宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記
2001.9.1

 9月になった。空の色が秋である。雲の形、光の強さ、空気の香りが8月と違う。短い夏が終わってしまった。この秋の空気の中を走るのは、気持ちがいい。一年の中でも、走る条件として最適という季節の始まりである。気分良く、6K走った。

 9月1日は、全国的に防災の日。わが宮城県でも、総合防災訓練を行なった。今年の開催地は中新田町。あまりにも好天気で、防災訓練としてはふさわしくないかもしれないと思うほどであった。実践的な訓練ができたのは、毎度のことながら、地元の町当局をはじめ、自衛隊など関係機関の方々のご協力のおかげである。

 「天災は忘れた頃にやってくる」のではなくて、むしろ、そんな災害は生まれて初めてだというような災害に見舞われた時に、的確に対応できるかどうかが問われるということである。どこかの新聞記事にそんなことが書いてあったが、そのとおりだろう。だからこそ、今日のような訓練が必要ということになる。

 昨日の出来事だけど、書き忘れた。「県政体験モニター」で、実際に県庁の仕事を一日半やっていただいた人達との懇談があった。20数名の参加者だったが、みなさん県庁の職員はみんな親切で、考えていた以上に熱心に仕事をしていたという印象を語ってくれた。もちろん、お世辞もあるだろうし、受け入れる各課のほうでも、一生懸命対応したということもあろうと思う。それでも、けなされるよりはずっとうれしい。

 たった1日や2日だから、こういう評価なのかもしれない。本当は、年から年中「モニター」してくれる人達が必要なのだろう。県庁の常識は、外の世界の非常識という評価を受けないためにも・・・・。


2001.8.31

 8月が終わる。夏が終わる。夏としては不完全燃焼である。仙台の8月の真夏日はたった1日。これでは夏という感じがしない。今朝も朝から雨。よって、8月最終日もジョギングはなし。今月の走行距離は109K。体調不良の日々もあった月としては、まあまあだろう。

 夜は、松島のホテル大観荘で『全国発達支援通園事業連絡協議会』があって、懇親会に出席してきた。16年前、北海道庁で福祉課長をやっていたときの友人、阿部哲美さんが全国の会長をやっている会であるので、出ないわけにはいかない。

  総勢300人近い参加者だった。札幌から出席していたメンバーに「シングル・マザーの会」というのがあった。シングル・マザーで、子どもは重度の自閉症というメンバーだ。二重苦ということだと本人たちが言う。どんなにか大変な人生だと思うのだが、結構元気にやっている。やはり、ちゃんとした支え(通園施設)があるからだろう。関係者の努力に頭が下がる。


2001.8.30

 雨模様の中、6Kラン。涼しいので走りやすいのだが、それにしても8月のこの涼しさはどうしたものだろう。

 夕方、佐藤豊さんの出版記念会が県民会館であった。「「革命」にかける7人の男たち」という本である。革命とも呼ぶような改革に奮闘している(と佐藤豊さんには思える)7人との対談集である。豊さんの、一方的な思い入れがたっぷりの本にできあがった。

  その7人の中に私も入っている。登場人物のうち、宮城大学名誉学長の野田一夫さん、仙台二高の同級生、心臓内科の権威目黒泰一郎君、障害福祉の仕事での「戦友」田島良昭さん、「森は海の恋人」の実践者畠山重篤さん、格闘技のカリスマ的闘士東孝さんが出演。東さんは初対面。この世界では、神様みたいな存在である。

 私が聞き役で、「佐藤豊を裸にする」という対談があったが、どうも思うようにいかない。逆に、豊さんのほうから「三選出馬をここでしろ」というようなリクエストを何度もされてしまって、困った。そんなことするわけがない。

 それはともあれ、このあと、豊さんがホストで次々に本に登場するゲストを自分のサロンに呼ぶといった凝った演出で、結構面白い企画だった。入場料2000円ということで、入場者の数のほうを心配していたのだが、こちらのほうも大成功に近い。


2001.8.29

 ジョギングを始めて15年目に入った。誰かも言っていたが、「継続は力なり」である。この点ではちょっといばっていいのかもしれない。続ける秘訣の一つは、「毎日欠かさず走るんだ」というような無理な目標を立てないこと。体調が悪い、朝早い日程がある、前日遅かった、飲み過ぎ、寒過ぎ、暑過ぎ、雨・風・雪といった条件の時は、走らないことにしている。それでも、年間200日は確保できるのである。

 今朝は、上の条件のどれにも当たらない、「気力が充実しない」という理由でジョギング中止にした。これは結構珍しいこと。ひょっとして体調がいまひとつかとも思ったが、そんなこともない。というわけで、今日のジョギングはなし。

 みやぎマルチメディア・コンプレックス構想の推進委員会を発足させた。メンバーは5人。私のほかに、仙台市長、仙台商工会議所会頭、東北電力社長、みやぎ情報サービス協会会長。このままでは、IT関係の人材も事業所も、結局は東京一極集中になってしまう。仙台にインターネット・イクスチェンジ(IX)を設立して、関連のデータセンターも呼びこむ、IT人材の養成も行なう。これらをすぐにでも実現するというスピードが求められている。そういったことの実現のためには、仙台市、経済界の協力体制は必須である。ということで、今日の委員会の発足となったのである。

 家でやらなければならない「宿題」を抱えているので、久しぶりに今日は早めの帰宅。


2001.8.28


 早朝7時半からの勉強会に出席のため、今朝のジョギングはなし。丁度というか、朝方は雨が残っていたので、どちらにしても走るのは無理だった。

 午前中ブロードバンドの実験デモが県庁内の会議室であった。面白い。驚いた。NTT の方々のお世話によるものだけれど、光ケーブルを使っての回線は、文字通り「ブロード(広い)」通りの中を情報が駆け巡る。送られてくるリアルタイムの映像は、テレビと同じスムーズな動きである。

  入院中のこどもがベッドサイドでヴァーチャル授業を受けられる。双方向性なので、先生との対話もある。ITは、入院中の子どもの寂しさも解消してくれる。内視鏡を使っての手術を遠隔指導する様子は、あまりにリアル過ぎて、ちょっと気持ち悪くなるほどだが、これは医学の世界に全く新しい方式を導入するものである。

  可能性はどんどん広がる。宮城県のマルチメディア・コンプレックス構想を明日発表して、その構想を進めるための体制を作ることにしているのだが、いいタイミングで実験デモを見ることができた。やはり、この分野の生きた知識を身につけておかないと、時代に取り残される。


2001.8.27

 朝はいつもの5時29分に起きそびれて、目がさめたら5時50分だった。よって、今日の走りは、少し短くて4K。今のコンディションとしては、むしろ丁度いい距離かもしれない。汗も適度にかいて、気持ちのいいジョギングだった。

 昼に、竹中ナミさんとチャレンジドの人達がやってきた。「チャレンジド」というのは、神様に挑戦を受けているという意味で、ハンディキャップを跳ね返してごらんと言われている人のこと。一般的には「障害者」と呼ばれている。神戸でプロップステーションという団体を主宰している竹中さんがそう呼ぶことを日本で広めている。

  「ITを障害者に使いこなしてもらうことを通じて、障害者を税金を使う側から、税金を払う側に変える」ということをコンセプトにしてユニークな活動を続けている団体である。私は、その話を竹中さんから4年ほど前に聞いてから、いろいろなところで紹介している。宮城県の障害者問題の関係者の間では「障害者」というところを「チャレンジド」と表現することはすでに常識になっている。

 「私が『チャレンジド』の語源を説明すると、『浅野さんのマネをしている』と言われるんだよ」と竹中さんから抗議された。「僕は、ちゃんと、この話は竹中ナミさんという人から聞いた話だよと言っているだけどな」と言い訳しておいたが、私にとっては、これはむしろうれしい誤解のたぐいだろう。

 それはともかく、今回の竹中さんの訪問の趣旨は、来るべき国体でデジタルカメラで取材した映像を、すぐさまホームページ上に編集して配信するという仕事をしていただくチャレンジドの人達との顔合わせである。撮影と取材は、当地の仙台商業高等学校の学生さんをはじめとする高校生がやってくれる。それを、当地のチャレンジドの人3人が編集してくれる。その高校生4人とチャレンジドの人達が、私のところにごあいさつに来られたということである。

 今年の宮城国体は、「バリアフリー国体」を標榜している。チャレンジドの人達には、いろいろな場面で国体に協力をいただいているのだけれども、このデジタルカメラ映像の処理もそのひとつ。障害者自身が国体運営に関わってもらうということの意義は小さくない。大いに期待している。


2001.8.26

 航空自衛隊松島基地での第47回航空祭に出席してきた。本来なら、今年は48回目になるのだが、昨年は2度にわたって、この基地を飛び立った航空機の墜落事故があり、中止になった。この航空祭は基地のある矢本町の観光協会と松島基地とが共催で開催しており、町民を巻き込んでのお祭として定着している。全国でも珍しい例である。10万人に上る参加者は、もちろん、矢本町民だけではない。航空機ファンは、県外からもたくさんやってくる。昨年中止されたので、2年ぶりの開催を待ちかねたファンが大勢やってきた。

 天候の関係で、呼び物のブルーインパルスの曲技飛行は今年も中止になったらしい。「今年も」と書いたのは、これまで3回参加しているが、天候不順で一度も曲技飛行を見ることができなかったからである。式典のあいさつでは、危険を冒しても国民の生命と財産を守るための活動に邁進している自衛隊員の方々のご尽力に深く感謝の意を表しておいた。災害時の支援など、宮城県としても自衛隊にはほんとうにお世話になっている。これからも、どうかよろしくお願いしたいという率直な思いである。

 午後からは、岩沼市にての「みやぎ芸術銀河」のオープニングに出席。正式には、宮城県民文化創造の祭典というはずだが、なかなか覚えきれない。

 今日は、外山雄三さんの指揮による仙台フィルハーモニーの演奏が呼び物である。その前に、頼近美津子さんと私との対談がある。昨日、「打ち合わせ」をみっちりしていたので、何も心配はない。なにしろ、頼近さんの話は面白いのだから、私は適当にあいづちを打っていればいい。そして、まさにそのとおりになった。

 頼近さんがコンサートプランナーという役割を果たすようになったきっかけは、世界的指揮者の小澤征爾さんと、これまた世界的チェロ奏者のロストロボーヴィッチさんとが、17名の奏者を引き連れて新潟県と長野県の山の中の村をキャラバン隊のようにして訪ねていったのに同行したということだったとのこと。思わず、「素晴らしい、素晴らしい」を連発してしまったが、すごいことだと思った。世界のオザワと、世界のロストロボーヴィッチ(彼のフルネームは、早口言葉のようで、とても発音できない、覚えられない。それを頼近さんは、話の中で11回も間違わずに言った。すごい)が、オーケストラを一度も聴いたことのないような村に行って、川原や谷あいで演奏をする。これって、本当にすごい、素敵。

 というような話がいっぱい聞けて楽しかったのだが、35分しか時間が取れず、もっと聞きたいというところで終えてしまわねばならなかったのが、残念。しかし、そのあとの、仙フィルの演奏は素晴らしかったので、「元は取った」という気になった。頼近さんのちょっとした解説で、演奏が何倍も楽しめたのも、ひとつの発見である。

 早朝は、3週間ぶりで、サンデーマラソンクラブに行った。6Kプラス4Kの10K。気持のよい汗を流すことができて、満足。



以前のジョギング日記はこちら
 2001年8月第4週分
 2001年8月第3週分
 2001年8月第2週分
 2001年8月第1週分
 2001年7月第4週分
 2001年7月第3週分
 2001年7月第2週分
 2001年7月第1週分
 2001年6月第5週分
 



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