宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 5月第1週    
2003.5.3(土)

 連休中に、1回は長い距離を走ろうと思っていた。今朝は、条件にぴったり。久し振りに、宮城大学方面に足を向けた。ウインド・ブレーカーは脱いで、短パン・長シャツ姿。この格好で丁度よい。暑くなく、寒くなく、時折吹いて来る5月の風が心地よい。

  1時間02分20秒(推定11`地点)で折り返すことにしているが、前回走った時よりかなり先まで行けた。ということは、調子が悪くないということ。ただただ、美しい季節の中を走ることの幸福感のみを感じつつ、2時間04分40秒走り続けた。走後の体重測定では、昨朝より1.4`少なく、今年の最低タイ。減ったうち1キロ分は、発汗のせいである。鏡を見たら、顔が真っ黒に日焼けしている。これでは、シミも増えてしまうが仕方がない。

  車を持たない家なので、ゴールデン・ウイークでも行くところがない。妻と一緒に、市営バスに乗って、郊外のガーデニングの店にでかけて、ラベンダーを買い求めた。暑いぐらいの陽射しの中に顔をさらしていたので、またまた日焼けしてしまった。


2003.5.2(金)

 朝方は気温が低かったが、日中は清々しい5月の晴れた空であった。この季節、陽射しは既にして、かなり強い。日焼け止めを塗っての今朝のランニングは、6キロ。広瀬川の堤防を走ったが、八重桜がまだ豪華に咲いているところがあった。ほんとうに、素晴らしい季節である。

 特に仕事がなかったこともあり、今日は「自宅待機」。秘書課の心配りか、連休にしてくれた。結局、4連休になる。どこへ行く予定もない。ほとんど自宅にこもっていることになるだろう。

 東京の大学に行っている次女が、4月の入学以来、初の帰省で帰って来た。彼女にとって初の帰省なら、私にとっては、親として初めての経験である。「連休は帰らない」と聞いていたのだが、やはり、帰ってくれると親としてはうれしい。37年前の私は、逆の立場だった。あの時の親は、うれしかったのだろう。それが、ちょっぴり煩わしかったことも思い出している。「歴史は繰り返す」という表現は、こういう場面では、まったく似つかわしくないのだろうが、「子どもと親と、順繰りなんだな」と、人生における時の流れのようなものを感じる。

 昨日取材を受けた塩田潮さんからいただいた「田中角栄失脚」(文春新書)を読んだ。ほぼ30年前、月刊「文藝春秋」に載った「田中角栄の人脈と金脈」、「淋しき越山会の女王」が、田中角栄首相の退陣につながった流れを追ったドキュメンタリーである。リアルタイムで、この二つのレポートを読んでいたので、あの頃の雰囲気を思い出しつつ読了した。


2003.5.1(木)

 5月になった。今朝は、少々疲れ気味だったので、走りはなし。せっかくの5月の青空の下残念だが、こういう決断もたまには必要。

 その5月の青空の下、仙台では、第74回メーデーが開催された。これまでと会場を変えて、仙台市役所と宮城県庁が目の前の勾当台広場。額に汗して働く人たちが報われるような社会にしなければならないと、毎年言ってきたが、最近は額に汗して働きたいと思っても、そんな雇用の場が確保できない。目の前の仙台市役所、宮城県庁は、倒産なし、リストラなしの職場であるが、だからこそ、雇用確保対策に今こそ本気で取り組まなければならない。そんなことを、挨拶の中で述べさせてもらった。  


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