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月刊年金時代2012年1月号
新・言語学序説から 第96

「心に残る歌詞について」

 歌謡曲でも、童謡でも、歌詞がよくないと歌う気がしない。もちろん聴きたいとも思わない。歌詞は大事である。心に残るいくつかの歌詞がある。思いつくまま、書いてみたい。

♪泣いたおんなが馬鹿なのか  
 この後、「だました男が悪いのか」と続く、東京ブルース(水木しげる作詞)の歌い出しである。西田佐知子のノンビブラート唱法の歌声が耳に残るが、歌詞は心に残る。私の講演で、何度か使わせてもらった。たとえば、政権交代で世の中が変わると思って、民主党に投票したら、むしろ、自民党政権より悪くなったという現象を説明するのに、このフレーズを使う。「それは、だました男が悪いに決まってる」と断定して、オチとしては、二番の歌詞は「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった」というんだよと続ける。

♪志を果たして、いつの日にか帰らん  
 「ふるさと」は、いつ歌っても、心に沁みる。東日本大震災の被災地を歌手が訪れると、必ず、この歌を歌う。聴く人たちも、一緒になって、涙を流しながら歌う。原発事故で、ふるさとを離れざるを得なくなった人たちは、どういう思いで歌うのだろう。君が代に加えて、「ふるさと」を第二国歌にしようという声も上がっているらしい。私は、三番の「志を果たして」のところで、いつも、グッときてしまう。

♪京都大原三千院  
 永六輔作詞「女ひとり」の歌い出し。このフレーズだけで、情景と雰囲気が広がっていく。「恋に疲れた女がひとり」で、その情景は、完璧なものになる。その後の歌詞も、一幅の絵を見るようである。見事なものだなと感心する。短いフレーズだけで、心情、風景、雰囲気を伝える永さんの歌はまだある。「♪上を向いて歩こう」、「♪遠くへ行きたい」、「♪見上げてご覧夜の星を」、「♪帰ろかな、帰るのよそうかな」、「♪夢で逢いましょう」。うんと短いところでは、「♪黒い花びら」。黒い花びらなんて、この世にあるものか。それでも、「静かに散った」と続けば、恋をなくした男の心情が、ぎらりと光る。永さん、やっぱりすごいな。

♪いのち短し恋せよ少女(おとめ)  
 「朱き唇褪せぬ間に、熱き血潮の冷えぬ間に」と続くのを聴くと、現代語の歌詞とは違った雰囲気にはまってしまう。「ゴンドラの唄」に出てくる「少女」は、決してAKB48のようなアイドル系の少女の姿ではない。歌人として名高い吉井勇の詩であるから、格調が高い。

 同じように、歌人与謝野鉄幹の作詞の「人を恋いうる歌」も、格調が高い。文学的香りがする。「♪妻をめとらば才たけて」と始まると、人生いかに生きるべきか、しっかり考えろと言われているような気持ちになる。ちなみに、この歌は、石原裕次郎が歌うものが一番いい。「遠き別れに耐えかねて」の「惜別の歌」も格調高い。なにしろ、島崎藤村の詩なのだから。これを小林旭がハイトーンで歌うのは、私のお気に入りである。

 「悲しくてやりきれない」  
 「帰ってきたヨッパライ」でデビューしたフォーク・クルセダーズが、サトウハチローに頼み込んで作詞してもらったのが、この歌である。「♪悲しくて、悲しくてとてもやりきれない」というように、気持ちをストレートに言葉にする技法は、日本の歌謡曲には、本来はなじまない。悲しいという気持ちを、散りゆく黒い花びらに託したり、「上を向いて歩こう」と言い換えたりする。しかし、この歌詞を聴いて、決して駄作だとは思えない。その逆である。これも、「さすがサトウハチロー」だからこその名人芸だという気がする。加藤修作曲のメロディーに乗って、この歌を口ずさむと、「悲しくて、悲しくて」のところで、ほんとに悲しい気持ちになるから、やはりすごい。

♪あなたが噛んだ小指が痛い  
 恋知り初めた女心の微妙なところを描く安井かずみの詞を伊東ゆかりが、いやらしくなく、初々しく歌うからいい。「昨日の夜の小指が痛い」といえば、誰でも、特定の情景を思い浮かべてしまうが、むしろほほえましくさえ思える初心さが先に立つ。「♪夜明けのコーヒー二人で飲もうと」という「恋の季節」(岩谷時子作詞)も、さらりと歌わせているが、この歌詞は結構「意味深」である。同じ岩谷時子さんは、「君といつまでも」では、加山雄三に「しあわせだなあ」とあけっぴろげに言わせている。変幻自在の言葉の使い手岩谷時子さんは、私の一番好きな作詞家である。

「長崎は今日も雨だった」  
 長崎でなく、沖縄だったら、この内山田洋とクールファイブの名曲も、ヒットしたかどうか。東京、新潟、仙台でも、しっくりこない。地名というのは、結構意味があるということの例である。井沢八郎の「ああ上野駅」が「ああ東京駅」では字余りというだけでなく、雰囲気が全然違ってくる。「津軽海峡冬景色」だから石川さゆりの哀切な歌声にしびれるのであって、これが「間宮海峡冬景色」でも、「関門海峡冬景色」でも絵にならない。「襟裳の春は何もない春です」と森進一が歌うからいいので、「津軽の春」でも「根室の春」でも詩にはならない。

♪木町通小学校明治六年始まって  
 これが、私が通った仙台市立木町通小学校の校歌の歌い出しである。中学校は仙台二中であるが、そこには、木町通小学校と立町小学校の卒業生が入学してくる。最初のクラスで、それぞれの出身校歌を歌う「セレモニー」がある。我が母校木町通小学校の校歌を我々が歌い始めると、すぐに立町小学校から来た奴らが笑い転げるのである。笑われてもしょうがない歌詞かなと思いながら、「作詞は、荒城の月を作詞した土井晩翠先生であるのだぞ」といばりたくもなる。ともあれ、この校歌があるので、木町通小学校の卒業生は、全員、学校の創立年を知っている。ちなみに、あなたの通った小学校の創立年がわかりますか。

 以上、いろいろな意味で心に沁みる歌詞を羅列した。ついでに、ここに引用した歌、すべて歌詞カードなしに歌えることを自慢して、筆を置き、これから何曲か歌ってみることにしよう。 。 


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