宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 3月第5週
2002.3.31

 今月最後の走りは、残念な結果に終わった。昨日までで、走行距離は月間260Kに達していた。通常は、120K程度であるから、その2倍を超えている。今朝も、SMCの仲間にそのことを言ったら、「走り過ぎ」という声が返ってきた。

 そのSMC。いつも集合する西公園源吾茶屋の近くでは、若者達のグループが花見の宴を張っていた。走り出して2Kぐらいのところから、昨日の走りで感じた右足の違和感が戻ってきた。しばらく走ったところで、リタイア。無理して悪化させては元も子もない。明らかに走り過ぎによる筋肉疲労。3日間は休む。

 ベガルタ仙台の4戦目を応援に仙台スタジアムへ。相手は三浦和良選手、城選手のいるヴィッセル神戸。前半にコーナーキックからの1点を先取され、いやな予感がした。後半、残り1分を切ったところで、ベガルタ仙台がペナルティキックを得た。これをマルコスが確実に得点。延長へ。延長10分山下のシュートで劇的な逆転勝ち。隣で観戦の京極昭社長と手を取り合って喜んだ。観衆も19000人を超えたので、経営的にもうれしい。そういう意味も込めての喜びではあった。

 攻めていたかと思えば、ボールを取り返されてすぐに攻めこまれる。それを取り戻してさらに攻めへ。何か、最近の国会の様子を見ているようなサッカーの観戦だった。


2002.3.30

 雨音を聴きながら寝入っていた。5時半に目覚めたら、その雨音がしない。ひょっとしたら、「明日の昼頃に雨が上がる」という天気予報の時間が繰り上がったのだろうか。そのとおり。予定を変更して走ることにした。しかも、2時間走。

 先週走って気に入った宮城大学コースに再度トライ。歩道が整備されている安全コースに変更したので、1時間では宮城大学まで到達しなかった。仕事の予定も入っていたので、無理せずに途中で引き返した。膝周辺の筋肉が痛くなる予兆があったが、無理せずだましだまし走っているうちに直ってしまった。人生にも似たようなことがある。

 午後、県の障害福祉課長を4年務めたあと、福祉事業団の福祉部長を1年やり、今回、埼玉県の民間の知的障害者施設長として故郷に帰ることになった渡辺次男さんの送別会があった。実際は、送別記念の講演会。本人の講演のあとは、福祉事業団の田島理事長と私も加わっての鼎談。夕方からは、懇親会も。渡辺さんには、厚生省の障害福祉専門官から宮城県に招聘した。6年間の単身赴任生活を強いてしまった。奥様もご出席だったので、この点について、お詫びを申し上げた。

 いよいよ今日から、プロ野球が開幕。四十年以上阪神ファンをやっている私であるので、対巨人の開幕戦は是非とも勝って欲しかった。見事、3対1で勝利。阪神としての開幕12連敗を免れた。星野監督、幸先がいい。今年こそは、わがタイガーズはそこそこ以上に活躍してくれそうな気がする。


2002.3.29

 軽く6K。天気予報では、明日の朝は雨模様ということだったので、今日のところは走っておかなければ2日続いての休みになるおそれがある。

 辞令交付の日であった。今日をもって退職する職員が、170名以上。その方々に退職辞令を交付した。40年近く宮城県庁に勤務した方々である。こもごも感慨がおありになるはず。壇上からお顔を拝見すれば、まだまだお若い方ばかりである。第二の人生でも、十分ご活躍いただきたい。そんな思いをあいさつで申し上げた。

 教職員の退職者には、ねぎらいの言葉を申し上げた。こちらは363名。大部分の方は、昭和39年の奉職である。舟木一夫の「高校三年生」、「学園広場」、「修学旅行」、「君たちがいて僕がいた」などがヒットした年。あのころは「学園もの」ばやりであった。卒業式で生徒を送り出すばかりだった先生方が、今日は自分たちが卒業していく。こちらも感無量であろう。何人かの方は、涙をふいていた。

 夜は、久しぶりに連句の会。匂当台会館にて。都合で私の妻は欠席だったが、今夜は6人で座を囲んだ。愉快な中にも、知的な香りのする言葉の遊びのひとときである。こんなふうな句。

  春雨の 島に遊女の 墓探す    
      帰雁の群の 放つ一声  
  ウインドウ 家族写真も うららかに
      ラッシュの駅を 足早に過ぐ  
  大広間 月光充ちて 香の客    
      丹塗の盃に 注ぐ菊酒  
  幼な顔 不登校児に 秋深し    
     友の捻挫に 北穂ビバーク  
  思うゆえ 触れず別れる 二十五時    
      器用貧乏 痩身の彼  
  露座仏の 苔の色味は さまざまに    
      蚊帳ごし眺む 月に網の目  
  引越しの トラックに乗る アロハシャツ  

 このうち、私の句は、4、7、12句である。十八句まで詠むべきところ、時間切れで十三句で終わってしまった。


2002.3.28

 少し疲れ気味、寝不足気味だったが、走ることにした。ふつうのペースで8K。冬の間は西風オンリーだったのが、今朝あたりは反対の東風。やはり春の訪れである。

 今日も、退職者との車座集会があった。出席の退職者は4人なので、「集会」というほどではないが、それぞれから心に残るお話をいただいた。目標をしっかり掲げて仕事をする、これがマネジメントの基本であるが、県庁組織はそれにはまだまだ遠いという意見もあった。大変厳しい見方であるが、しっかりと受け止めなければならない。

 夕方から夜にかけては、政策調整監室のメンバーとの会議、そして歓送迎会。総勢たった5人の組織であるが、私にとっては、得がたい人達である。知事の各部局への指示を的確に伝え、事後処理までする。ある意味での知恵袋でもある。どれだけ助けられたことか。年度末の人事異動で、2人が去り、2人が来る。まずは、感謝を込めたお送りと、新メンバーとの顔合わせ。

 加藤紘一議員がいよいよ追い詰められた。こんな展開もあるだろうとは思っていたので、辞任するならもっとずっと早い時期にと感じていた。ご本人の対応が甘かったという面は否定できない。彼のような人までもが、資金の関係でこんなことになるということは、自民党の抱える問題の闇はいよいよ深いと言わざるを得ない。「政治には金がかかる」ということを「常識」にして、それを制度ではなく水面下の動きで解決しようというところに諸悪の根源がある。これでは、国民一般が政治の世界に対して、うさんくささ以外のものを感じなくなってしまう。それではいけないんだということを、関係者すべてが本気で考えなければならない。


2002.3.27

 久しぶりの雨である。このところ、休むことなく走っていたので、恵みの雨のようなもの。心置きなく、走るのを休む。

 仕事のほうは、年度末ということもあり、ひとつの締めくくりのようなものが続く。国体、全国障害者スポーツ大会の実行委員会も役割を終えて、本日最後の委員会があった。今世紀最初の国体と、第一回の全国障害者スポーツ大会。「バリヤフリー大会」の目的も達して、いずれも、大成功で終えることができた。しかも、「行革国体」と称して、先催県と比べて驚くほどの低予算で運営した。このことも、誇りである。

 辻元清美議員が辞職した。鈴木宗男議員の疑惑追及であれだけの注目を浴びた人が、一転して非難の矢面に立たされている。嫉妬もあるのかなと思うが、まさに一寸先は闇である。

 東京都の銀行への法人事業税の外形標準課税が、条例ごと法律違反であると決めつけられる判決が、東京地裁で昨日なされた。確かに、法律を淡々と読めば、東京都のやり方はかなり踏み込んだものではあった。何故、銀行だけなのか、何故、東京都だけなのかということについては、当初から疑問がつきまとった。それにしても、700億円を越す税金が、本来取ってはいけないと言われたわけで、一体どうするのだろうかと思ってしまう。

 赤字の法人にも課税をするという外形標準課税は、時代の要請だろうと思う。しかし、それは地方税法の改正という、正攻法でやらなければ危うい。東京都のように、独自の条例でやるのは、勇気のある一歩であったが、それが勇み足との司法判断が下された。勇気と蛮勇と、なかなかにその境界線はむずかしい。


2002.3.26

 今朝も寒い朝であった。風が吹くと手が凍える。そんな中で、8K淡々と走った。

 年度末でなにかとあわただしい。カキの生産者の要請を受けた。宮城県産カキが韓国産カキと混ぜられて流通している実態を、県として調査して欲しいというものである。生産者として、せっぱつまった要請であることがよくわかる。流通段階で韓国産カキの混入がなされているとすれば、とても我慢ができないであろう。宮城県産カキが今後とも、生き残っていくための瀬戸際のような状況である。県として、何ができるか。必ずしも、決定打はないが、できる限りのことはしなければならない。そんな決意を新たにする場面であった。

 人事異動の季節。今晩は、「清翠会」という名の秘書課の親睦会による送別会があった。新年度に、9人が他のセクションへと異動する。私としては、この8年間、一体何人のメンバーを送り、何人の人達を秘書課に迎えたことか。当然のことだが、秘書課では私が最古参ということになってしまって久しい。人事異動の対象にならなくなって、9年目を迎えてしまった。


2002.3.25

 桜のつぼみはふくらみつつあるとはいっても、まだ3月である。今朝は、結構寒い中での6K走であった。

 年度末、退職者にとっては、感慨無量であろう。庁内での車座集会、今日は、その退職者の中から6人の方に来ていただいた。40年前、県庁の赤レンガの立派な庁舎に入って仕事ができたときの感激を思い出すという方、女性職員としての差別はこれからの人達にはなくなって欲しいと訴える方、さまざまな本音のご意見を聞かせていただいた。

 夕刻は、仙台金融経済懇話会(仙チョン会)での講演。前半は政治評論的に、後半は県政の課題について、思うところをお話させていただいた。

 今日もマスコミの話題は、辻元議員の問題ばかり。鈴木宗男議員の問題は、あっという間にどこかに行ってしまうのかもしれない。  


2002.3.24

 SMCの集合場所になっている西公園源吾茶屋の前の桜が、つぼみをふくらませている。来週にはいくらか開花するのではないか。例年より随分早い。

 このところ走り過ぎの感じがあるが、森由喜男コーチの的確な指導を受けながら、今朝もそれなりのペースで走ることができた。来月21日のつばきマラソンでは、これまで同様にハーフマラソンを走るつもりだが、森コーチからは、1時間50分は切れるのではないかと言われた。私自身の目標は、「年齢以下のタイムで」ということで、1時間54分である。「年齢以下のタイム」は一昨年だけクリヤできなかった。アップダウンがまことにきついコースなので、リズムを崩すとメタメタになる。本番でも森コーチは一緒に走ってくれるので、コーチの指導にしたがって、自分のリズムで走るようにしたい。

 6Kコースを走り終わり、整理体操をして解散。2K弱の道を走って帰るのだが、澱橋のところで強風に帽子を吹き飛ばされた。河原に落ちてしまったので、取りに行くのはあきらめた。長年走っているが、こういうのは初めてである。なにごとにも、初めてということはあるものだ。

 河北新報の県内版で「分権への道―市町村合併を問う」というシリーズものをやっている。最終回の今日の記事で、前回の県議会での私の答弁が「歯切れが悪い」と表現されていた。「上からの強制的な合併と受け取られないように」ということが歯切れが悪いということなのだろうか。強制的と取られたら、なるものもならない。だから、そのことには慎重に対処するというのは、とても大事な姿勢だとは思うのだが、やはり「いけいけ」というほうが歯切れがいいということになるのだろう。

 それにしても、合併の必要性を市町村や住民の方々に訴えることは、今、大いに求められている。その点での努力を惜しんではならないと思う。


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