浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2012年2月号
新・言語学序説から 第97

「言葉の軽さについて」

 言葉は、単に、人にものを伝えるだけでなく、約束でもある。「武士に二言はない」というのは、約束は必ず守るということを意味する。政治家には二言も三言もあるらしい。政治家から発せられる言葉、つまり約束が、簡単に破られる。言葉が軽いというのは、このことである。

   鳩山由紀夫元首相は、沖縄の普天間基地移転に関して、「県外に移転する」と大見得を切ったが、結局、辺野古移転の案に戻らざるを得なくなった。アメリカのオバマ大統領には、そのことで「トラスト・ミー」、私を信頼してくれとまで言った末でのことである。軽い言葉は、日米の信頼関係さえ崩してしまう。

 菅直人前首相の言葉も軽かった。思いつき、その場限り、関係者間の合意なしの言葉は軽い。菅首相が「脱原発宣言」をした時には「かっこいいな」と思えたが、政府の方針でもないし、民主党の合意でもない、個人的なものだという菅首相自身の「後講釈」を聞けば、言葉の軽さに唖然としてしまう。菅首相のこの発言について、菅内閣の一員である海江田万里経済産業大臣は、「この発言は鴻毛よりも軽い」と評したのを思い出す。

 軽口とは、文字通り、軽い言葉であり、冗談、戯言という意味である。軽口が政治家の命取る例は枚挙にいとまがない。菅内閣で法務大臣を務めていた柳田稔氏が、法務大臣就任を祝う会で、「法務大臣は、二つだけ覚えておけばいい」として、「個別の案件にはお答えできません」と「法と証拠に基づいて適切にやっています」の二つをあげた。これは、軽口である。仲間うちでの冗談のようなものである。しかし、この発言により、柳田氏は大臣辞任に追い込まれた。この事案で辞任は、厳しすぎると思えるが、軽口は内容次第で、重大な結果を招くという警告にはなる。

 言葉の軽さ、約束が簡単に破られるということでいえば、前回総選挙の際に民主党が示したマニフェストがその最たるものではないか。「消費税引き上げはやらない」、八ツ場ダムの工事中止、国会議員定数の削減、公務員人件費の2割削減などなど、すべて約束は守られていない。

 だんだん不愉快になってくるので、話題を転じよう。言葉は、もっぱら、情報を伝えるために使われるが、情報を含まない、意味のない言葉もある。「おはようございます」のあいさつは、何か意味を伝えているかといえば、そんなことはない。それをもって、「言葉の軽さ」と批判する人はいない。

 年賀状について。普段は会うこともない人から、一年に一回届くのが年賀状である。差出人の名前を見て、「この人、今どうしているのかな」と思うのは当然である。ところが、年賀状の文面には「あけましておめでとう。今年もよろしく」としかない。この年賀状から読み取れる情報は、その人が存命で、年賀状を出せるほどには元気であること、住所が変わっていないことだけである。今どんなお仕事をしているのか、どんな生活ぶりなのか、健康状態はどうなのか、ご家族は元気か、そういったことはまるでわからない。こんなあいさつだけのために50円も費やすのはもったいなくないだろうか。「年賀状なんて、しょせんそんなもの」と言われそうだが、言葉の軽さが気になる私としては、ひとこと言いたくなる。

 あまり意味のない決まり文句を聞くと、言葉の軽さについて考えてしまう。最近気になるのは、「しっかり」という副詞句である。「この問題には、しっかりと取り組んでいく」といった言い方が、特に政治家の話の中で、やたら多いのが鼻につく、いや耳につく。この副詞句に意味がない、まちがっているとまでは思わない。ただ、あまりに頻繁に、誰でも彼でも使うのが気になる。今度、ニュースで政治家が話すのを注意して聞いてみたらいい。一人一回は「しっかりとやっていきます」と言うはずである。その辺、しっかりと注意して聞いて欲しい。

 スポーツ選手の間でも、「しっかりと」は流行の様子である。「次の試合、しっかりと戦っていきます」といった具合。スポーツ選手で気になる言葉の軽さは、ほかにもある。その人独特の言葉ではない、決まり文句といったものである。「これから一戦一戦大事に戦っていくだけです」というが、そうでない戦い方ってあるのだろうか。お相撲さんの勝利インタビューでも「これからも、一番一番、一生懸命やっていくだけです」というのが多いが、そんなのあたりまえだろう。「前を向いて、自分の走りをするだけです」は、駅伝選手の決意表明。自分でない走り方というのはあるのだろうか。目くじら立てるほどのものではないが、こういうのを言葉の軽さという。ほとんど情報を伝えないのである。そういえば、語尾の「だけです」というのは、スポーツ選手だけでなく、普通の人もよく使う。これも意味不明の軽い言葉に聞こえる。

 文字で書くと同じ言葉でも、言い方によって、軽い言葉になったり、重い言葉になったりする。「愛してます」ということを、相手の顔をちゃんと見ないで、軽い調子で言われても、心は動かない。言葉が軽いからである。「愛してます」と心をこめて迫れば、気持ちが相手に届く。言葉を発する際の表情、声の質も、その言葉に重みをもたせることになる。

 「チャラ男」というのをご存知だろうか。お笑いの「オリエンタルラジオ」の藤森慎吾は、キャラクターとしての「チャラ男」を売りにしている。言動がちゃらちゃらしている男という意味である。形容詞としては「ちゃらい」と使われる。「チャラ男」の言動は軽薄そのものである。言葉の軽さこそが売り物なのだが、それはお笑いの世界でのこと。世の中では、「チャラ男」は決してほめ言葉ではない。それでも、「チャラ男」は、意外と女性にもてるらしいから不思議である。場をなごやかに、気楽な感じにするからだろうか。とすると、言葉の軽さが力を発揮するということもあるのかなと思ってしまう。

 ということで、あれこれ、まとまりなく書いた原稿である。この原稿も、言葉が軽いなと読み返して、改めて気がつく。  


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org