宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 11月第4週     

2003.11.22(土)

 今日から三連休である。紅葉のシーズン、観光の季節であるが、私は選挙応援のため、高知県に飛んだ。わが友橋本大二郎さんが、4選に挑む高知県知事選挙である。11月30日が投票であるので、これが最後のウイーク・エンドの選挙戦になる。

 橋本さんは、6年前、私が再選を目指した宮城県知事選挙の応援に来てくれて、「これで浅野さんが負けたら、日本の政治は10年後戻りしてしまう」と叫んでくれたのが、今も忘れられない。私の相手方候補は、自民党、新進党にかつがれていた。その時は、橋本さんのお兄さんが自民党の総裁をしていた。私にとっては、とてもありがたかった。この恩は、絶対に忘れられない。

 恩というだけではない。橋本さん自身が高知県で孤軍奮闘し、選挙においても草の根型の闘いを「愚直にも」続けていることに、大きな感銘を受けている。前回、4年前、自民党が立てた農協幹部を相手の選挙でも応援に行った。今回の相手は、自民党、社民党の推薦を受け、公明党、民主党にも支持されている。相手方候補者は、高知市長を途中で辞めての出馬で、相当の難敵である。

 高知にとっては、風の吹き募る寒い日であった。街頭演説では、橋本候補、私のほかに、長野県の田中康夫知事も現れて、三人が並ぶという場面もあった。夜は、畳敷きの小さな会場にぎっしり坐った人達の前での個人演説会。動員されて来たのでないことは、聴く態度の熱心さと顔つきではっきりわかる。その次の会合は、個人のお宅である。ここにも30人ほどの方が来ていた。「草の根」というのが感じられる、とても気持ちのいい選挙のやり方に、私も感激しながらの1日であった。


2003.11.20(木)

 宮城県選出の国会議員の方々に、来年度予算に関しての要望を行った。丁度、衆議院議員選挙が終わったばかり、特別国会開会中ということもあり、ほとんどの議員が在室。17人中16人の議員とお話することができた。こんな高率は、めったにないこと。

 夕方は、仙台国際貿易港首都圏セミナーということで、仙台港の利用について関係の方々と懇談をする会に出席。これも、毎年この時期の行事で出席しているが、今年の参加者は例年以上の盛況であった。

 東京も、雨がそぼ降る一日。晩秋の雰囲気がたちこめる。銀座に立ち寄ったら、クリスマスのCDが売り出し中。クリスマス・カードもお店にあふれている。そう言えば、年賀状も購入済みだった。こうやって、あっという間に2003年も終わろうとしている。


2003.11.19(水)

 日米文化教育交流会議に出席。日本とアメリカと、一年交代で開催している。開催地は、これまでは東京とワシントンだったのだが、前回は沖縄県。今回の宮城県での開催は、「地方巡業」としては2ヶ所目である。私の役割は、日米一人ずつの基調演説に対してコメントをするというものであった。

  会場に来る直前に、某新聞社からコメントを求められた「国民保護法制」(武力事態法案を受けての法律)で、改めて国家、国境というものを意識させられたこと、個人的には、エルヴィス・プレスリーを通じてアメリカの文化に触れたこと、NPO、NGOに関して、「ボランティア」」に対する認識が日米でだいぶ違うこと、こういったことを話しているうちに10分の持ち時間が過ぎた。私の隣に座った、日本語が流暢なリチャード・ダイクさんが、「アサノ知事の場合は、エルヴィス、私はアメリカで見た映画で酒井和歌子さんに会ったことが日本への関心の出発点」との発言が印象的であった。


2003.11.17(月)

 朝早くから、いろいろなことがあった日。三本木町に計画していた保健医療福祉中核施設の整備を中止するということを決定した政策・財政会議が、朝8時から。その前に、計画実施の要請に、関係市町の方々が来られた。

 昼間の一つひとつの日程は省略する。夜は、私の著書の出版祝賀会が国際ホテルで開催された。私としては初めてのことであるが、多くの県議会議員、市町村長、各種団体の方々などにお出でいただくパーティーであった。出席者の数の多さに、驚くやら、感激するやら。こういった会の開催のたびにお手伝いいただく人達にも、感謝の念で一杯である。そして、記念講演のために、東京からとんぼ返りの離れ業をしてくれた寺島実郎さんにも、何とお礼を申し上げていいやら。


2003.11.16(日)

 昨日は、夕方に一つ公務があるだけで、久し振りにのんびりの時間があった。そこで、できたばかりの著書のことが気になったこともあり、本に登場させた方々への献本リストと送り状を作った。これじゃ、「のんびり」にはならないなとは思いつつ、ついでに、校正(本ができてからの作業は、「間違い探し」なのだろうが)をやったら、「アサノ知事のスタンス」のほうからは、結構な数の間違いがみつかってしまった。

 今朝は、10月5日以来となるSMCに参加。季節は移り、集合時間は6時半から7時に変わっている。東京での午前中の講演にでかけるので、ルートの途中にある我が家の前でメンバーと別れた。そのメンバーの一人、県庁の菅原久吉さん(彼も、「キューちゃん」と呼ばれることがある)は、今日の東京女子マラソンの一般の部にエントリーしていたのだが、膝の故障で断念とのこと。あのQちゃん、高橋尚子選手と同じコースを走るという歴史的快挙を逃してしまったのが、仲間としても残念である。

 その高橋尚子選手の走るところを、東京駅近くの日比谷通りで見た。「ずいぶん、やせたね」と、同じく沿道で応援していた人の口から漏れた。そのやせすぎ、絞込み過ぎがあったのだろう。最後はエネルギー切れ。平凡な記録での2位に終わった。もう一回走らないと、オリンピック代表にはなれないだろう。果たして、その気力と体力が残っているかどうか。

 わがベガルタ仙台は、「ここで負けたら、J1残留は絶望的」という京都パープルサンガ戦で3対1で快勝。首の皮一枚つながった。今日のような戦いぶりであれば、これからの2戦にも大きな期待が持てる。がんばれ、ベガルタ。


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