浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

シローの走り書き

走るクマ

最初の一週間

2005.11.22

 知事を辞めてから、初めての「走り書き」になる。タイトルは変わるが、ほぼ毎日の日記とか、原稿の随時掲載とか、ホームページの基本的な線は変わらない。ここでは、昨日21日からが知事を辞めてからの「最初の一週間」になるので、タイトルそのままに、最初の一週間の感慨を走り書きしてみたい。

 19日(土)は、随行秘書なしの最初の出張であったので、その時のことにまず触れる。最初から失敗。日記にも書いたが、東京ビッグサイト国際会議場で開催の第二回「ローカル・マニフェスト検証大会」に出席するために、15日に引っ越した新居から仙台駅に向かった。その際に、資料を持ってくるのを失念。仙台駅まで妻に届けてもらって事なきを得たが、最初の最初から失敗である。知事を12年やっていると、秘書への依頼体質が染みついてしまっている。自立にはほど遠くなっていることを、こんな早い段階で知らされた。

 最初の一週間の最初の日は、宮城県社会福祉協議会の会長としての出勤から始まった。今年の4月に宮城県福祉事業団といきいき財団、そして社会福祉協議会が統合して、新生社会福祉協議会が発足した。その初代の会長に、皆様からの要請を受けて就任させていただいた。知事辞職とともに、それまでの非常勤から常勤になるが、引き続き会長を務めさせていただくことになった。勤務実態は、半常勤ということになる。知事を辞めたのだから、社会福祉協議会からも手を引くべきだという意見もあるし、やるなら完全に常勤でやれという声もある。給与が高過ぎるとの批判もあるが、勤務実態に合わせて、本来の給与の半分以下にさせてもらうことにしているから、その批判もあたらないだろう。

 そういった声は声として、私としてはこの仕事に意義を見出している。これからの宮城県で地域福祉を進めていくためには、実施部隊が必要である。福祉の実施主体は市町村であるが、行政が直接の実施にあたれる市町村は限られている。そこで、実施部隊として期待されるのは、市町村社会福祉協議会である。ところが、ほとんどの市町村社協には、人材、専門性、ノウハウが不足している。県の社会福祉協議会がその部分を補っていかなければ、どうにもならないだろう。

 そこで、どうしても県社協の出番となる。これからの数年がとても大事である。この仕事に道筋をつけたい。田島良昭副会長が21日に退任するのは大きな痛手であるが、だからこそ、会長として力を発揮しなければならない。それほど思い詰めるほどでもないが、やりがいのある仕事として、心ときめくものがある。

 この職務もそうであるが、これからは、自分の得意なこと、好きなことだけしか仕事をしないつもりである。「喜んで!」という姿勢が基本となる。喜んでやることが、世のため人のためになり、職業にもなるとしたら、こんな幸せはない。

 まだ最初の一週間は終えていないが、人脈を広げるパーティー、医療・福祉に関する対談、地方自治に関する講演、時事問題にコメントするテレビ出演が予定されている。最初の一週間の出番としては順調である。最初の一週間を終えて充実感を感じるようであれば、これからに期待が持てる。

 いずれにしても、自立したばかりのよちよち歩きの状態から始まる。これも含めて、無限の可能性という言い方だってできるわけで、そう考えればわくわく感で一杯である。始めよければすべてよし。そのためにも、最善を尽くしたいものである。



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