宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第3週   

2003.1.18(土)

 昨夜の会合の名残か、ちょっとアルコールが残っている感じだったが、走ったら吹き飛んでしまったようだ。「年齢を考えてね。長距離はお控えなさい」という妻の忠告もあり、今朝の走りは10Kで打ち止め。今日のコンディションでは、これぐらいが適正である。

 午前中、ちょっと仕事らしいことをしたが、あとはのんびり過ごした。久し振りに昼寝も。「走り過ぎて疲れたんでしょ」と、再び妻の論評。そうじゃない、昼寝の醍醐味を味わいたかっただけ。睡眠導入剤代わりでもないが、読みかけていた高杉良の「金融腐敗列島」(講談社文庫)上下を読了した。このところ、この作家のものをいくつか読んでいる。リアリティがあって、面白い。面白いだけでは済まないような金融情勢であるが、その辺の事情が詳しく紹介されている。

 それにしても、この景気の悪さ、国、自治体を通じての財政状況の厳しさはいつまで続くのだろう。果して、我々が生きている間に好転するということはあるのだろうか。そんな悲観的な見通しさえ抱いてしまう。


2003.1.17(金)

 朝、真っ暗中から走り出して、6K。帰り道、東の空が朝焼けで、神秘的な輝きを見せている。こんな素晴らしい景色を見ながら走っている人は、そんなにたくさんはいないだろう。そんなことを思いながら走っていた。

 夜は。県政記者会との新年会。気持ちのいいメンバーである。場面によっては、攻めるも、守るもではあるが、それも含めて、いい関係ではないだろうか。私としては、そんなふうに思っている。


2003.1.16(木)

 今朝の最低気温は、氷点下5.5℃。この冬の最低気温である。ということで、今朝もジョギングは自粛。それでも、体重のほうは自粛してくれない。ちょっと心配。

 夜は、今年初めての連句の会。そもそも、この会に名前がないのは不便だと、捌きの狩野康子さんが言い出して、名前を付けることにした。狩野さんが別にやっている会の名前が、「ひらめき」というのだそうだ。こちらは、「うぬぼれ」にしようと私が提案した。結局、頭に座(ZA)を冠して、「ZAうぬぼれ」と命名。「なかなかいい名前だ」というところが、まさに「うぬぼれ」。

 今晩は、私達の作品が、昨年、賞をもらったことを祝う会でもあった。その時の賞金を今夜の会費の足しにして、豪華な宴会。場所は、いつものとおり、勾当台会館の一室。宴会の前に、取り急ぎ、表合せ(八句)を詠むことにした。そうやって出来た作品が、以下のとおり。うーん、なかなかいい出来映えだ。(うぬぼれ)

 (新年)  酔わんかな 福に預かり 初連句

 (新年)  恵方に向い 高き柏手

 (月・春) 朧月 マッターホルンの 麓にて

 (恋)   女の私が こうまで言った

 (恋・夏)  短夜の 闇濃きあたり くぐる垣

 (恋)   電車を止めて バスだって止めて

 (花・秋) ATM 破り見逃す 花相撲

 (秋)   つくつくぼうし 黙す一瞬  


2003.1.15(水)

 昨夜遅かったのと、今朝の風の強さもあって、今日の走りはなし。体重は、期待する数値までは落ちていない。昨年の今頃は、年末年始のゆったり生活のせいもあり、突然の体重増に驚愕していたのを思い出す。

 参議院厚生労働委員会の方々が県庁にいらした。限られた時間であったので、ついつい、あせってお話しをさせてもらうことになったが、気持ちだけはお伝えすることができたと思う。障害者の支援費制度の運用の問題点について、旧知の堀利和議員や、民主党の山本議員などと意見の一致を見たのはうれしかった。金田勝年委員長も、精力的にご活躍の様子であることに、頼もしさを感じた。

 夜は、わが仙台二高の同窓会。わが母校も、創立103周年を迎えて、ますます意気盛んである。なにしろ、同窓会長は、世界の西澤潤一先生である。その西澤先生のご挨拶で、「私如き未熟者が、諸先輩がいらっしゃる中でご挨拶する・・・・、私のような凡人が・・・・」とお話しされたら、それに続く私は、一体なんとご挨拶したらいいのだろう。そう思いながらも、比較的まじめなご挨拶をさせていただいた。

 世が世なら、今日は成人の日である。地元の民放テレビの企画で、新成人が「もし、私が宮城県知事になったら・・・」という問いに答えているビデオを見ての感想を言えというので言った。とても幼い、社会に対する真摯な関心が感じられない、こういう世代に日本の未来を託して大丈夫なんだろうか、そんなことを率直に言わせてもらった。  


2003.1.14(火)

 6時半までには走り終えていなければならないスケジュールだったので、6時5分発で23分だけ走った。真っ暗な中を走り、完全に明るくなる前に戻ってきてしまった。昨日の18`走もなんのその、足の痛みもなし、快調に走り終えた。

 月曜日が祝日だったので、1日遅れで、今日が定例記者会見となった。韓国産かきの混入問題に関して、「灰色業者」の扱いをどうするか、告発はいつやるのかなどの質問を中心に、30分以上かかった。いろいろ質問があるのは、むしろ、当方としても言いたいことが言えるので、歓迎である。

 午後からは、来年度予算についての説明。これからが、予算編成の季節本番である。財政厳しき折ではあるが、そんな中でどれだけ元気の出る施策を打ち出していけるかが知恵の出しどころである。

 250年の伝統を誇る「どんと祭」が、我が家から走って6分の大崎八幡神社で催されている。子どもの頃、神社の近所に住んでいたので、毎年、あのにぎわいの中に身を置いていた。長じた今となっては、そこまではいかない。帰宅の途中に、はだか参りのグループ何組かに出くわした。この寒さの中、大した心意気である。彼等の身には、今年はきっといいことがあるだろう。


2003.1.13(月)

 成人の日で祝日である。高知県の橋本大二郎知事などは、成人式に出席して2年ぶりで祝辞を述べたようだ。それを報じるテレビで見た。わが宮城県では、成人式で知事が祝辞という場面は、昔からない。やるとすれば、どこの市町村の成人式に行けばいいのか、もめてしまうのかもしれない。

 ということで、成人の日の朝は京都である。時間がある、体調はいい、気候は最高、相棒には渋谷秘書がいる。条件がぴったり。京都に来ることの楽しみは、都大路を駆け抜けること。今日も、走らずにはいられない。2時間、22`ぐらい走るつもりであった。

  京都駅の近く、堀川通りにあるホテルを6時半に出発して、堀川通りを北大路までひたすら北上。途中、東本願寺あたりではまだ真っ暗、二条城の前を通る頃、少し明るくなった。いつものことだが、歴史上有名な地名が500メートルごとに登場してくる感じで、走りながらの観光コース。飽きることがない。去年もそうだったが、昨日の駅伝を走ったメンバーだろうか、女子選手のジョギングに何組も遭遇した。

  出発から7`地点、北大路を西に折れて、起伏のある道を金閣寺まで。朝早いので、参拝時間になっていない。たまたま工事中で、屋根が工事資材でおおわれていて、金閣寺の姿が見えない。「これでは、濁点を取って読んだほうがいい」と、走りながらつまらないことを言い合っていた。そこから、西大路を下って行く。文字通り坂を下って行く感じで、10`地点を過ぎて疲れが出始める身体にとっては、楽な展開である。そう言えば、このコースは昨日の駅伝のコースである。第1中継所付近には、昨日京都県人会でお会いした方が宮司をしている平野神社があった。立派な神社だなと言い合いながら、また下って行く。

  七条まで下がって行って、そこから再び堀川通りを目指す。それぞれの道路の歩道が十分に広くて走りやすい。信号につかまることもめったにないので、リズムに乗っていく。18`走ってホテルに戻ってしまった。ちょっと物足らないが、これで引上げることにした。足の違和感は少しあったが、痛みまではいかず。走り終わって、幸せが身体中にみなぎる感じである。生きててよかった、京都に来てよかった、走れてよかった。

  今日は、完全に「ジョギング日記」に徹してしまった。


2003.1.12(日)

 早い時間に自宅を出て、京都へ。したがって、SMCは欠席。こういうこともあるので、昨日18K走っておいた。

 京都は、第21回都道府県対抗女子駅伝大会の応援と、京都県人会の新年会に出席するのが目的である。昨年もやってきた。駅伝の成績は、昨年は県としての最悪記録を大幅に塗り替える39位であった。今年は少し盛り返して、32位である。平成7年には優勝という輝かしい成績を残しているのだから、「昔の光いまいずこ」というところ。そうは言っても、本県選手団としては、最大限がんばってくれた。そのひたむきさに乾杯である。

 我々応援団も、スタート・ゴール地点の西京極陸上競技場での応援だけではない。阪急電車、地下鉄を乗り継いで、折り返し地点の宝ヶ池国際会議場前でも応援である。これは昨年も同じ。目の前を選手が走っていくのを見るのは、やはり感激する。そして、選手の走りがとても速いことを実感する。だから、「もっとがんばれ」とは言いにくいのである。「だったら、あんたも走ってごらん」と言われて、とてもついていけるスピードではないのだから。

 会合は、駅伝選手団慰労会を兼ねている。いつでも言っていることだが、今年も繰り返した。「都道府県対抗なんだから、最終ランナーはその県の知事ということにして欲しい。そうすれば、わが宮城県は絶対優勝だ」。しかし、今回1位、2位の兵庫県、京都府の知事はぐっと若返った。トップとは8分差があるから、1Kではとても追いつかない。3K走らせてくれたら、最後、トラック勝負で抜き去って、宮城県が優勝するはず。

 県人会で、大津市に住む叔父さん夫婦に再会した。会合での挨拶で、「長らく生き別れになっていた叔父さんと、巡り会うことができました」と言ったら、結構受けていた。


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