宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 11月第3週 

2002.11.15(金)

 朝の寒さの中を8K。「寒さ」と書いたが、実感としては、快い涼しさである。夜明けが遅くなって、走り出す頃が薄暗いのが、ランナーとしてはほっとする状況である。走り終わって体調十分。充実感が身体中にみなぎる感じである。

 そんな充実感を持ちながら、県議会の開会日を迎えた。提案理由説明を読み上げる。大相撲の九州場所が開催中であるが、あちらは年6場所。こちらは、年4場所である。今議会も、精一杯の議論を展開したい。

 午後からは、県庁の永年勤続職員の表彰。25年勤続の職員を表彰するというものだが、今年表彰を受けるのは66名。昨年は90名。その前は126名。さらにその前は270名を越えていた。今年の表彰対象職員は、昭和52年の入庁であり、第2次石油ショックの中、県財政が苦しい時代の採用である。採用が手控えられていたということである。

 夕方は、県議会の萱場正美議員の出版記念祝賀会に出席。その際の萱場議員のご挨拶が、萱場議員の引退声明の場になってしまった。誰しも、出処進退はむずかしいものであるが、後援会長でさえ、10分前に知らされたということで、出席者の誰もが予想もしない引退声明ということであった。私としては、萱場議員らしい身の処し方だと感銘を受けたのであるが、近しい人ほどショックであったようだ。


2002.11.14(木)

 今朝の最低気温は、摂氏1度台。この寒さも一つの要因ではあったが、今朝の走りはなし。この辺で少しばかり身体を休めることも必要であろう。

 その寒い一日。来春卒業予定の高校生の就職内定状況が思わしくない。9月末現在で、16.7%。昨年同期と比べても、4.2パーセント・ポイント悪い。東北6県の中では最低。お隣の山形県の半分ということである。なんとか、県内企業で雇用してもらいたいということで、関係団体の方々にお願いに回った。企業のほうでも、生き延びるために大変な状況であることは承知しているので、心苦しいところではある。

 これ以外は、すべて庁舎の中での仕事が続いた。一つひとつの仕事を片付ける自分をほめながら、一日が終わった。明日も寒いだろうが、しっかり走ろう。


2002.11.13(水)

 1週間ぶりの日記になる。その間、アメリカに行ったり、いろいろなことがあったが、記憶が完全になくならないうちに、書いておきたい。こうやって、まとめて書く日記は、やはり臨場感がなくなるので、やっぱり、出張にパソコンを持っていくのを復活させないとだめかもしれない。

 

11月6日(水)  

 「写メール」で売っている、携帯電話大手のJフォンが東日本のコールセンターを統合して、その拠点を本県の富谷町に置くことを、この日の記者会見で発表した。我々のほうも、それに呼応して、夕方から記者会見をした。最大1,500人の雇用が見込まれるだけでなく、情報関係の産業誘致の呼び水になることが期待される。久し振りのいいニュースである。担当課の粘り強く、誠実な誘致活動が実を結んだ。そのことも含めて、心から喜びたい。

 夜は、久し振りに、ラジオ3での「シローと夢トーク」の生放送。プラス収録1本。お相手にも恵まれて、快調な放送になったと思う。

 

11月7日(木)  

 第1回の「食の安全安心推進会議」に冒頭のみ出席して、上京。この会議は、食の安全をめぐる最近のさまざまな問題に対して、どうしたら消費者の信頼を確保することができるかという観点からの提言をしていただくために設置したものである。守りではなく、攻めの姿勢で食品安全問題に対応していきたい。それが、「食材王国みやぎ」を打ち出す宮城県の覚悟を内外に示すものである。

 東京では、企業立地説明会、仙台港・仙台空港貨物利用促進首都圏セミナーに出席して、宮城県の優位性の売り込みをした。

  その合間に、岩手県の増田知事、鳥取県の片山知事と一緒に、都道府県会館にて記者会見。先日の「地方分権改革推進会議」の報告に対する異議申立てである。義務教育国庫負担金3兆円を廃止して、その分の財源を税源移譲の形で県に移すべきであるとの我々の主張に対して、改革会議の答は、教員の退職金、長期共済掛け金などの分5000億円を廃止するというもの。それに見合う地方への財源移譲については触れられていない。この5000億円分は、県としても、削ったり、増やしたりの裁量の余地がほとんどない義務的経費である。これでは、まるで「やらずぶった切り」ではないか。これは、記者会見で私が言ったこと。

 

11月8日(金)

 朝、時間的余裕があったので、ホテルから高円寺方面までの2時間8分走。22`。久し振りの長い距離で、満足感が一杯。そのあとの午前中、東京事務所にて、取材2本などをこなして、成田空港へ。米国カリフォルニア州ロスアンジェルスでの「南加宮城県人会百周年記念式典」に参加する用務での出張である。

 日付変更線を西から東に越すので、ロスアンジェルスに着いても、11月8日はまだまだ続く。カリフォルニアの青い空を想定して行ったのだが、なんと現地は何ヶ月ぶりかの雨。それも、警報が出るほどの大雨であった。

  空港からまっすぐカリフォルニア工科大学、ロスアンジェルス市役所、在ロス日本総領事館に出向くという、結構強行日程である。

 カリフォルニア工科大学では、産学連携について、具体的にたっぷりお話を伺うことができた。佐藤勇県議会議長もご一緒。佐藤議長も、眠さをこらえて、熱心に話に聞き入っていた。昼食プラス2ヶ所。学部900人、大学院1100人、教員280人という比較的小ぶりの大学にもかかわらず、現学長をはじめ、ノーベル賞受賞者を30人も輩出しているという。「このたび、わが東北大学から初めてノーベル賞受賞者を出しました」という私の声が小さくなってしまう。産学官の連携について、大変示唆に富んだ話を聞くことができたのは、大きな収穫であった。この関係を今後に生かしていきたい。不思議なことに、長い会見中、全く眠くならなかった。これは、今回の滞在中ずっと同じ。

 夜は、仙台放送からロスに派遣されている倉内記者と再会。お食事を共にしながら、彼の活躍ぶりを聞いてうれしくなった。当分帰りたくない口ぶりが、むしろ頼もしい。

 

11月9日(土)

 時差ぼけ、雨、気にしない。ということで、早朝6時に起きて、現地の長野さんの車に乗ってサンタモニカへ。もちろん、ここで走るためである。今回は、観光なし、買い物なしを覚悟してきたので、楽しみはこれしかない。前日からの大雨で足元は大変に悪いし、小雨が降り続いているので視界も極めて悪い。太平洋まで100メートルなのに、海がほとんど見えないほど。1,2`でも走れれば、ということで走り始めたが、結局、1時間8分、12`走ってしまった。秘書代理で今回随行の半澤さんも、がんばってついてきた。彼は、8`ほどは走ったはず。

 午後からは、リトルトーキョー内にある日系博物館を見学。1999年にこの博物館が新設されたばかりの頃、故小渕恵三首相のご説明役をした日系3世の方が説明して下さった。かなり、丁寧にご案内いただいたので、日系人がここカリフォルニアをはじめとするアメリカで、どれだけ苦労して今の地位を築いたのか、その中で、日系人収容所が当時の経済問題から出てきた背景などについても、よく理解することができた。とても貴重な博物館であるという思いを深くした。

 ホテルにて、現地の日系2世から5世までの青年達との懇談の時間が取ってあった。5世のジューベエ君13歳は、日本語がほとんどしゃべれないが、他の6人はバイリンガル。 「宮城県人会百周年だけで、県人会ということ意識しますか」と聞いてみたら、ほとんどが「ノー」。日本ということは意識するが、宮城県人の意識は1人を除いて、いない。試みに、「日本に県がいくつあるか知ってますか」と尋ねたら、年齢を問わず、正解にほとんと遠い答である。「15ぐらい」というのが多かった。

 夜は、市内の中華料理屋で歓迎パーティー。日本から来た150人のほとんどが参加。現地の日系人の方々も多数。くつろいだ雰囲気で、自然と歌などが出たり。

 

11月10日(日)

 式典当日。ロスに来てはじめての青空を見た。その青空の下、今朝もサンタモニカの海岸にでかけてのジョギング。半澤秘書代理は、今朝はずっとついてきて、私と同じく10キロを走破。彼にとっての、最長不倒距離とのこと。なにしろ、走り始めたばかりの初心者である。それにしては、とんでもないがんばりである。あんまりがんばってもらうことではないのだが・・・・。

 今日は、太平洋が水平線までくっきりと見えた。二日間の雨続きで空気がきれいになっているので、ハワイまでも見えそうな澄み具合であった。よく整備されたジョギングコースが砂浜の中にずっと続いている。昨日の雨の中でさえ10人ぐらいのジョガーに会ったのだから、今日はもっと多くの同好の士と出会った。昨日はいなかったサイクリングを楽しむ人たちも。

 そして、式典。11時から、昼食を含めて、3時過ぎまで続いた。百周年ということで、知事、議長がそろって出席したので、県人会メンバーが大変に感激していただいたようで、これはとてもよかった。日程をさいて来た甲斐があったと、佐藤勇議長とともに、自画自賛。それにしても、これだけの大きな行事を周到に準備された米澤義人県人会会長をはじめとするメンバーの方々のご努力に頭が下がる。本当にご苦労さまでした。

  式典には、現地の河野雅治総領事もご出席。何を隠そう、彼とは、24年前、ワシントンの在米日本大使館で1,2ヶ月一緒に勤務した仲である。「知事とそういう特別な間柄だから、特に、宮城県人会にこんなにサービスしていただいたのですよね」と、私から河野総領事に念を押しておいた。だって、余興では、ご当地ソング「青葉城恋歌」を甘い美声でお歌いになったほどである。どこでも、ここでも、これほどのサービスをする必要はない。

  式典と表彰のあとは、日本からやってきたメンバーによる余興が次から次と。踊りの藤乃流の方々が民謡、演歌に合わせて優雅に踊る。仙台藩士会の方々も今回は大勢いらしていたが、今回は剣道の型のご披露。中新田町の火伏の虎舞いは、大受けだった。

 

11月11日(月)  

 あっと言う間に、帰国の日である。それでもがんばって、今朝もジョギング。時間がないので、サンタモニカまでは行けない。ホテルの周囲を5`ほど。これで、3日間連続のパーフェクト達成。半澤秘書代理も同じくパーフェクト。彼にとっても、忘れられない経験になったことだろう。

 忘れられないと言えば、着いた日と翌日の大雨。現地の人も、ちょっと記憶にないというほどの珍事であるらしい。南カリフォルニアでは雨は降らないと私も信じていた。ロスアンジェルスの人は、傘など持っていないと思っていたほどである。それがあの大雨。絶対に忘れないだろう。そして、県人会の皆様をはじめとする皆様からいただいたご親切の数々。これも忘れられない。

 

11月12日(火)

 日付変更線を東から西に越えて、着いた成田は12日の午後。11時間ほどの順調なフライトであった。疲れも眠気も全くなし。元気一杯である。成田からは、フェアリンク航空の仙台便を利用。はじめての経験である。飛び立ったら30分で着いてしまう。

 久し振りの我が家。しっかり夕食も摂って、快眠。


以前のジョギング日記はこちらから



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org