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月刊年金時代2011年4月号
新・言語学序説から 第87

「スポーツ選手の言葉について」

 プロ野球ファンの私、テレビ中継を熱心に見ている。中でも、東北楽天ゴールデンイーグルスの試合がお目当て。私が宮城県知事時代に、このチームの仙台進出に関わった経緯もあるので、応援に力が入る。当初は、選手を寄せ集めた弱小球団だったが、一昨年は2位でクライマックスシリーズに進出し、今年は星野監督を迎え、優勝を狙うところまできた。

 そのプロ野球、試合後のヒーローインタビューが気になっている。ほとんどの場合、言葉にうるさい私の耳に合わない代物である。「自分のピッチング(バッティング)をするだけです」という応答ぶりが、やたらに多い。「自分のピッチング」でないピッチングとは、なんなのですかと訊き返したくなる。監督は監督で、「一戦一戦、目の前の試合に勝つこと、それしかないです」というのが常套句。これだって、あったりまえのことだろう。「最後に一言」と振られると、「応援よろしくお願いしまーす」というのも決まり文句。もう少し、気の利いた、印象的なことが言えないものだろうか。試合中から、「ヒーローになったら、こんなことを言ってやろう」と考えを巡らしていてもいいのではないか。

 野球解説者のしゃべり方にも、文句をつけたい。長嶋茂雄さんの解説での日本語はなんだか変だったが、お人柄もあってか、むしろ、ご愛嬌と受け取る視聴者が多かったのではないか。長嶋さんぐらいの「名人芸」に達していない解説者は、そうはいかない。スカパーでの中継によく出る某解説者は、ひとつの文章に一回は「やっぱり」を連発していた。耳について聴き続けることが苦痛になってくる。

 日本語の問題というよりも、「そんな解説なら、俺だってできる」という解説者にもしょっちゅうでくわす。「この試合、一点でも多く取ったほうが勝つんじゃないでしょうかね」に近いことを、得々と「解説」する元有名選手のKさん。日本語も立派、解説の内容も、わかりやすいだけでなく、専門的立場から納得させるように話すのは、江川卓さんである。こういう解説者は数少ないが、私は高く評価している。

 野球選手の言葉ということでいけば、大リーグに行った日本人選手の英語が、なべてお粗末なことが気になる。監督の指示も理解できないで、どうやって大リーグ選手が勤まるのだろう。チームメイトとのコミュニケーションが円滑にできないのも、大きなハンディキャップになる。大リーグに行くような選手は、中学、高校時代から大リーグでプレイすることを目標としていたはずである。将来、英語が必要になることはわかっているのだから、せめて、野球関連の言葉、表現だけでも訓練を積んでおくべきだろう。

 それと対照的なのが、ゴルフの石川遼選手である。彼の英語は、短期間に、めきめきと上達した。彼がコマーシャルに出ている「スピードラーニング」の効果もあるのかもしれない。それよりも、何よりも、石川選手自身に「外国人選手と英語で話したい」という強い動機づけがあるからこそ、英語が身についたのだと思う。外国語を習得するのは、若いほどいいのだから、彼の若さも大きな武器である。

 英語習得の前に、石川遼選手の日本語のことがある。何より感心するのは、話し方である。デビュー当時から、ものおじせず、自分の考えをはっきり口にする姿に、「タダモノではない」と驚いたのを思い出す。どんな状況でも、立派な日本語で的確なコメントを発する。ゴルフの腕だけでなく、言語能力にも脱帽である。

 ゴルフと言えば、宮里藍選手も、立派な日本語を話す。日本語だけでない。英語も達者である。宮里選手は、仙台の高校三年生の時に、ダンロップ女子オープンで初優勝を遂げた。優勝を決めた瞬間を目の前で見た。知事として表彰状の授与も行った記憶がある。その時の優勝インタビューでの話し方は、高校生とは思えないような落ち着いたもので、いたく感心した。

 若さということを、悪い意味でさらけ出したスポーツ選手がいる。ボクシングの亀田兄弟が、もっと若い頃のことである。インタビューでの亀田興毅選手の話し方を聴いて、「なんだこれは」と思ってしまった。彼らは、日本語に尊敬語、謙譲語、丁寧語というのがあることを知らないのだろうか。相手が年上(だいたいがそうである)でも、目上でも、「俺が一番強いんや」とかいった話し方をする。「です、ます」調とは縁遠い、関西弁の断定調とでも呼んだらいいのだろうか。聴いていて、不快感を持った人が多かったはずである。

 ところが、最近は、亀田兄弟の話し方が変わってきた。ちゃんとした日本語を話す。丁寧語も使えている。それはそれでいいことなのだが、昔のしゃべり方と比べると、迫力は薄れてきた。あのぶっきらぼうな話し方が、なつかしい。ボクサーとしては、あれでもいいのかなと思い直したり。この辺は、あまり定見のない私である。

 ぶっきらぼうな話し方といえば、相撲取りのインタビュー対応である。上位を倒した関取がインタビュー室にやってくる。取り組みが終わってすぐなので、息が上がっているということもあるだろうが、ほとんどしゃべらない関取が多い。これは批判ではない。お相撲さんが、ペラペラとしゃべりだすのは、似合わない。「ごっつぁんです」、「自分の相撲を取るだけです」。それだけで、十分かもしれない。スポーツの種類によって、期待される話し方は違ってしかるべきだろう。

 大相撲といえば、外国人力士の活躍が目覚しい。その外国人力士の日本語が上手なこと、驚くほどである。プロ野球の外国人選手で日本語をあれほど話すのは、ほとんどいない。外国人力士は、日本での滞在期間が長いからということもあろうが、相撲の世界に溶け込もうという熱意が、日本語習得に結びついている。

 美しい日本語、印象的な表現、スポーツ選手にとっては、これも人気の素である。競技での技術を磨け、そして、言葉を磨け。両方兼ね備えてこそ、チャンピオンと呼ぶにふさわしい。  


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