宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 5月第3週      

2004.5.15(土)

 5日連続して走らなかった。5連敗である。今年になって、2月に6連敗というのがあったが、それ以来の長期離脱であった。今朝は、3キロだけ走ってみた。何の問題もない。普通のペースにすぐ戻るだろう。

 参議院議員選挙が目の前である。市川一朗参議院議員の後援会事務所開きに出席。400人近い人が集まり、事務所前の歩道にも支持者があふれていた。あまり盛り上がっていなかった選挙戦も、これから一斉に動き出すことになるのだろう。有権者のほうがどう対処するか。政治離れ、政治家不信がささやかれる中では、とても大事な国政選挙である。

 昼からは、宇都宮市での「第9回全国首長連携交流会」に参加した。私の出番は、「市町村合併後どうなるか」というディスカッションにパネラーとしてのもの。休憩をはさんで3時間近い議論だったが、私としても勉強になった。真剣に考えるいい機会である。宮城県からはゼロだが、全国各地の市町村長が100人以上集まって、熱気むんむんである。別な会議でいつも一緒になる元気な市長、町長の顔も10人近くいるのが心強い。大事な仲間であり、一緒にいて実に楽しい仲間でもある。

 懇親会にも出てから宇都宮市役所を後にしたが、わが阪神タイガースの対広島戦のテレビ中継に間に合った。帰りの新幹線の中でインターネットを開いて、わがベガルタ仙台の対大宮アルジージャ戦2対1での勝利は確認済みであったが、まだ阪神戦がある。これが延長12回、雨中の大熱戦で目が離せなくなった。4時間半近い試合時間の最後を飾ったのが、赤星のサヨナラヒット。歓喜の雄叫びを上げながら、満足して寝ることができた。それにプラスして、巨人の敗戦、女子バレーの対台湾戦辛勝も確認した。つまりは、4戦4バンザイ。言うことなし。


2004.5.13(木)

 東京での仕事。朝は、体調に気遣って走らなかった。これだけ身体を休めれば、明日からは正常に戻るはず。

 9時からの日本海新聞(鳥取県)の取材から始まって、地域自立戦略会議、昼の自由民主党政務調査会長との意見交換、知事・市町村長懇談会(21世紀臨調)、社会保障審議会医療保険部会と続いた。その間に、仙台牛タンの原料確保に関する要請行動で、農林水産省と厚生労働省に出向いた。忙しいというのではない。頭の切り替えが結構大変ということ。いずれの場面でも、マスコミ取材だけでなく、それなりにモノをしゃべる機会が多かった。

 走り回った東京は、既に夏である。蒸し暑い。汗をかきながらの移動であった。


2004.5.12(水)

 風邪気味である。熱もない、咳も出ない、具合悪くもない。さりとて、6キロ走る気持ちにはならない。そういった程度の風邪気味である。配偶者は、あの5月3日の42キロ走の影響だと言う。私は、かたくなに、そんなことはないと抗弁する。そう言えば、4日の日記に「回復力は早い」というようなことを書いた。これが神様のお怒りに触れたのだろう。50歳過ぎると、筋肉痛とか疲労感は、翌日ではなくて、しばらく経ってから出てくるものだという法則を忘れていた。ということで、今日で3日連続で走っていない。

 仕事のほうは次々とこなしている。一仕事終えて、夕方から上京し、IR(インベスターズ・リレーション)についての勉強会に出席。主宰は、北川正恭教授。地方債を投資家に買っていただくためには、知事自ら説明をしなければならない。そのための方法を学ぶというのが勉強会の趣旨である。勉強しなければならないことだけはよくわかった勉強会であった。


2004.5.10(月)

 やっと連休モードから脱出。高校のころ読まされたロバート・リンドという英国の随筆家の文章に、土日の遊びの疲れを癒すためにウィークデイの仕事の時間があるというのがあった。その卓見に妙に感心した記憶がある。その伝でいくと、連休の疲れを癒すために、その後の仕事の時間があるのだろうか。

 この日記を書いている部屋の外では、カエルがのんびりした鳴き声をあげている。朝はうぐいすの声とともに目覚める。考えてみれば、我が家もいい環境に恵まれているというべきだろう。

 民主党の菅さんが代表を辞任した。国民年金の保険料をほんの短い期間滞納したからといって、しかも行政上の行き違いによっての滞納なのに、なんでこんな犠牲を払わなければならないだろうと、菅さんは思っていることだろう。それはそうだ。しかし、既にして、ことは政治マターになってしまった。すべての論理的、客観的、冷静な理屈は吹っ飛ぶ。それにしても、次の代表は誰になるのだろう。ここで選択を間違えると転落の一途、うまくやれば禍を転じて福。さてさて、どっちに転ぶか。


2004.5.9(日)

 NHKラジオの「ラジオ深夜便」、今朝の「日本の歌・心の歌」は昭和32年の流行歌。三浦洸一、藤島恒夫、青木光一、春日八郎、大津美子、松山恵子のヒット曲が次から次へと。大体聞き覚えがある。最近の歌と違って、歌詞が一応まとも。その頃の世相を反映したような内容でもある。今日聞いていて笑ってしまったこと。「次は、藤島恒夫さんの『お月さん今晩は』です」との紹介の後かかったのは、春日八郎の「あン時ゃどしゃ降り」。「シローと夢トーク」で、時々同じような失敗をするが、NHKの番組では専門のレコードかけ係がいるのに対して、当方はしゃべり、CDかけ、機械操作すべて私一人でやる。NHKラジオでさえ失敗するんだから・・・、と自分を慰める材料になった。

 先週の「日本の歌・心の歌」は舟木一夫特集だったらしく、それへのお便りが多数寄せられ、いくつかが紹介されていた。特に引用が多かった曲が、「高校三年生」と「その人は昔」。いずれも、舟木さんの歌に勇気づけられた、昔を思い出したという、感謝感激の内容である。舟木一夫は私にとっても、好きな歌手であり、好きな歌である。11年前の知事選挙の際に、唐桑町の国民宿舎の風呂に一人で入ってこの歌を口ずさんだら、涙が出てきたことも思い出す。「君たちがいて僕がいた」、「修学旅行」、「学園広場」などの学園ものは、歌うたびに高校時代の自分が浮かんでくる。「その人は昔」も絶賛されていたが、私は聴き覚えがない。内藤洋子さんとの共演で映画にもなったらしい。今度探してみよう。

 「日本の歌・心の歌」が4時に終わって、少し寝て、SMCにでかけた。私は短パン、長シャツだが、短パン・短シャツ姿のランナーも増えてきた。新緑が美しいコースをみんなで走る。楽しからずや。

 ベガルタ仙台の対水戸ホーリーホック戦を仙台スタジアムで応援。安心して見ていられる試合ぶりで、結果も4対1で快勝。こういう試合運びなら、どんどん勝てる。


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