宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記

2001.7.14

 仙台にしては暑い暑い朝。自重しての4Kコース。パルス(脈拍)は平均149、最高166。
 土曜日だが、結構出番のある一日だった。9時からは、北海道・東北介護福祉士研修セミナーのシンポジウムに参加。2時間半の長丁場。聴衆の熱心さが印象的だった。全国に25万人を数える介護福祉士だが、業務独占ではないので処遇上いろいろ問題はあるようだ。結局は、実際の仕事の場で実績を積んでいくことによって、存在をアピールしていくということか。
 1時からは、第6回北京JAC全国セミナーの開会式に出席。1995年に北京で開催された世界女性会議のフォロウ・アップとしての会議。この会議を開催した地域では、男女共同参画体制が大いに進むという実績があるのだそうだ。宮城県では、この前の議会で「男女共同参画推進条例」が成立した。いいタイミングでの全国セミナーの開催となった。
 2時からは、県の女性人材開発セミナーでの講義。聴講しているのは、県内の23歳から57歳までの女性、25名ほど。県の審議会の委員などの仕事をしてもらえるような人材を育成しようというのが趣旨で、もう4回目になる。私はほぼ毎回講師を務めさせてもらっている。2時間立ちっぱなしの講義はけっこうつらいものがあるが、受講者の熱心さにほだされて精一杯がんばって講義をすることになる。
 男女共同参画というのをどう実現するかは、なかなかにむずかしいことである。結局は、今日の出来事のようなことの積み重ねなのだろう。地道に、一つひとつ実績を積み上げていくこと。単に「男女がその違いを認識しつつ、仲良く」というきれいごとだけで済まない部分もある。突き詰めて行けば、女性の差別撤廃運動としての面もあるのだから、制度面からのアプローチと県民の意識改革のアプローチと、両面が必要となってくるだろうと思う。


2001.7.13

 午前7時で既に30度を超えた。その炎熱の中で皇居一周。お供は佐々木秘書。今回の東京出張は、渋谷秘書に代わっての随行である。彼は、秘書課に来てからジョギングを始めたのだが、若さと才能であっという間に本格ランナーの仲間入りである。25分59秒で一周。
 今回の出張は、厚生労働省の社会保障審議会に出席のため。私の発言はただ1回。「小泉改革で、国と地方の役割分担を見なおして、補助金も基本的に整理していこうという時代である。福祉の仕事を、厚生労働省が地方に対して補助金を出して進めていくというやりかたは、もはややめるべきである。補助金分配業としての仕事から、国でしかできないような仕事の形へ、厚生労働省がまずは率先して改革したらどうか」といった趣旨を申し上げた。
 23年と7ヶ月籍を置いた厚生省である。審議会で説明し、質問に答える幹部は、全員私の後輩だった。彼らなら、積極的に改革に努めてくれるだろう。そんな期待をしつつ、この審議会の委員を務めさせてもらっている。


2001.7.12

 今朝はジョギングなし。7時半発で気仙沼に行かなければならない。国道284号線新月バイパスの開通式に出席するために、朝7時半に気仙沼に向けて出発。車で二時間以上かかるところなので、10時の式に出るためにはこれだけ早く家を出る必要がある。
 平成5年から工事が始まり、9年の年月と87億円の経費を投じて完成した。本来は、新月ダムの建設とセットであったのだが、ダムのほうは途中で休止の判断が出た。道路改良のほうだけが残ったのである。旧道は、つづら折りの狭い道路で、大型車がすれ違うのは極めて困難な3キロ。これを2本のトンネルと3本の橋を組み込みながら、立派な2.5キロに改良した。走行時間の短縮でいうとわずかに2.5分だが、安心とゆとりの2.5分である。
 式の挨拶では、「作ってなんぼではない、使ってなんぼだから、有効に使おう。気仙沼市も沿線の町も、魅力あふれる地域にしなければならない。次は、三陸縦貫自動車道路だ」といったことをしゃべった。私の隣の席は、「あの」光家康夫東北地方整備局道路部長。前職は、「あの」長野県土木部長である。ダムを中止して道路が残ったという話は彼としてはどう聞いたのかなと、いらぬことに考えが及んだ。
 夕方4時からは、臨時記者会見。県警の食糧費支出文書の情報非開示処分について、仙台高裁で県側が敗訴した。この判決を受けて、上告するかどうかの決定の期限が今日である。私の下した結論は「上告せず」。高裁判決が判示した「開示による不都合は抽象的なものである」ということに、きっちりと反論を展開することは無理と判断したことによる。
 警備の部隊に弁当を作った業者名を開示することで、その業者に害が及ぶおそれありというのが県警の主張であるが、大掛かりな警備の際に、業者の名前が書かれた車両で現場に弁当を届けに出向いているという事実がある中では、「頭隠して尻隠さず」のたぐいだろう。開示うんぬんの問題ではなく、危機管理の問題、警備のありかたの問題であると私などは考えるのだが・・・。業者が害を加えられるのが心配なら、その業者を警察が責任をもって警備するのが当然。こういうことは、常識的な見方ではないのだろうか。
 そういえば、今日は参議院選挙の告示日だ。県内候補者については、特に、どなたの応援をするわけでもないので、さしたる感慨もなく今日の日を迎えている。だから、選挙については今日は特に何も書かない。


2001.7.11

 曇り空の下、4K。いつもより短く走る時に使うコースを、今朝は逆回りで走ってみた。不思議なもので、同じコースでも、逆回りすると感じがまるで違う。気分が変わる。
 こんな短いコースの時でも、事前事後のストレッチは欠かさない。3つのモーションを片足30秒ずつ。筋肉を、痛くなる直前まで最大限伸ばす。反動をつけるのではなく、伸ばしたままで静止するのがポイントである。走る前にストレッチ、走った後もストレッチ。これが怪我を防ぐコツである。  
  今日も仕事は次から次へという感じだった。暑いので大変。県庁では、気温が28度を越えないときは冷房を入れない。今日なんかは、そのぎりぎりのところ。こういう中途半端な暑さが一番困る。頭をボーっとさせながらも、まじめに仕事をした。自分へのご褒美に、ビアパーティー、3150円飲み放題で元気を回復して帰宅。


2001.7.10

 昨晩は、「千葉県知事 堂本暁子さんを囲む夕べ」が東京であったので、今朝のジョギングは皇居一周。ここ最近、このコースを走ることが多い。  
  皇居一周コースはランナーとしては、魅力あふれるものである。適度にアップダウンがあり、信号は一つもない。首都の真中にこんな4.8キロのコースがあるのが幸いである。春先の柳の芽吹き、花の季節の見事な桜、梅雨入り頃のあじさい、秋の紅葉と枯葉、冬の時期のもの寂しい風情さえもが、ランナーの目を楽しませてくれる。  
  東京で役人生活をしている頃、月に一回ぐらいだが、中野の宿舎からの皇居一周ツアー20キロを走った。四谷方面から麹町を経て、皇居の緑が見えてくるところでは、胸がわくわくしたものである。  
  今朝は、気温もそれほど高くない曇り空で、比較的走りやすかった。軽く走ったつもりだったが、26分28秒。それほど遅いタイムではない。それにしても、走った後は汗びっしょり。気持ちのいい汗ではある。  
  昨晩の「堂本さんの夕べ」は盛況であった。公務でなく政務という整理だったので、私費での参加。お供は私設秘書の菊地繁信君。仙台二高の同級生で、3月の千葉県知事選挙では堂本さんの応援のために二度も一緒に千葉入りをした「戦友」でもある。  
  旧知の人たちも多数出席していたが、全国各地から出席した元気のいい人たちが次から次と私のところにもご挨拶に来られて、いただいた名刺が百枚を越えた。おかげで、2時間のパーティーの間、ほとんど飲まず食わずになってしまった。


2001.7.9

  曇り空の下、8K。最低気温も20度で、暑くない。この梅雨が明ければ本格的な暑さがやってくるかと思うと、ジョガーとしては、むしろ、梅雨が明けてくれないほうがいい。
 今朝は、久しぶりにラジオを聴きながらのジョグだった。「生島ヒロシのおはよう一直線」に田中康夫長野県知事が」出演するという。これは先輩として聴かざるべからず。「先輩」というのは、「先輩知事」というよりは、この番組の出演における先輩という意味。
 「久しぶり」と書いたのは、ラジオを聴きながらの走りは、通常、冬に限られているから。冬の間は、ラジオを入れておくポケット付きのジャケットを着用しているし、イヤホンを耳当てで押さられるので、ラジオ聴取しながらの走りが容易なのである。
 それはともかく、田中知事の話は6時18分からの10分ほど。さすがにうまいもので、説得力がある。ラジオの使い方も慣れている感じ。「今度はスタジオに呼んで下さい」と言っていたが、スタジオまではジョギングで来るのかな。
 月曜日の朝は、幹部会、庁議、定例記者会見と続く。記者会見が嫌いでないことは、「年金と住宅」連載の「新・言語学序説」の6月号で書いた。今日の記者会見は、さほどエクサイティングではなかった。記者は、12日告示の参議院選挙で頭が一杯なのかもしれない。
 金曜日に続いて、この原稿も新幹線の中から送っている。便利な世の中だね。


2001.7.8

 梅雨のさなかとは思えないほどさわやかな青空の下で、サンデーマラソンクラブ(SMC)の仲間達との走り。6キロコースを今日伴走するのは、私の元秘書の菅原久吉さん、県の産業技術総合センターの森由喜男さん、それに石川トヨ子さん。石川さんは60ウン歳。県内外のマラソン大会で、数えきれないほどの優勝を誇るランナーである。今はテニスに夢中で、レースに出る以外で真剣に走るのは、このサンデーマラソンの時だけとおっしゃる石川さんだが、走りに関しては私にとっての一つの理想であり、目標である。  
  走ることは、孤独の営みと思っていた。「一人きりになるために走る」というところもあった。ところが、このSMCで走るようになってからは、大勢と一緒に走るのもいいなと思えるようになった。今日の集まりは60人以上。背広にネクタイでない、名刺のいらない、日曜日だけのつきあいが続いて7年半になる。気持ちのよい汗をかいて、今日も7時半解散。  
  昨夜の湘南ベルマーレ戦で、わがベガルタ仙台は1対0で勝った。これで11勝2分5敗、J2での順位を一つ上げて第4位。5月23日以来の勝利というだけでなく、七夕の夜に勝ったことがうれしい。「ベガルタ」は、そもそも、ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)を合わせた造語である。七夕そのもののような名前を持つチームが、七夕の星の夜のゲームに勝たなければ申し訳が立たないではないか。観客数14、714人。


以前のジョギング日記はこちら
 2001年7月第1週分
 2001年6月第5週分
 



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