浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2008年2月号
新・言語学序説から 第66

「決まり文句について」

 言葉遣いにうるさい私である。気になる表現に接するたびに、苦言を呈しておかないと、イライラが募ってしまう。なにしろ、この二月で六十歳、還暦である。「♪♪村の渡しの船頭さんは、今年六十のおじいさん♪♪」と童謡で歌われる「おじいさん」になった。憎まれ口が似合う年齢である。

 「決まり文句」とは、ここでは、意味がない、月並みすぎる表現ということで使っている。言っている人の輝く個性が伝わってこない表現、借りものの言い方のことである。以下に、そんな例をいくつか。

  「走馬灯のように」  

 昔のことを思い起こすと、いろいろな出来事や人の顔が「走馬灯のように」浮かんでくる。こういった使い方なのだが、読者の中で、走馬灯の現物を見た方は、何人いらっしゃるだろうか。最後に現物を見たのは、何十年前なのだろうか。昭和四十年ごろまでだったら、こういう表現にも現実味はあったのだろうが、二十一世紀にはふさわしくない言い方に聞こえる。

 「なんとかかんとかのように」というのは、歌謡曲でも、シャンソンでも定番である。「川の流れのように」、「時には母のない子のように」など、なるほど、新鮮だ、といった表現は許せる。「走馬灯のように」を最初に使った人はエライが、後の人が何回も使ううちに、手垢にまみれてしまって、聞いていても新鮮な驚きがない。私は、そもそも、恥ずかしくて使えない。代わりに、「回転寿司のように」となら言ってもいいが、あまり感動を与えないだろうな。

 「応援よろしくお願いします」  

 プロ野球のヒーローインタビューの締めくくりの言葉の定番。別に、この言い方がとても気に入らないと批判しているのではない。その試合のヒーローになった選手なのだから、もうちょっと、気の利いたことが言えないものだろうか。

  最後はこの言葉で締めくくってもいいが、一つや二つは、その選手の自分の活躍ぶりを振り返っての自分なりの表現があるだろうなと思いながら、見ることが多い。球団のしかるべき人が、シーズンオフにでも、「インタビューの受け方」というか、日本語学習の時間を設けてはどうだろうか。それだけで、選手の人気が高まる効果は、必ずあるはず。

  逆に感心して見ているのは、ゴルフの新星、石川遼選手のコメントである。的確な表現と真摯な態度が、本当の意味での育ちのよさを示している。十六歳という若さであの表現力ということに、驚いてしまう。同じゴルフの宮里藍選手も、内容のある落ち着いたコメントをしている姿も目に焼きついている。

 「一つ一つの試合をしっかり戦っていくだけです」  

 これもプロ野球に多い表現。大体は、監督の言葉として言われる。優勝争いも終盤に入って、優勝ラインが80勝とか、ライバルとのゲーム差が2とか、そういうことを意識させられた後に、監督は言う。「そういったことは気にしないで、目の前の一つ一つの試合を大事にして、しっかり戦っていくことだけを考えています」といったことである。

 聞いているほうは、「さすが名監督、いいことを言う」みたいに反応することを期待しているのだろうが、私はそうではない。あまりにも当たり前。そうでない戦い方というのは、あるのだろうか。つまり、目の前の試合よりも、結果から逆算して、特別な戦い方を仕組むような。

 「自分のピッチングをするだけです」、「自分の相撲を取るだけです」、「自分の走りをするだけです」というのも同様の定番コメントである。相手に惑わされず、自分の形を忘れないように戦うと言いたいのだろう。それなりに意味のある内容なのかもしれない。もう一ひねり、その選手ならではの決意が出るような表現を期待するのは、期待し過ぎなのだろうか。 

 「あってはならないことが、起きてしまいました」  

 企業による不祥事の発覚を受けて、社長など幹部が記者会見で一斉に頭を下げる。その後に飛び出してくる言葉がこれである。少しむずかしく言うと、無謬性の神話の落とし穴である。リスク管理がうまくいかず、リスクが顕在化した後、さらに危機管理にも失敗した末に言うのが、「あってはならないことが、起きてしまいました」である。

 企業活動に伴うリスクを最小限にする努力は、なされるべきである。しかし、人間がやることだから、ミスはある、失敗は起こる。企業が、「あってはならない」という無謬性の呪縛にからめとられると、「ないことにする」、つまり、ミスや失敗があっても「そんなのたいしたことないから」と無視したり、隠すという行動に走りがちである。しかし、天網恢恢、疎にして漏らさず、隠しても、必ずばれる。ミスを犯したのが一次災害だとすれば、隠したのがばれたのは二次災害。一次災害なら「ごめんさい」で済むが、二次災害は企業の存立さえ危うくする。

 二次災害を回避した例は、FFファンヒーターの欠陥による死亡事故を受けて、松下電器が大々的に行った、お詫びと製品の回収。ミートホープ、赤福、白い恋人、船場吉兆、三菱自動車などなど、失敗例は数限りない。「あってはならないことが、起きてしまいました」といった定番のお詫びでは済まなくなっている。

 「茶碗蒸しになります」  

 料理屋で従業員が客の前に茶碗蒸しを運んできて、この言葉とともにテーブルの上に置いていく。「今まで茶碗蒸しでなかったものが、こうやって待っていると茶碗蒸しに変わっていくということか」と私は真顔でそのお運びさんに尋ねてしまう。

 「『茶碗蒸しでございます』が正しい丁寧語だろ。もう一回、そういい直してごらん。そうそう、そっちのほうが感じがいいでしょ」と注意して納得してくれる従業員もいる。もう一度その店を訪ねた時に、同じ従業員が接客して、「お造りでございます」と言ってくれた。「そうそう、やればできるじゃないか」とほめてやる。こういう余計なことが、還暦おじいさんの嫌われるゆえんなのかもしれないと思いつつ。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org