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月刊年金時代2008年8月号
新・言語学序説から 第72

「マンガについて」

 日本のマンガやアニメは、今や、日本特有のすぐれた文化として、外国でも多くのファンを獲得している。マンガ人気は、内外問わず、大人子どもを問わず、拡がっている。

 かく言う私も、子どもの頃だけでなく、大人になってからも、そこそこ以上のマンガファンであった。母の実家が、私の通っていた小学校と我が家との中間地点で本屋を営んでいたので、週のうち何回か、そこに寄って、じっくりとマンガを読むという小学生時代を送った。

 月刊誌がマンガ満載であった。『少年』では「鉄腕アトム」、『少年画報』では「赤胴鈴之助」が印象に残る。『野球少年』、『痛快ブック』は、元気少年向けで、異彩を放っていた。少女向け月刊誌はほとんど読まなかったが、『少女』、『りぼん』、『なかよし』で「あんみつ姫」、「リボンの騎士」といったのが人気だったことは記憶している。

 『少年マガジン』と『少年サンデー』が同時創刊になったのが、1959年3月。私は、仙台市立木町通小学校の4年生だった。『少年マガジン』の表紙は大関朝潮(先代)、『少年サンデー』は長嶋茂雄選手だったことも、しっかりと覚えている。私は、『サンデー』の「スポーツマン金太郎」が好きだった。作者は寺田ヒロオ。

 『少年マガジン』に連載された「巨人の星」、「あしたのジョー」が大人気になったのは、私の大学生時代。これらの連載が全盛だったのは、大学紛争の真っ只中だった。「あしたのジョー」の力石徹がマンガの中で死んだのを悼んで、告別式まであったが、そこに集まった中には、学生運動の闘士が多くいたことも、記憶に残っている。マンガが社会現象にまでなった、最初の例ではなかっただろうか。

 大学生の頃に読んだマンガで、心魅かれたのは、東海林さだおの「ショージ君」(『漫画サンデー』)や「新漫画文学全集」(『週刊漫画TIMES』)である。もてない男の悲哀が、見事にマンガで表現されており、笑いながらも、共感の涙を誘われた。週刊文春の「タンマ君」、週刊現代の「サラリーマン専科」が、ともに38年もの長きにわたって連載されているというのは、ギネスブックものではないか。毎日新聞の「アサッテ君」が32年、1万回以上続いているのには、驚いてしまう。

 ちなみに、私は東海林さだおさんのエッセイの大ファンである。「丸かじり」シリーズをはじめ、出ている本はほとんど読んでいる。声を出して笑ってしまうので、電車の中では読めないという面白さである。今回は、「マンガについて」だから、このぐらいにしておくが、いつか、「東海林さだおのエッセイについて」を書くことにしよう。

 マンガと言えば、『ビッグコミック』を語らないわけにはいかない。私が大学生の時に創刊された。さいとうたかをの「ゴルゴ13」は、なんと、創刊以来、今でも続いている。過去には、「佐武と市捕り物控」(石ノ森章太郎)、「のたり松太郎」(ちばてつや)など、絵のうまさ、ストーリーの面白さで、ぐいぐい引き付けられた。『ビッグコミックオリジナル』もすごい。「あぶさん」(水島新司)、「浮浪雲」(ジョージ秋山)、「三丁目の夕日」(西岸良平)、「釣りバカ日誌」(北見けんいち)といった、大学生時代に夢中で読んでいたマンガが、今も連載中である。

 『ビッグコミック』、『ビッグコミックオリジナル』は、1972年から74年まで、イリノイ大学の大学院に留学していた時に、厚生省で同期入省の真野章元社会保険庁長官が、アメリカまで送ってくれた。読み終わったものを、他の日本人に貸してあげたのだが、えらく感謝された。それも含めて、真野君にはどれだけ感謝しても、足りないぐらいの恩を感じている。異国で読む日本のマンガ、それも極めて芸術性の高い、ハイレベルのものは、日本で読む以上に印象に残った。

 だいたい、この頃が、私のマンガファンのピークであった。これ以後は、急激に興味を失ってしまった。今、一体、どんなマンガが人気を博しているのか、全然知らないし、知ろうとも思わない。

 それにしても、日本でこれだけマンガが人気があり、世界にまで発信しているのは、どうしてだろう。のらくろまで遡るのはどうかと思うが、サザエさんの面白さ、芸術性は、時代を超え、国境を越えて、立派なものとして存在している。手塚治虫の存在も大きい。彼にあこがれて、東京都豊島区のときわ荘に集まり住んだのが、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオたち。彼らが、お互い切磋琢磨しながら、マンガの質を高めていった。

 上に挙げた雑誌の果たした役割も大きい。雑誌が場所を提供したことによって、マンガで食べていける道が開けた。その中での競争、優勝劣敗が、優れた漫画家を育てた。日本以外の国で、こういった状況は見られないのではないか。やはり、才能を育む場が必要ということである。読者のほうも、文字通り、目が肥えてくる。子どもの頃からマンガに接し、いいものと悪いものとを区別する目が鍛えられる。その目に適う作品と作家だけが生き残る。

 言語学的に言って、マンガはどうなのだろう。若者の活字離れが懸念されて久しいが、マンガ人気が活字離れを助長しているところはないのか。

  私は、「イエス」と答える側である。マンガは、本を読むきっかけとしてはいいかもしれないが、早く卒業するか、両刀遣いで、マンガも小説もという具合にならないと、絵で見るほうが活字より楽であるだけに、マンガから離れられなくなってしまう。想像力を働かせる余地が、マンガは少ないというのは、立派な大人にとっては、マイナス材料であろう。

 最後は、「新言語学序説」らしく、もっともらしく締めた。そうは言っても、石ノ森章太郎の絵の見事さ、東海林さだおや赤塚不二夫の滑稽さは、活字では無理である。マンガ対活字で勝負を急ぐのではなく、共存共栄。それが、世界に冠たる日本のマンガ文化を守りつつ、青少年の活字離れを防ぐ唯一の方法だと思う。


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