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月刊年金時代2011年5月号
新・言語学序説から 第88

「震災の言葉について」

 東日本大震災は、私のふるさと宮城県を含めて、これまで経験したことのない大きな被害をもたらした。また、東京電力福島原子力発電所も、我が国での史上最悪の原子力災害に見舞われた。被災の経験は、言葉とともに次の世代に伝わっていく。いい言葉も、悪い言葉も、その中のほんの一部だが、ここで再現しておきたい。

 

もうだめだと何度もあきらめかけた。だけど、家族のためにも、絶対に死ねないと思って、必死にがんばった  (宮城県東松島市で、津波に流されて、一晩、人家の窓にしがみついて助け出された中年の男性) 

 「家族のために死ねない」と、心の中で言葉にしていた。その言葉の力が、男性の命を救った。放心状態で、言葉も思い浮かばなければ、極限状態を乗り越えられなかっただろう。言葉の持つ力を思い起こさせる。

 

暗すぎて、今までに見たことがないくらい星がきれいだよ。仙台のみんな、上をむくんだ。 (現地での会話―「心に残るつぶやき」のツイッターから)  

 ぎりぎりのところで助かった命、その大変な状況の中での心に残る言葉。最もつらい境遇で、希望を見出す言葉。つぶやくだけでなく、被災した仲間に語りかける。言葉は心をつなぐ。自分たちが、一人ぼっちでないことを実感させてくれる。

 

ラジオで全国の方々のメッセージをきいて、ありがたくて涙が出ています。避難所には続々と物資も届いている。皆さんに、本当にありがとうと言いたい。私たちも頑張らないといけないと思っています。(宮城県南三陸町歌津で被災された夫婦)

 同じような言葉が、たくさんの被災者から語られている。「ありがとう」「がんばります」。月並みな言葉のようであるが、この状況で語られると、ものすごく実感がこもって聞こえる。「ありがとう」は日本語の中でも、最もすばらしい言葉であるとしみじみ思う。

 

駅員さんに「昨日、一生懸命電車を走らせてくれて、ありがとう」って言ってる小さい子たちを見た。駅員さん泣いていた。俺は号泣してた。 (「心に残るつぶやき」ツイッターから)  

 震災による電力の供給不足から、計画停電がなされ、その初日には、公共交通機関が大混乱した。その時のひとこまである。気持ちがあっても、「ありがとう」と実際に口に出して伝えるのは、簡単ではない。子どもだからこそ、素直に感謝の気持ちを言葉にできたのだろう。

 

被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います 。(天皇陛下のビデオでのお言葉)

 「分かち合う」という言葉、ふだんあまり使うことはない。この状況において、この言葉が深く胸に残る。被災者の中での分かち合いがあるが、被災しなかった全国各地の人たちが、被災者の苦しみ、悲しみを分かち合っている。計画停電や公共交通機関の混乱があっても、不平不満を言わず、じっと耐えているのは、被災者の艱難辛苦を思いやって、その思いを少しでも分かち合っていこうということの現われである。今後の被災地の復興のためには、どうしても、この「分かち合い」の意識と行動が不可欠である。

 

日本の救世主になってください。 (東京電力福島第1原発3号機への放水をした東京消防庁の緊急消防援助隊の佐藤康雄総隊長が「福島原発に行ってくるよ」とメールしたことへの妻の返信)  

 こういったメールのやりとりがあったことは、緊急消防援助隊(ハイパーレスキュー隊)の3人の幹部の記者会見の場で明かされた。事故の現場に送り出す家族とすれば、そんな危険な任務は避けて欲しいという思いはあっただろう。それが、この言葉である。隊員に対しても、この妻に対しても、頭を垂れて、「ありがとう」と言うのみである。

 

2ページ目のこめじるしのところを見てください (原発事故に関しての東京電力社員による記者会見)

  東京電力による記者会見が、なんともお粗末。記者会見にあたる社員が、事態を理解していない。だから、この発言のように、用意された資料を読み上げるだけになってしまう。記者から質問が飛ぶと、まるで答えられない。見ている我々からすれば、原発事故についての不安がますます募る。こんな記者会見なら、やらないほうがいい。もっとまともに日本語をしゃべれる人材が記者会見にあたるべきである。

 

日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う (都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて、石原慎太郎東京都知事)

 この「天罰発言」は、今回の災害に関して、責任ある立場にある人によって語られた言葉の中で、私が知る限りでは、最悪のものである。この発言については、石原氏は「言葉が足りなかった。撤回し、深くお詫びする」と謝罪したが、「言葉が足りなかった」のではない、「言葉が多過ぎた」のである。被災地・宮城県の村井嘉浩知事は、この発言後すぐに、「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と不快感を示したが、当然のことである。言葉には人に勇気を与える力もあるが、「天罰発言」のように、恐ろしさを感じさせることもある。言葉は、人を表すということも、強く感じる。

 この発言で終わってしまうと、後味が悪い。最後に、いくつかの印象的な言葉を添えて、この稿を終わりたい。

M9.0 世界最大級となったのか。じゃ、今後復興のためのエネルギーも愛も、世界最大級にしなくちゃ (「心に残るつぶやき」から)

避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってた (「心に残るつぶやき」から)

日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。 (国連からのコメント)  


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