2001.12.8
開戦記念日。真珠湾、太平洋戦争といってもピンと来ない世代が増えた。新聞だって「60周年」というのに、扱いは随分小さくなった。むしろ、アメリカのブッシュ大統領が真珠湾攻撃と国際テロとを並べた演説をしてことが話題になるほど。正しい歴史は、正確に次ぎの世代に引き継がれなければならない。その苦い教訓とともに。
日程の関係で、今日は皇居一周を早朝ではなく、10時過ぎから始めることになった。概して、早朝より昼間のほうがタイムはいい。起き抜けよりは身体がよく動くからだろう。ということもあり、今日は記録に挑戦する気持ちを少し持って走り始めた。同行の渋谷秘書は、「どうぞ好きなように」ということだったので、好きなように走ったというわけ。
結果は皇居一周24分19秒ということで、前回より1分ほど速い。ただし、後半はさすがにバテバテで、横腹が痛くなるほどであった。雅子さまと愛子内親王が1時間後にご退院という頃だったので、半蔵門のあたりには報道陣が黒山のように集まっていた。それを横目で見ながら走っていた。
東京からの帰り、家族と合流して温泉宿へ。久しぶりにのんびりと温泉につかった。私の母、妻の母も一緒の一行6人だが、男性は私一人。夕食でビールを飲むのも私一人であった。
2001.12.7
体重が急増したことに危機感を持ったというわけでは決してないが、今朝は8K走った。そう言えば、このコースを走るのは久しぶり。8K走っても、体重は全然減っていない。もうちょっと続けなければならない。
県議会一般質問の2日目。伊勢敏議員の村田町竹の内産業廃棄物処分場問題に関する質問に対して、副知事を本部長とする対策本部を立ち上げて対応する旨の答弁をした。私とすれば、政策の転換とまではいかなくても、姿勢の転換のつもりである。廃棄物処理行政の延長線上では、なかなか対応できない状況になっているとの判断からである。住民の方々の行政に対する不信感なり強い不満は、簡単には解消しないだろうが、方向としてはいい方向に向かうことを期待したい。そのためには、当方としての誠心誠意の努力が必要である。
夜は、「千代会」に出席のため、東京へ。「せんだいかい」と読む。転勤で仙台に移り住み、そののちに東京に戻った人達の会である。会員は200名ほど。仙台在住の転勤族の会は愛称が「仙チョン会」という。言うまでもないが、仙台のチョンガ(独り者)の会である。毎年この時期に開催され、私もほとんど出席している。今回も、なかなかの盛況だった。
皇太子殿下と雅子さまのお子様のお名前が決まった。敬宮(としのみや)愛子(あいこ)内親王である。仙台市青葉区に愛子と書いて「あやし」と読む地名がある。宮城県の子ども病院建設予定地の地名は、5,6年前の地名変更までは、愛子だった。そんなことまで考えて、とてもうれしくなってしまった。
2001.12.6
朝、みぞれ模様。ジョギングは当然中止。昨晩、私にしては就寝が遅かったこともあった。ともかく中止。2日連続で走っていない。体重がえらく増えている。これはまずい。
今日から、県議会の一般質問が始まった。初日は質問者が5人。答弁原稿があるので、淡々と答えるのみ。ちょっと原稿にない言い方をした部分もあった。答弁をしていて、どういうわけか、肩が凝ってしまう。鍛え方が足りないのだろう。
翌日の答弁打ち合わせを済ませて、早めの帰宅。家の中も、なんとなくスースーと寒さが入りこんでくる。暖かくして、早く寝るのが一番だ。