宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記   1月第5 

2003.1.31(金)

 大阪に泊まるたびに楽しみにしているのは、御堂筋を走ることである。今朝も、6時15分発で、大阪駅から南へ向う御堂筋コースを走った。同行の渋谷秘書は、3キロ地点で、「ここで失礼します」と独自の走りになってしまった。昨日の「激走」で、足でも痛めたのだろう。私はそのまま南へと走り続けて、6キロ。そこから反転の12キロコースを気持ち良く終えることができた。1月は今日で終わり。走りのほうは、18日間、173キロというのが、今月の実績である。

 久し振りに県庁に戻ると、郵便物、伝言、そして仕事がたまって私を待っていた。それらを一つひとつ片付けているうちに、夕方になってしまった。こうやって、2003年の最初のひと月が過ぎていく。


2003.1.30(木)

 東京の朝。仙台並みの寒さの中を皇居一周の走りに出発した。1キロ5分40秒ペースで走ろうと思っていたら、伴走の渋谷秘書のペースが速い。どんなジョギングでも、ゆっくりと、のんびりと走るのをモットーにしているのだが、今朝は、1キロごとに、5分30秒、20秒、10秒と上がっていった。結局、渋谷秘書は、自己記録を2分近く縮める26分14秒で一周。私もつられて、25分49秒。これまでより大回りの、完璧5キロコースだから、1キロ5分10秒ペースで走ったことになる。

 朝、ホテルの窓からは、丹沢の山並みを前景にした富士山の姿がはっきり見られた。大阪へ移動する新幹線の車窓からは、富士駅あたりで、まことに雄大、華麗な富士山を見る事ができた。久し振りの勇姿。富士山大好き人間とすれば、大満足である。

 今朝は8時から、第1回の霞ヶ関勉強会。これまで10回ほど開催していた勉強会を再編した、再開第1回である。夜よりは、朝のほうが集まりやすいのかもしれない。私は、朝の会合大歓迎である。霞ヶ関の若手課長クラス18人がメンバー。今朝は、13人が出席。初めてなので、講師は呼ばずに、メンバーの顔合わせの意味で、自己紹介をしてもらった。多彩で頼もしいメンバーである。「霞ヶ関でも、省庁横断的な勉強の場がないので、こういう機会はとても貴重です」と言ってもらったので、せいぜい長く続くような会にしたい。

 大阪では、宮城県が毎年主催する企業立地セミナーに出席。東北大学未来科学技術共同研究センターの伊藤弘昌センター長と、科学技術振興事業団・研究成果活用プラザ宮城の飯塚尚和館長に講演をしていただいた。企業誘致が、大変にむずかしい時代である。宮城県の特色、立地の必然性のストーリーをどう伝えるかがポイントであると感じている。


2003.1.29(水)

 朝から東京へ。取材対応ののち、厚生労働省にて、障害者支援費制度に関するアピールを要所に届ける任務を果した。河村社会・援護局長、上田障害保健福祉部長、木村義雄副大臣には直接会って説明をした。厚生労働省としては、今回の一連の経緯に関して、相当に反省していることがよくわかったので、それ以上責めることは本意ではないのだが、問題が問題だけに、そして、昔自分が厚生省で関わっていた分野だけに、ついつい言葉が厳しくなってしまう。

 夕方は、慶應大学の榊原研究室にて、地方分権研究会の会合。増田岩手県知事、北川三重県知事、木村和歌山県知事、麻生福岡県知事が出席。2時間にわたり、かなり実質的な討議をした。この仲間は、ほんとうに貴重である。今日の議論でも、大きな示唆を受けた。

 今日の東京は、北風が冷たい。仙台からやって来た身にも、寒さが身に染みる日であった。


2003.1.28(火)

 昨日の雨で、残っていた雪もあらかたとけたはずと思い定め、6`走。あらかたとけていたが、一部に残る雪があり、その箇所は走りにくい。そこでスピードを緩めることになるのが、結果としては、楽な走りになったりしている。そんな調子の、今朝の走りだった。

 都合により、本来の月曜日の予定が、今日に持ち越しになった。三役会、庁議、そして、定例記者会見。記者会見では、日曜日に行われた石巻市長選挙の結果について、産業廃棄物協力金、障害者の支援費制度、「もんじゅ」の許可無効判決、地域自立戦略会議の立ち上げなどについて、質問があった。一つひとつの質問に、かなりていねいに答えたせいもあり、45分もかかってしまった。

 午後は、予定が次々に入っていた。中には私のほうで熱が入り過ぎて、予定時間を大幅にオーバーしてしまうセッションもあり、ばたばたと日程が過ぎてしまった。こうやって、1日が過ぎていく。

 一昨日の日記で、NHKラジオの「ラジオ深夜便」の中の、「心の時代」を聴いて感激したということを書いた。ゲストの名前を、うろ覚えで、「大西さん」と書いたら、SMCの仲間の岡本さんから、私の秘書の森合さんに、「大石さんです」と電話で教えて下さった。 それを聞いて、森合秘書が、NHKのホームページで「ラジオ深夜便」の番組表を調べて、名前が「大石邦子さん」ということを確認してくれた。彼女の肩書きは「エッセイスト」になっていた。さらにインターネットで検索して、彼女の著書として「この生命を凛と生きる」(講談社文庫)などがあることを突き止めてくれていた。森合さんもすごいが、インターネットの威力もすごいことを、改めて確認した。いずれ、この本が入手できるのが楽しみである。


2003.1.26(日)

 枕もとのラジカセで、NHKのラジオ深夜便をつけっぱなしで寝ていたら、朝の4時頃目が覚めた。「心の時代」をやっていた。高校生の時に、乗っていたバスの衝突事故で下半身付随の障害を受けた福島県会津若松の女性が出演していた。事故後に意識を取り戻した時以来、呼吸が苦しくて、全身がものすごい痛みでどうしようもなかったという。特にショックだったのは、尿を自分で排出できなかったこと。うら若き女性が、自分で排尿ができない。それと、自分が生きている事によって、両親や周りに迷惑をかけていることも気に病んだ。自分が死んだら両親も楽になると思って、自殺を図ったら、母親はショックで心筋梗塞になるし、冷静だった父親は半狂乱で泣き出すのを知って、「生きなければ」と思った。

 事故後3年目に、初めて水道の蛇口をひねることができた時の天にも昇る心地、クラスメイトの一人が、自分のために婚期まで遅らせてめんどうをみてくれたこと、初めて寝返りを打てた幸福、15年後に、電動車椅子で外出できた時の感動などなど。福島なまりでとつとつと、淡々と話す彼女の言葉に、布団の中で涙が止まらなかった。  ノートに書き止めたものを本にしたら、1日30通も手紙が舞いこんだ。7年の刑期を終えて出所した受刑者が、刑務所で得て貯めた労賃を、そっくりそのまま送ってくれたという。

 書き出したらきりがない。まさに、全身に障害を負って、ちょっとでもできることがあることに気が付いて、生きていることのありがたさを実感したという彼女の率直な話。ただただ感動である。

 番組の終わりに、「これは、昭和58年に放送したものの、再放送です」と聞いて驚いた。彼女の名前も、大石さんだったような気がするが、半分寝ぼけていて覚えていない。彼女の出した本も、読んでみたい。NHKに聞いてみよう。「心の時代」は、時々しか聞けないが、聞けば大体感動する。ラジオ大好き人間になってしまうゆえんである。

 久し振りに、朝、軽く4キロ走って、三重県四日市市に向って出発。北川正恭三重県知事から声がかかって、2日間にわたる「分権時代の自治体変革」というシンポジウムの中での「知事熱論」に参加した。2時45分から5時20分までの長丁場だったが、十分楽しめた。岩手県の増田知事、和歌山県の木村知事、鳥取県の片山知事、高知県の橋本知事、それに北川知事という、毎度おなじみのメンバー。かなり、ホンネベースで議論できるのがうれしい。


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