思っていた。ところが、目抜きの語源としては、刀の柄の真ん中にある目貫から来たもので、「真ん中にあって目立つ」、「大事なもの」というのが正しいとのこと。だから、「生き馬の目を抜くような」とは、関係がないらしい。こういうことも、「目について」調べているうちにわかったことである。

  最近の日本語表現で気になるのは、「庶民の目線で考えて欲しい」という時の「目線」である。昔の正統な日本語にはなかった。「視線」が正しいと思いつつ、前の例文にあてはめて、「庶民の視線で考えて欲しい」とすると、意味が少し違ってくる。

 「視線」は、見詰められる対象に重きがある。つまり、視線の行方、視線が当てられるほうが主役である。それに対して「目線」は、見ている主体の心の動きが問題で、主役はその目の持ち主である。一応、こんなふうに、私なりに解釈はしておくのだが、それにしても「目線」という日本語は、まだ私の中に正統的な位置は占めていない。どうもなじめない表現なのだが、皆さんはどうだろうか。

  人間の目に似ているものに、さいころの目、網の目、囲碁の目などがある。「どうも最近、目が出ない」と言っている時の目は、さいころの目のこと。「傍目八目」は、「岡目八目」とも書くが、これも面白い表現である。傍からみていると、囲碁の手合いで八目分ぐらい上を行くということから、問題の渦中にいて必死になっている当人よりも、周りで客観的に見ている人の見方のほうが的確な場合が多いことをいう。面白いというのは、傍目の目は、人間の目で、八目の目は囲碁の目であること。

  「目上の人」というのは、自分より年長者とか、位が上の人のことをいうが、私の友人で日本語を学んでいたアメリカ人には理解がむずかしかったようだ。彼は、「目上の人」というのは、自分より身長が高い人のことだと思っていた。確かに、改めて考えてみれば、目上の人がどうして自分よりエライ人のことなのだろう。「腰が低い人」というのは、誰にもへりくだって、お辞儀を繰り返す礼儀正しい人のことだが、「私だって腰が低い」と私が周りに言ったら、「えー、いつも偉そうな浅野さんが・・・?」と疑問の声が充満したことがあった。私が言いたかったのは、「私は腰の位置が低い、つまり、足が短い」ということである。「目上の人」のことで、つまらないことを思い出した。

  ということで、「一字の身体用語シリーズ」の第一弾を終わる。いつも以上に、まとまりのない駄文になってしまった。どうか、メッと言わずに、目を三角にしないで、お目こぼしを願いたい。今後は目一杯がんばるので、第二弾以降にご期待いただきたい。


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