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戦後60年

2005.5.31

 今年平成17年、2005年は、昭和80年になる。ということは、戦後60年ということである。60年と言えば、人間なら還暦。一つの区切りとして語られることが多い。日本では、戦後生まれ世代の人口のほうが多くなって久しい。戦争を知らない世代が過半数ということである。そもそも、太平洋戦争なるものがあったことすら知らない高校生がいる。ひょっとしたら、大学生の中にもいるのかもしれない。まさに、「戦後は遠くなりにけり」である。

 戦争があったこと、戦後という概念が、急速に記憶から薄れている中で、まだまだ忘れられない痛みを感じている国々がある。それらの国には、お隣りの韓国、中国が含まれる。現代史は日本からの侵略の歴史であると認識され、そのような教育が徹底している国の若者がいる。その一方で、「そんな戦争あったんですか」といった認識レベルの日本の若者がいる。国同士の理解がむずかしいのは、こんな事実からもよくわかる。

 そういった文脈を踏まえた上で、現在の日中関係がぎくしゃくしていることの意味を考えることが大事である。日本の教科書問題が韓国、中国から指摘される。日本側の一部からは、中国の教科書だってだいぶ偏向しているではないかという反論が試みられる。こういった「どっちもどっち」という議論は、あまり生産的ではない。むしろ、太平洋戦争というのをどう認識し、その中で、わが日本としてはどういったことを、なぜ反省すべきなのかということを、きっちりと言語化することが、まず必要なのではあるまいか。

 先日のTBSテレビ「サンデー・モーニング」で、寺島実郎氏が「もう過ちは繰り返しません」という広島原爆慰霊碑の言葉を引用してコメントしていた。この言葉の主語がはっきりしないということ。戦争を起こした「日本は」なのか、原爆を落とした「アメリカは」なのか。そして、何が過ちであるかが明確にされていない。過ちに至った原因と、その際の日本の責任はなんなのか。この辺もあいまいであるという指摘である。

  こういうことも、日本と中国との認識のずれの背景にあるのではないだろうか。例えば、靖国神社への小泉首相の参拝問題についても、彼我に大きな受け止め方の違いがある。参拝をするかどうか、いつするかなどということに、他の国からとやかく言われたくないというのが、小泉首相の発言にあった。一方、中国としては、靖国神社の問題はとやかく言わずにはいられない大きな政治課題ととらえられている。

  靖国神社への小泉首相の参拝は、中国にとっては、そこにA級戦犯が合祀されていることが大きな問題と受け止められている。A級戦犯の合祀がなければ、靖国神社は戦争で命を落とした軍人の御霊を納めるところであり、どこの国でも大事にされるべきところというのは、中国だってよくわかっているはずである。首相の参拝も、なんら問題はなかろう。戦争犯罪人が合祀されているところを、首相が参拝するのは許せないという中国国民の気持ちは、我々日本人としても、ある程度理解をする必要があるものと思われる。

  このことも、議論する気になれば、とことん議論はあるのだろう。しかし、そのこと自体が、今の両国にとって得策かどうかというのは、また別問題である。靖国神社の参拝問題は、今の両国にとって、あまりにも政治的に微妙なテーマになり過ぎてはいまいか。靖国神社の存在自体が、政治的な色彩を帯び過ぎていると言ってもいいかもしれない。

  たまたま、先週1週間、大連、瀋陽と巡る中国訪問の時期であった。そこで、いろいろなことを考えさせられた。その一部は、先週書いた。国と国との関係は、ぎくしゃくするような状況であっても、宮城県と大連市、遼寧省との関係は、また別な雰囲気である。企業レベルでの協力関係も、国と国との関係にとらわれない。経済的に緊密な関係が取り結ばれていれば、いずれ政治的な関係の改善にもつながっていく。そんなことも信じながら、大連宮城県事務所の開設に意義を見出していたところである。

  戦後60年。もう60年も経ったのかと思いがちだが、まだ60年という面もある。まだまだ歴史が風化することはない。すべて水に流してということにもならない。戦後に生きる我々としては、60年の経過の中で、戦後という時代の持つ意味を真剣に考え続ける責任があるのではないか。



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