宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 4月第4週
2002.4.27(土)

 なんとなく気力が充実しない朝だったが、ぐずぐずと起き出してゆっくりと走った。走っているうちに調子が上がってきて、復路は結構速いペース。6K。

 連合宮城主催の第73回メーデー宮城県大会に出席。なんで「メーデー」が4月になるんだと誰しも思う。労働者の連休対策らしいが、やはりしっくりこない。ともあれ、素晴らしい五月晴れ、いや四月晴れの下、大変厳しい雇用情勢を反映しての立派な式典であった。

 式典のプロデュースをしている斉藤良さんは、エルヴィスの理解者として、何度か私の番組「シローと夢トーク」に出演してもらったことがある。小泉首相の選曲したエルヴィスCDが評判になり、3月の番組では、それにならって「シローの選んだエルヴィス25曲」という特集を5週間続けた。それを聴いていた斉藤さん、その番組をもとにたった1枚のCDを作り上げていた。式典が終わったところで、その貴重な1枚を私に手渡してくれた。1曲ごとの解説(番組で私がしゃべった内容)までついている。大感激。この日記もそのCDを聴きながら書いている。

 朝8時からの読売テレビ、「ウェークアップ」で有事法制の特集をやっていた。数日前に取材を受けたが、その時の私へのインタビューが挿入されていた。発言の一部だけをつなぎ合わせて使ってあるので、何を言っているのか意味不明。それにしても、この問題については、アメリカの軍事行動にわが国が引きずられて、「巻き込まれ」の形で出てくる事態も「有事」として含むようではならないと思う。「有事」の定義というか、判定の仕方が決定的に重要である。これからは、そんなことを強調しながらコメントしなければならないと、改めて認識した。

 佐高信さんから、著書が送られてきた。2,3ヶ月に1冊という感じである。「よく書くな」と感心する。佐高信の政経外科W「泣くより怒れ」と題したその著書、阪神対ヤクルト戦をテレビ応援しながら読了。そんな不真面目な応援だったからか、ヤクルトに大敗してしまった。


2002.4.26(金)

 久しぶりに、TBSラジオの「生島ヒロシのおはよう一直線」に生出演。気の合った生島さんとの掛け合いは、実に楽しい。さまざまなニュースに関してコメントするのだが、ラジオは直接聴取者に話しかけているような気持ちでやることができる。いかにテレビ時代になろうとも、この親密感ではテレビはラジオに敵わない。

 東京での貴重な時間。寺島実郎さんとの朝食を摂りながらの意見交換、光の演出家の第一人者石井幹子さんとの打ち合わせ、雑誌「からだの科学」での対談、宮城県政策顧問の建築家大江匡さんとの意見交換。短時間ではあるが、情報収集としては、これほど効率的な時間はない。

 仙台に戻っていくつか仕事をこなして、一年に一回の市町村長会議に臨んだ。25分間、冒頭に長めの挨拶、短めの講演をしてから、各首長さん方との意見交換の時間があった。そのあとの懇親会。市長村長さん方と親しくお話をすることができた。

 有事法制、個人情報保護法案、郵政関係法案などなど、重要な法案が目白押しなのだが、国会審議は連休などで中断してしまう。これでいいのだろうか。そんなのどかな状況なんだろうかと思いつつ、この国の行く末を考えてしまう。


2002.4.25(木)

 今朝の走りは、かなりゆっくりペースで5Kほど。足の筋肉痛はかなり良くなったが、まだ痛みは残っているといった状況。

 朝方の仕事を終えてから、上京。慶応大学の榊原英資教授の声がけで始まった「地方分権研究会」に出席のためである。増田寛也岩手県知事、北川正恭三重県知事などの「いつもの仲間」のほかに、木村良樹和歌山県知事、麻生渡福岡県知事。榊原教授だけでなく、研究室の人達も一緒に作業をすることになる。地方から国を変えていこうという意気込みが感じられる会合であった。

 衆議院予算委員会で、辻元清美前衆議院議員への参考人質疑が行なわれた。ニュースで知るしかなかったが、辻元さんが感極まって涙声になったのにはちょっと驚いた。それにしても、ほんの少し前のできごとなのに、その間に政界の状況は大きく動いてしまっていることに改めて気が付かされる。「小悪、大悪、巨悪」といった言葉も頭に浮かぶ。辻元さんのケースとの比較で、それぞれの疑惑がどう裁かれるべきなのか。こういった現象を、1年後に振り返った時に、「あれは一体なんだったんだろう」と慨嘆しないような対応をしなければならない。そんな思いで、今日のニュースを眺めている。


2002.4.24(水)

 筋肉痛がまだ残っているので、速くは走れない。ゆったりとしたペースで7K。むしろ、こんなふうにゆっくり走るのが、ジョギングの醍醐味なのかもしれない。

 思い立って、仙台シニアネットの活動現場に行ってみた。このグループは、高齢者がパソコンを使いこなすための支援をしている団体である。ボランティア活動として、高齢者が同じ高齢者に対して、パソコンの使い方を教える。さらには、学校に出向いて教える。高齢者も生き生きと活動をするし、それによって、小学生も高齢者もパソコンの楽しみを知る。こういうのを、一石何鳥と言うのだろうか。

 このグループが全国に名をなした活動の一つに、マイクロソフト社のはがき作成ソフトのマニュアル作成がある。高齢者でも、全くの素人でも使いこなせる解説書は、マイクロソフト社でも作れなかった。まさに、素人集団である仙台シニアネットの面々にして、初めてできることだったのである。

 お話をうかがって、いろいろなご示唆を得たような気がする。ITは世界を変える。特に、高齢者の活動範囲を広げる、障害者の可能性を広げる。ボランティアの新しい形を提示している。こんな活動が、仙台から発信していることに、とても勇気づけられる。

 夜は、毎週水曜日のラジオ3「シローと夢トーク」の収録と生放送。「新米エルヴィス・ファン」に出演してもらった。エルヴィスの歌の魅力を素直に受け止めるということで、感性の良さを感じる。エルヴィスが亡くなってから25年も経つのに、まだまだ新しいファンが生まれていくというのは、一体どういうことなのだろう。エルヴィスの歌の持つ力を意識せざるを得ない。


2002.4.23(火)

 7時半から朝の勉強会があったので、今朝の走りはなし。実のところ、一昨日のレースによる筋肉痛が、まだ取れないでいた。どちらにしても、あまり走る状況ではなかったということ。

 勉強会が終わってから、エコー療育園へ。ここは、県内唯一の民間の重症心身障害児施設である。約5年ぶりの訪問になる。重症心身障害児は、私にとって障害者問題の原点。さらに言えば、人生を変えたきっかけになった存在である。

  動けない、話せないだけでなく、気管切開をし、経管栄養で生きているという超重症の人達も多数入所していた。こういう人達も、必死に生きている姿に心を打たれる。それを支えている人達の存在にも教えられる。

 夜は、犬飼健郎さんの仙台弁護士会会長就任披露パーティーに出席。彼は、仙台二高の1年先輩であり、厚生省の昭和45年入省の同期でもある。司法制度の大改正の時期であり、会長の責任も重いが、ぜひがんばって欲しい。


2002.4.22(月)

 つばきマラソンの後遺症として、太股の筋肉が痛いのは、毎年のことである。幸いにも、今月はじめに突然襲った足の痛みは、昨日あれだけ走ったあとなのに、再発することはなかった。今朝も少し無理して、あえて3Kだけだが走ってみた。筋肉の痛みは、走るにつれ和らいできた。しかし、この筋肉痛が完全に直るには、あと2,3日はかかる。

 月曜日の定例として、三役会、庁議、そして記者会見。それに加えて、月例談話の収録。今月は、新年度のはじめにあたってのメッセージ。

 午後から、私が会長を務める「仙台Jリーグ推進協議会」の解散総会があった。解散であるのに、とてもなごやかな、うれしそうな総会になった。それもそのはず、この協議会は、ベガルタ仙台をJ1に昇格させるための会であり、その目的を果しての解散であるからである。しかも、昇格してからのベガルタ仙台の快進撃には、協議会のメンバーも夢のような想いをしている。東北ハンドレッドの京極社長の報告も、誇らしげであった。昨日も勝っていて本当に良かった。  


2002.4.21(日)

 気仙沼市大島にて、第20回つばきマラソンに参加。(マラソン風景はこちらから)毎年のことだが、来賓として、そして選手としての参加である。今回は、20回目の記念大会ということで、ゲストに谷川真理選手を迎えた。谷川選手も私と同じくハーフマラソンへの出場。折り返しまで1K以上ある地点で、すでに折り返しを済ませた彼女とすれ違ってしまった。

 完走も危ぶまれる私の足の調子だったが、途中ちょっと筋肉に違和感を感じただけで、なんとか完走できた。復路の半分ぐらいまでは、むしろ、調子は良かった。今月になってからの走り込み不足が、最後に効いてきた。ゴール前の「魔の1K」の上り坂は、ほとんどその場足踏み状態。それでも、1時間49分54秒でゴール。昨年よりタイムがよかったのには、自分でも驚いた。

 このところ5回連続出場、通算7回目。毎回、「知事の部」で優勝という偉業を讃えられたのだろう。開会式では、特別表彰まで受けてしまった。そんなこともあり、今回も楽しいつばきマラソンであった。

 その帰途、仙台スタジアムに直行して、ベガルタ仙台の試合の応援に駆けつけた。対FC東京戦。前半は、車中のテレビ音声で聴いていたのだが、相手チームの怒涛の攻撃に防戦一方だった。「今日は負けるかな」と思いつつ、スタジアム入りした。川淵チェアマンも観戦していたが、ここまでのベガルタの快進撃には驚いていた様子であった。

  後半戦からは、スタジアムで応援した甲斐もあって、なんと3対1で快勝。前試合の負けゲームでは応援に都合で行けなかった妻は、自分の行った試合の不敗神話が今日も崩れなかったことにご満悦。これで、6勝1敗。信じられないほどの快進撃である。


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