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月刊年金時代2011年7月号
新・言語学序説から 第90

「勇気を与える言葉について」

 ATL(成人T細胞白血病)という病を得て闘病中に、多くの人から支援してもらい、励ましていただいた。そのたびに、病気と闘う勇気を奮い立たすことができた。勇気ももらったのは、それだけではない。多くの心に残る言葉が、私を後押ししてくれた。

 私が2009年6月に入院してすぐに、厚生労働省の村木厚子局長が公文書偽造容疑で逮捕された。村木さんをよく知る私は、無実を信じていたが、164日間、大阪拘置所に勾留された。その後、担当検事が証拠書類の改ざんを図るなど、ずさんな取調べも明らかになり、裁判で無罪をかちとった。

 東日本大震災は、多くの犠牲者を残し、町は壊滅的被害を受けた。不自由な避難所暮らしは、まだ続いている。私にとっての病気、村木さんの不当逮捕、そして大震災による甚大な被害。こういった過酷な運命に見舞われた我々に力を与えてくれる、いくつかの言葉がある。順に紹介したい。

  「道をきわめる人には、共通したことがある。それは、第一に、どうしようもない苦難と挫折の経験である。そして、それでもその人には、根拠なき成功への確信がある」(シスター鈴木)

 山縣由美子さんが、知人の医師から聞いた言葉を私に教えてくれた。山縣さんは、「やねだん〜人口300人、ボーナスが出る集落〜」という番組を制作して、数々の賞を獲得した、南日本放送のディレクターである。私は、闘病中、この番組のDVDを見て、何度も涙を流した。

 私がATLを発症したということを告知された時、さすがに恐怖に駆られ、落ち込んだ。しかし、それから1時間後、「俺はこの病気と闘うぞ。必ず勝ってみせる」と自分に宣言し、隣にいた妻に「だから、一緒に闘おう、支えてくれ」と言った。そう言ったとたんに、恐怖感は去り、考え方が前向きに変わった。病気に勝てるかどうか、わからない。しかし、絶対に勝てると思い込んでしまった。これが根拠なき成功への確信というものである。

 村木さんの場合も、裁判の行方はどうなるか、不安になる場面もあったことだろう。それでも、「絶対に勝つ」と思うことは大事である。私は、病床から村木さんに「負けるな、正義は必ず勝つ」というメッセージを送った。大震災で被災された人たちにとっても、復興への確信が、今の状況の中で、勇気をもたらしてくれるはずである。

 「私たちは、みんなチャレンジド」(竹中ナミ)  

 「チャレンジド」とは、神様から苦難を与えられて、「さあ、この苦難をはね返してみなさい」と挑戦を受けている人のことで、「アメリカでは、障害者のことをチャレンジドと呼ぶんやで」と竹中ナミさんに教えられたのは、15年も前のことである。自分自身も重度の障害の娘を持つ竹中さんは、「障害者を納税者に」を合言葉に、神戸で「プロップステーション」を主宰して活躍している熱血女性である。

 「そうだ、俺もチャレンジドなんだ」と気がついたのは、入院してすぐの頃である。自分は神様に選ばれてこの病気になった、そしてそのことによって使命を持たされたということを実感した。病気になったことを、嘆き、うらみするだけの立場ではない。これが、不思議な力を私にもたらしてくれた。

 先日、村木さんと私の対談がNHK教育テレビのETV特集の番組となって放映されたが、そのタイトルが「二人のチャレンジド」。番組には、二人の共通の友人である竹中ナミさんが、「チャレンジド・アーティスト」の絵本作家くぼりえさんを紹介しながら登場していた。

 「あなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事を、どういう形で、人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること」(「サマータイム・ブルース」(サラ・バレツキー著)の中の主人公である女性探偵の言葉)   

 村木さんが拘留中に読んだ150冊の本の中の一冊にあるこの言葉が、村木さんを大きく力づけた。この話を週刊誌で目にしたハヤカワ・ミステリ文庫の編集部の人が、たまたま来日中のサラ・バレツキーにサインをもらい、その文庫本を村木さんに進呈したという後日談もある。同じく拘置所で読んだ「花さき山」(斎藤隆介作・滝平二郎絵)の一節「花さき山の花は、ふもとの村の人間がやさしいことを一つすると、一つ咲く。人の心の美しさが、花を次々と咲かせていく」を読んで、「小さいことでいいんだ、今できることでいいんだ」と気がつき、村木さんの心が柔らかくなった。

 「人生それ自体意味があるのだから、どんな状況でも、人生にイエスという意味がある」(ヴィクトル・E・フランクル)  

 これは、アウシュヴィッツの強制収容所でのフランクル自身の壮絶な体験を描いた名著「夜と霧」の中にある言葉である。多くの収容者が、次々と命を落としていく極限状態の中で、どうしてフランクルが助かったのか。その問いへの答がこの言葉だろう。状況に流されず、今置かれている状況の中に意味を見出す。そう見られるかどうかが、生と死を分けたということだとすると。まさに、この言葉は勇気を与えるというだけでなく、命を救うだけの意味を持った。

  「転んでもただでは起きない」  

 勇気を与える言葉というより、「生活の知恵」に近い言葉である。大谷貴子さんから、先日、聞いた。25年前、慢性骨髄性白血病に罹患し、ギリギリのところで母親から骨髄移植を受けることができた大谷さんは、病院を退院した日から、骨髄バンクの設立のための活動にのめりこんでいく。病気になったことを契機に、骨髄バンクの設立まで実現してしまった。転んでも、キラキラ光る石をつかんで立ち上がった。私が骨髄移植を受けられたのは、大谷さんが設立した骨髄バンクのおかげである。私は、どんな石をつかんで立ち上がることになるのだろうか。

 被災地の人たち、村木厚子さん、過酷な運命を乗り越えた後に、必ずや、何かをつかんでいるはずである。それを信じて、戦いを続けていくことだろう。


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